第49話「掲示板と、門」
朝、ギルドの扉を開けた。ハーグさんはもう机にいた。昨日と同じ椅子に、前寄りに座っている。
「早いですね」
「年寄りは、眠りが浅い」
「同じことを言う人を、知ってます」
「そうか」
「その人は鍛冶屋でした」
「わしは鍛冶屋ではない」
「はい」
俺は道具袋を下ろし、椅子の横にしゃがんだ。
「ハーグさん」
「なんだ」
「昨日の続きです」
「……好きにしろ」
「はい」
「言っておくが、頼んではおらんぞ」
「聞きました」
「金も出さん」
「はい」
ハーグさんは立ち上がって場所を空けた。空けてから、腕を組んだ。組んで、こちらを見ないようにしていた。
俺は椅子の脚の布をほどいた。布の下は思ったより悪かった。
継ぎ目が割れて、木の芯まで乾いている。
乾いた木は、粉の匂いがする。
「二年、そうだったんですね」
「そうだ」
「じゃあ、二年ぶんです」
俺は割れ目に手を当てた。乾いた繊維が、下から順に湿りを取り戻していく。
割れた口が内側から寄っていった。
寄って、噛み合って、木目が続きになる。
新しい樹脂の匂いがした。
膠の色が、継ぎ目の奥で戻った。
俺は脚を持って揺すった。
揺れなかった。
「はい、いいですよ」
ハーグさんは、何も言わなかった。言わずに、腰を下ろした。下ろして、背もたれに寄りかかった。
寄りかかれるようになったのは、二年ぶりのはずだ。
その人は、しばらく動かなかった。
机も悪かった。天板が反って、抽斗が最後まで閉まらない。左の脚は、板を噛ませて高さを合わせてあった。
「机も、いいですか」
「頼んではおらん」
「はい」
天板の反りが音を立てて伸びた。乾いた薪が撓るような音だ。
噛ませた板が、要らなくなって落ちた。
抽斗を押した。奥まで入って、止まった。
ハーグさんが抽斗を引いて、閉めた。もう一度、引いて、閉めた。
三度目は、しなかった。
「外の掲示板も、見ていいですか」
「あれは、もう板ではない」
「板でした」
「見たのか」
「昨日、触りました」
掲示板は扉の横にあった。板の面に、苔が乗っている。苔は湿った緑ではなかった。乾いて、黒くなっていた。
紙は三枚。上の一枚は、雨で流れて読めない。
俺は枠に手を当てた。苔が薄片になって浮いた。浮いて、風のないところで剥がれ落ちていく。
落ちた下から、木の目が出た。
板の反りが、伸びた。
板は六枚ある。六枚が順に、時間をずらして鳴った。
釘の頭で、錆が薄く割れた。割れて落ちて、下から丸い頭が出てくる。
六本とも、頭が丸くなった。
俺は読めない紙を剥がした。剥がして、シルフィに渡した。
「これ、書き直せますか」
「読めませぬが」
「じゃあ、新しいのを貼りましょう」
「なんと書きますか」
「開いてます、と」
シルフィが筆を出した。
書いて、画鋲で留めた。
画鋲は、すっと入った。
板が受けたのだ。
「ミオさん」
「なに」
「画鋲、余ってますか」
「ある」
「何個ですか」
「六個」
「じゃあ、あと六枚貼れますね」
「紙がないよ」
「そのうち来ます」
「……来ないよ」
「来たときに、困ります」
「またそれ」
「またそれです」
ミオさんは、画鋲を六個、板の枠に刺した。刺してから、自分で刺したことに気づいた顔をした。
その音を、ハーグさんは中で聞いていた。
午後、俺は門へ行った。役人は詰所にいた。机に肘をついて、書き付けを見ている。
「あの門、直してもいいですか」
「なんの話だ」
「石の門です。閉まらなくなってるので」
「知っている」
「じゃあ」
「勝手なことをされては困る」
「困りますか」
「壊したら、誰が払う」
「壊しません」
「そう言って壊した者がいる」
「いたんですね」
「三年前だ。石を割った」
「では、割らないようにします」
「そういう話ではない」
役人は書き付けを置いた。置いて、初めてこちらを見た。
「許可を出す者がいないんだ」
「いないんですか」
「代官は、町にいない」
「どこですか」
「商会の館だ」
役人はそれきり口を閉じた。閉じた口の形が、言い慣れた形だった。
俺は詰所を出た。出たところに、ハーグさんが立っていた。外套を着ている。仕立てのいい、袖口の擦り切れた外套だ。
「聞こえていた」
「はい」
「あれは町のものだ。直したいなら止めん」
「止められると、思ってました」
「わしに止める権はない」
「ハーグさんはいいんですか」
「わしは何も頼んでおらん」
「はい」
「頼んでおらんから、止めもせん」
ハーグさんは、それだけ言って背を向けた。背を向けて、坂を上っていった。
蝶番は、握り拳ほどの瘤になっていた。俺はその瘤に手を当てた。
赤い錆が、薄い皮のようにめくれ上がった。
めくれて、剥がれて、下へ落ちていく。
瘤の下から、黒い鉄が出た。鉄の中で、粒が互いを探し始める。探して、見つけて、噛み合っていく。
噛み合った面が、面のまま黙って締まり、軸が通った。
俺は扉の下端を見た。地面を噛んでいた端が、少しだけ持ち上がっている。
指の一本ぶん、浮いていた。
溝に詰まった土を、掻き出した。
「シルフィさん」
「はい」
「押してみてください」
「わたくしがですか」
「片手で、いけると思います」
シルフィが扉に手を当てた。
当てて、押した。
扉が、動いた。
軋みもなく、大きなものが向きを変えた。
閂は壁に立てかけてあった。二年、立てかけたままだったのだと思う。
「ミオさん、そっち持てますか」
「持てる」
「重いですよ」
「持てる」
「じゃあ、せーので」
「……せーの、って」
「合図です」
「知ってる」
二人で、閂を担いだ。
ミオさんは、本当に持った。
俺はそれを受けへ落とした。
鉄が石へ落ちる音がした。低い音だった。低い音は、遠くまで行く。
「閉まりましたね」
「……閉まった」
「二年ぶりですね」
「うん」
「明日の朝、開けないといけませんね」
「開ける人、いるの」
「門番さんがいます」
「あの人たち、開け方知ってるかな」
「教えます」
酒場の話し声が、途中で止まったそうだ。どこかの家で、赤ん坊が泣いたそうだ。戸を開けて、表へ出てきた人がいたそうだ。
あとから、そう聞いた。
そのとき、俺は井戸端で手を洗っていた。錆の粉はなかなか落ちない。
三度、水を汲んだ。
「ルーク様」
「はい」
「町が静かでございます」
「そうですか」
「音が、聞こえたのだと思います」
「閂の音ですね」
「はい」
「重い閂でした」
俺は手を拭いて、宿へ戻った。
次の朝、ギルドの前に人がいた。昨日まで、誰も並んでいなかった場所だ。
十人ほど、坂に沿って立っている。
手ぶらの者は、一人もいなかった。布に包んだもの。鞘ごと抱えたもの。みんな、細長いものを持っていた。
先頭の男が俺を見た。見て、包みを持ち上げた。
「あんたか」
「はい」
「剣を、直してもらえると聞いた」




