第54話「護衛の話」
昼過ぎに、ギルドの扉が開いた。入ってきたのは、ダグさんだった。
左手に剣を提げている。木の指が鞘を握っていた。
部屋の音が消えた。
卓の一つが、椅子を鳴らして立った。
誰かが名前を呼んで、途中で止めた。
ダグさんは、まっすぐ受付へ来て、ハーグさんの前に立った。
「登録し直す。等級はいくつからでも構わん」
ハーグさんは、帳簿から顔を上げた。上げて、剣を見た。
それから、木の手を見た。
「……売ったのではなかったか」
「買い戻した」
「吹っかけられたろう」
「三倍だ」
「馬鹿な話だ」
「そうだな」
「金は、あったのか」
「足りん」
「足りんのに買ったのか」
「足りんまま置いてきた。残りは働いて払う」
「働く気は、あるのか」
「ある」
ハーグさんは紙を出して、羽根ペンを取った。手が止まって、笑った。この町へ来てから、初めて見た顔だった。
「いちばん下からだ。実績がない」
「構わん」
「二年前は、いちばん上だった男がな」
「今は下だ」
「そうだな」
ハーグさんは羽根ペンを走らせた。走らせる音が速い。この人は、この音を出すのが好きなのだと思う。
登録の紙は二枚あった。一枚に名を書き、一枚に印を押す。ダグさんは印を右手で押した。押す位置が少しずれた。
ハーグさんは直さなかった。
「ずれたぞ」
「押し直すか」
「いや。読める」
「なら、いい」
俺は剣を見ていた。柄がすげ替えてある。
巻きの革が新しい。鞘の擦れ方と合っていない。もとの柄巻きは、どこにもなかった。
俺は、何も言わなかった。
ざわめきは収まらなかった。
誰かが木の手を指しし、誰かが俺のほうを見た。見た人が、隣の人の肩を叩いた。
ダグさんが振り返った。
「こいつだ」
部屋がまた静かになった。
「腕は直せんと言った男が、木を直した」
誰も何も言わなかった。
奥の卓から、一人が立った。昨日、剣を持ってきた男だ。
「ダグさん」
「なんだ」
「その手、握れるのか」
「握れる」
「痛みは」
「ない」
「……羨ましい話だ」
「羨ましいか」
「言い方が、悪かった」
「いや」
ダグさんは木の手を開いた。開いて、また閉じた。
「三年、彫らせた」
「え」
「三年、彫らせて、突き返した」
男は何も言えないまま、座り直した。
ダグさんは俺の前まで来て、剣を卓へ置いた。
「話がある」
「はい」
「お前には護衛がいる。断るなら勝手についていく」
「護衛ですか」
「そうだ」
「いりますかね」
「いる」
「俺、戦えないです」
「知っている」
「戦う気も、ないです」
「それも知っている」
「じゃあ、なんで」
「だから、いる」
俺は少し考えた。考えて、思い出した。
ベルタさんに言われたことだ。
人を使うなら、先に金の話をしろ。
「じゃあ、お願いします。工賃、払えますかね」
「……払うのは、お前だ」
「あ、そうか」
「そうだ」
「いくらでしょう」
「また、それか」
「はい」
「後ろの人に聞け」
シルフィさんが一歩出た。
「お安くは、いたしません」
「払うのは俺ではない」
「存じております」
「では、なぜ俺を見る」
「値を下げに来る方は、たいてい後ろから来ますので」
「……なるほどな」
ダグさんは少し笑った。笑うところを、初めて見た。
「決めておく。俺の飯代でいい」
「飯代ですか」
「宿と、飯だ」
「安すぎませんか」
「お前が言うのか」
「言いました」
「上げ方が下手なのは、直らんな」
「直らないです」
ミオさんは階段の下にいた。柱の陰から、こちらを見ている。
ダグさんがその子を見て、木の手を上げた。
上げて、指を開いた。開いた指が五本とも動いた。
ミオさんは耳を伏せた。伏せて、それから、上げた。
出てこなかった。
俺はそっちへ歩いた。
「ミオさん」
「……なに」
「弟子は取れません」
「知ってる」
「見習いなら」
ミオさんが顔を上げた。
「……なにそれ」
「弟子だと、俺のやり方を教えることになります」
「教えられないって、言ってた」
「言いました」
「じゃあ、見習いって何」
「横で、勝手に見る人です」
「勝手に見ていいの」
「はい」
「聞いてもいいの」
「答えられたら、答えます」
「答えられなかったら」
「一緒に考えます」
ミオさんは口を開けて、閉じた。尻尾が一度だけ動いた。
「条件が、一つあります」
「……言って」
「直すより先に、壊さない練習をしてください」
「……壊さない練習って、何するニャ」
「そのうち、分かります」
「今、教えてよ」
「今言うと、練習になりません」
「なにそれ」
「はい」
俺は荷から袋を出した。朝、革屋で買った袋だ。銅貨、四枚だった。
まだ、何も入っていない。入っているのは、鑢が一本だけだ。ガドーさんが打った鑢を、一本分けた。
「これ、道具袋です」
「……空じゃん」
「鑢が一本、入ってます」
「一本しかない」
「はい」
「あんたのは、三本ある」
「増やすのは、自分でです」
ミオさんは袋を両手で持って、肩から掛けた。位置を三度直したが、三度目で手が止まった。
止まったまま、しばらく動かなかった。
シルフィさんが横に来た。
「ミオ」
「……なに」
「掛け方が、逆でございます」
「逆」
「利き手の側に、口を向けます」
「……なんで」
「片手で開けるためです」
「あんた、持ってないでしょ」
「わたくしも、持っております」
「え」
「受付にも、道具はいります」
ミオさんは袋を掛け直して、口を利き手の側にした。
「先輩じゃん」
「はい」
「……嫌な感じ」
「よく言われます」
ハーグさんが、帳簿を閉じて、こちらを見ていた。
見ていたことに気づかれて、また開いた。
壁の高いところに、四角い跡がある。色の抜けていない、板の色のままの四角だ。
昔、そこに何かが掛かっていた跡だと聞いた。外された日から、誰も触っていない。
いま、その下に人が座っている。
卓が三つ埋まっていた。昨日は、一つだった。
そのとき、外で馬の足音がした。石畳をゆっくり踏む音だ。
窓の外に、馬車が止まった。
黒く塗った、大きな馬車だった。
扉に紋が入っている。
見覚えのある紋だった。
ゼルダン商会の紋だ。




