第47話「秤の町」
「……金は、出せんぞ」
「お金はいりません」
「それが困る」
「困りますか」
「ただで人を使ったと、帳面には書けん」
ハーグさんは閉じた帳簿を指の背で叩いた。乾いた音がした。中身の薄い音だった。
「では、また今度にします」
「そうしてくれ」
「明日でもいいですか」
「今度と言った」
「はい」
俺たちは外へ出た。出たところで、ミオさんが先に立った。
「町、見る?」
「見たいです」
「じゃあ、こっち」
ミオさんの歩き方は速かった。速いのに、角ごとに止まる。
止まって、こちらを待ってから、また曲がる。
案内の仕方を知っている歩き方だった。
坂を、上から下へ歩いた。
俺は途中から数えていた。
石畳の割れが、十七。雨樋の落ちた家が、四軒。鎧戸が片方だけの窓が、九つ。
「ルーク様」
「はい」
「数えておいでですね」
「数えてます」
「いくつでございますか」
「五十を過ぎたところです」
「まだ、坂の半分でございます」
「そうですね」
「途中で、およしになりますか」
「やめると、忘れるので」
シルフィはそれきり黙った。黙って、俺の後ろを歩いた。
パン屋があった。開いている。台にパンが四つだけ並んでいた。夕方でもないのに、四つだった。
「あそこ、少ないですね」
「焼く量を減らしたんだと思う」
「売れないからですか」
「買う人がいないから」
「人はどこへ行ったんですか」
「出てった」
「どこへ」
「王都か、その途中」
ミオさんはパン屋のほうを見なかった。見ずに、坂を下りていく。
坂の下で道が広くなった。
広くなったところに、人が並んでいた。この町に来てから、初めて見る行列だった。三十人ほどいる。
並んでいる先に、建物があった。扉の塗りが新しい。庇に埃がない。この町で埃のない庇は、そこだけだった。
「あれは、なんですか」
「斡旋所」
「ギルドじゃなくて」
「ギルドじゃない」
看板は出ていた。
商会の名の下に、紋が焼き付けてある。波のような形の下に、輪が二つ。俺はその紋を知っていた。街道の縄にも、下がっていたものだ。
建物の前に、男が立っていた。薄い色の上着を着て、書き板を持っている。
列の一人ずつに、何か書き取っていた。
顔に、見覚えがあった。
「あ、こないだの」
男が顔を上げた。上げて、俺を見た。
目が一度、書き板へ落ちた。落ちてから、また上がった。
「……失礼、どちらで」
「契約書の。あれ、直させてもらいました」
男の指が書き板の縁を握った。握った指の甲が、白くなっていく。顔の色も、同じ速さで抜けた。
「……ああ」
「レンツさん、でしたよね」
「よく、覚えておいでで」
「紋を、覚えていたので」
レンツさんは笑った。笑ったまま、一歩、下がった。下がっただけで、書き板は下げなかった。
「あれは、こちらの手違いでした」
「そうだったんですか」
「直していただいて、助かりました」
「よかったです」
「本当に、助かりました」
同じことを、二度言った。言い方は、丁寧なままだった。
俺は、それ以上のことは考えなかった。
列が少し詰まった。レンツさんは、列のほうへ体を向けた。向けてから、もう一度こちらを見た。
「ミルデには、長く」
「わかりません」
「そうですか」
「壊れているものが、多いので」
レンツさんの笑顔は、動かなかった。動かないまま、次の人の名を呼んだ。
俺たちはそこを離れた。角を曲がってから、ミオさんが言った。
「あいつ、顔が白くなったニャ」
「そうでしたか」
「見てなかったの」
「見てました」
「じゃあ、なんで平気なの」
「白いのは、体の調子でしょうか」
「……違うと思う」
シルフィが口を押さえていた。押さえて、下を向いている。
笑っていた。
「シルフィさん」
「はい」
「斡旋所はギルドと同じことをするんですか」
「似たことでございます」
「じゃあ、二ついるんですか」
「二ついるかは、町の方が決めます」
「決めたんですね」
「決めた、というより」
「はい」
「近いほうへ、寄っただけかと」
「近いですね」
「ギルドは、坂の上でございます」
「上りですね」
「荷を持って上る坂は、長うございます」
「長いですね」
広場に秤があった。石の台の上に、腕木が渡してある。両端に皿が下がっていた。
町の秤だ。売り買いの目方は、これで決まる。
台座に、紋が焼き付けてあった。斡旋所の看板と、同じ紋だ。
分銅はそばの箱に入っていた。箱には、鎖と錠が付いている。
「分銅、しまってありますね」
「貸し出しだよ」
「借りるんですか」
「借りる。一回で銅貨二枚」
「毎日ですか」
「売る人は、毎日」
女が二人、秤のそばで話していた。声を落としてはいなかった。
「うちの麦、また目減りしてたよ」
「うちもだ」
「去年より、袋が軽くなった気がするんだ」
「気がするだけだって言われるよ」
「言われた」
「言っても、秤は狂ってないって言われる」
「証す道具が、向こうのだからね」
「こっちの分銅を持ってくればいい」
「持ってきたら、認められないんだよ」
「そうだったね」
二人は、それだけ言って離れていった。
俺は秤の前にしゃがんだ。台座の据わりを見た。
右の隅の下に、割れた石が噛ませてある。噛ませ石が薄い。腕木が、右へわずかに傾いていた。
「シルフィさん」
「はい」
「これ、台が傾いてます」
「傾いておりますか」
「指一本の、半分くらいです」
「それは、直りますか」
「持ち主が、わかりません」
「……また、それでございますか」
「また、それです」
俺は立ち上がった。立ち上がって手を払った。払った手を、ミオさんが見ていた。
「聞かないの」
「何をですか」
「秤の話」
「目方の話ですか」
「うん」
「俺は台の傾きしか見てないので」
「……そう」
「そうです」
日が、屋根の向こうへ落ちかけていた。
掲示板の紙が、三枚だったことを思い出した。
「ミオさん」
「なに」
「この町の冒険者はどこにいるんですか」
「酒場」
「みんなですか」
「みんな」
「昼からですか」
「昼から」
ミオさんは、坂のほうへ歩き出して、途中で足を止めた。止まって、細い横道の奥を見た。
灯りが一つだけ点いている。
「ダグは、酒場にいるニャ」
名を、初めて聞いた。
俺は、そちらへ目をやった。
開いた戸の向こう、いちばん奥の卓。男が一人、壁にもたれて座っていた。
肩が広い。左の袖が、肘の下で結んであった。




