第51話「治すのと、直すのは違う」
宿へ戻ったのは、日が落ちてからだった。
土間に灯りが一つ。
俺は道具袋を開けて、中身を並べた。鑢が三本、金槌が一つ、油の壜。
使わなかった日でも、並べる。並べれば、明日の順番が決まる。
「ルーク様」
「はい」
「お手が赤うございます」
「錆ですね」
「洗っても落ちませぬか」
「三度、洗いました」
「四度目をお汲みします」
「あ、自分でやります」
「お座りください」
「はい」
シルフィさんは、桶を持って外へ出ていった。
今日は三十件を触った。剣が二十二、槍が四、あとは細かいもの。
数えたのは、シルフィさんだ。俺は数えていない。数えると、遅くなる。
土間には、ミオさんが残った。上がり框に、膝を抱えて座っている。膝の上に布包みがあった。
ギルドでは、結び目をほどかなかった。
「ミオさん」
「……」
「さっきの話ですけど」
「うん」
「手、見ていいですか」
「……いい」
ミオさんは包みをほどいた。ほどいて、そのまま俺のほうへ滑らせた。
布は何度も畳み直されていた。折り目が深く残っている。
中に木の手が三つあった。二つは指が五本ある。一つは指が二本しかない。
「これ、三本目ですね」
「……まだ、途中」
彫りかけの木は、手首から先が四角いままだった。親指と人差し指。そこで、鑿が止まっている。
木口が乾いて、白い。ささくれが逆立っていて、撫でると削り屑が舞った。
「乾いてますね」
「うん」
「いつからですか」
「……冬から」
「冬から、彫ってないんですね」
「触ったよ。毎日、触った」
「触ってはいたんですね」
「……彫れないニャ」
「鑿が悪いんですか」
「鑿は、いい」
「じゃあ、手ですか」
「……手も、いい」
「そうですか」
「わかんない」
「はい」
「持つと、重いの」
「木がですか」
「木が」
ミオさんは耳を伏せた。伏せた耳は動かなかった。
「ねえ」
「はい」
「あのさ」
「はい」
「……腕を、戻して」
土間が静かになった。外で、桶に水が落ちる音がした。
「戻せません」
「なんで」
「治すのは、お医者さんの仕事です」
「お医者は無理だって言った」
「そうですね」
「じゃあ、あんたの番でしょ」
「俺は壊れる前に戻すだけなんです」
「同じでしょ」
「違うんです」
「どこが」
「無くなったものは、戻す先がないんです」
ミオさんは口を開けた。開けて、何も言わなかった。
「じゃあ、なんで直せるって言われてるニャ」
「剣は、直せます」
「腕は」
「腕は、直せません」
「なんで」
「壊れたんじゃなくて、無くなったので」
「同じでしょ」
「壊れたものには、前の形があります」
「……」
「無くなったものは、前の形の置き場がないんです」
「置き場」
「はい」
「そんなの、探せばいいでしょ」
「探しました」
「……いつ」
「今、探しました」
「……」
「ないです」
ミオさんの肩が落ちた。落ちて、そのまま前へ倒れた。
額が膝についた。声は出さなかった。出さないまま、背中だけが動いていた。
シルフィさんが戻ってきた。
桶を土間へ置いて、水の音を立てなかった。立てないまま、横に座った。
慰めなかった。
背に手を置いただけだった。置いたまま、動かさなかった。
俺はそこに立っていた。立って、何も言えなかった。
言えることは、さっき全部言った。
言ったことは、正しかったと思う。
正しいことを言って、人が丸くなるのを、俺は初めて見た。
灯りの芯が、短くなっていた。俺は芯を出して、火を長くした。
それくらいしか、することがなかった。
しばらくして、俺は彫りかけの木を手に取った。手に取って、灯りへ寄せた。
木は楡だった。
木目が、手首から指のほうへ流れていて、途中で節を避けていた。
避けた線が、そのまま指の腹になっている。
「ミオさん」
「……なに」
「これ、楡ですね」
「……そう」
「どこの木ですか」
「町の裏。倒れてたやつ」
「倒れてたんですね」
「うん」
「倒れる前は、立ってたんですよね」
「……当たり前でしょ」
俺は木目を指でなぞった。
乾いた面が、指の腹に引っかかる。引っかかって、白い粉が浮いた。
「腕は、直せません」
「……聞いた」
「でも、これは木です」
ミオさんが顔を上げた。目のふちが赤い。
「木はまだ生きてたころのことを、覚えてます」
「……覚えてる」
「はい」
「木が」
「乾いても、忘れないです」
「なんで分かるの」
「触ると、書いてあるので」
「書いてない」
「書いてありますよ」
「どこに」
「木目です」
「これ、ただの線でしょ」
「線が、順番です」
「順番」
「太いところが、水の多かった年です」
「……」
「細いところが、少なかった年です」
「なんで、そんなの知ってるの」
「木は、みんなそうなので」
ミオさんは、俺の手の中を見た。見て、それから自分の手を見た。爪のあいだに、削り屑が入っている。
冬から、そのままなのだと思う。
「……直せるの」
「木は、直せます」
「腕じゃなくて」
「腕じゃなくて、木をです」
「木を直して、どうするの」
「木の手になります」
「……」
「動く木の手に」
ミオさんは返事をしないまま、俺の顔を見ていた。
信じていない顔だった。三度、突き返された人の顔だ。
俺は、五本指のほうを持ち上げた。持ち上げて、掌の上で向きを変えた。
彫り跡は粗く、線が揃っていない。
指の背に、鑿の滑った跡が三本あった。
深さが一つずつ違う。一本は深く、二本は浅い。深いのが、いちばん最初だと思う。
最初は、力が余る。
掌の面に黒い染みがあった。
汗の染みだ。
何度も握り直された跡が、そこに残っている。
握ったのは、彫った本人だ。
受け取ってもらえなかった手を、この子は自分で握っていた。
「これ、いつ彫ったやつですか」
「……一本目」
「いちばん最初ですね」
「うん」
「じゃあ、これにします」
「する、って」
俺は木の手を板の上へ置いて、姿勢を直した。
膝に手を揃えた。
これは、頼まれ事のかたちを取らないといけない。
勝手に直すと、あとで困る人が出る。親方にそう教わった。
「これ、彫った人の許可がいります。あと、使う人の許可も」




