第45話「寂れた町」
縄は誰も見張っていなかった。
「これ、誰が張ったんでしょう」
「役人ではございません」
「わかるんですか」
「役人の札は日付を入れます」
木札には日付がなかった。
ミオさんが林のほうを指した。
「こっち、抜けられる」
「いいんですか」
「道じゃないから、禁じられてない」
「なるほど」
「なるほどじゃないよ」
「でも、通れますよね」
「通れる」
理屈が通っている気がした。通っている気がしただけかもしれない。
林を抜けたのは、次の日の夕方だった。
ミルデの門が見えた。石の門だ。高い。オルトのどの家より高い。扉が開いていた。半分だけ。
俺は扉に近づいた。
下の端が、地面を噛んでいる。石畳を削って、溝ができていた。溝には、土が詰まっていた。草が生えている。
蝶番を見ると、錆が瘤になっていた。握り拳ほどある。
「この門、開かないんじゃなくて閉まらないんですね」
「……そうだニャ」
「いつからですか」
「あたしがいたころから」
「何年ですか」
「二年」
「二年、閉めてないんですか」
「うん」
「夜もですか」
「夜も」
「危なくないですか」
「危ないよ」
「そうですよね」
門番が二人いた。槍を持って壁にもたれている。二人ともこちらを見なかったので、通行料も取られなかった。
「シルフィさん」
「はい」
「通行料、三倍じゃなかったですか」
「三倍のはずでございます」
「取られませんでしたね」
「はい」
「なぜでしょう」
「取る相手が、来ないからでございましょう」
俺はもう一度、蝶番を見た。瘤になった錆の下に、まだ鉄が残っている。
手を伸ばしかけて、止めた。
「ルーク様」
「はい」
「なさらないのですか」
「この門、誰のものでしょう」
「町のものかと」
「町の人って、誰ですか」
「……はい」
「聞く相手が、いないんです」
シルフィはうなずいた。うなずいて、門を見上げた。
「では、聞ける方を探しましょう」
「はい」
ミオさんがこちらを見ていた。見て、何か言いかけて、やめた。
中へ入った。大通りは広いが、人がいない。
夕方だった。
夕方なのに、市が立っていない。台だけが並んでいる。布もかかっていない台が、二十ほど。
石畳が割れて、割れ目から草が出ている。膝の高さまで伸びているのもあった。
角に水道の口があった。石の獣の口から、水が出るようになっているが、出ていない。
下に置いた桶が伏せてあった。
伏せた桶は、使わない桶だ。
「水は、どこで汲むんですか」
「川」
「遠いですか」
「坂の下」
「往復で、どれくらいですか」
「半刻」
「毎日ですか」
「毎日」
「詰まってるだけだと思います」
「そうなのですか」
「口の奥に、砂が溜まる作りです」
「では、直せば」
「直りますね」
「では」
「持ち主が、わかりません」
「……また、それでございますか」
「また、それです」
屋根が抜けている家が、三軒あった。
抜けた穴から、空が見えた。
空が見える家には、人が住めない。
俺は立ち止まっていた。立ち止まったつもりは、なかった。
「ルーク様」
「はい」
「お顔が」
「いえ」
「……はい」
シルフィは、それ以上言わなかった。
俺は歩き出した。少し後ろで、この人が息を吐いたのが聞こえた。
「シルフィさん」
「はい」
「俺、変な顔をしてましたか」
「いいえ」
「してましたよね」
「していらっしゃいませんでした」
「そうですか」
この人は、やはり嘘が下手だ。
「宿は、どこでしょう」
「あそこに看板が」
「潰れてる」
ミオさんがそちらを見ずに言った。
「去年、潰れた」
「ほかには」
「坂の上に一軒」
「開いてますか」
「知らない」
「じゃあ、行ってみましょう」
「その前に、ギルド」
「ギルドですか」
「……先に、ギルド」
ミオさんの足がそちらへ向いた。向いてから、また止まった。
止まっては動き、動いては止まる。この町へ入ってから、ずっとそうだった。
角を曲がろうとしたとき、ミオさんが立ち止まった。
「こっち」
「そっちですか」
「……こっち、近道ニャ」
俺はそちらへ曲がった。細い道だった。人が、一人も歩いていない。途中で、正面から荷を担いだ男が来た。
男はミオさんを見た。見て、目をそらした。
そらしてから、道の反対側へ寄った。すれ違うまで、こちらを見なかった。
ミオさんは、耳を伏せて歩いていた。俺は何も聞かなかった。
シルフィが、ミオさんの隣に並んだ。並んだだけで、何も言わなかった。
ギルドは、大通りへ戻ったところにあった。
建物は大きい。石造りで二階がある。窓が六つ。この町でいちばん大きい建物だと、すぐにわかった。
「立派ですね」
「大きゅうございます」
「ベルタさんの話と、違いますね」
「建物は、痩せませんので」
「そうですね」
看板が傾いていた。鎖が片方切れて、片側だけで下がっている。
彫ってある字は、まだ読めた。
掲示板が、扉の横にあった。
紙が、三枚。
「三枚ですね」
「三枚でございます」
「少ないんですか」
「以前は、板が埋まっていたそうです」
「埋まって」
「隙間なく、貼られていたと」
一枚目は、日付が先月だった。
二枚目は、去年の秋。
三枚目は、雨に流れて読めない。
読めないものが、いちばん上に貼ってあった。
新しいものを貼る人が、もういないのだと思う。
「ミオさん」
「なに」
「ここ、来たことありますか」
「ある」
「入りますか」
「……先に入って」
「はい」
ミオさんは、俺の後ろに立った。立って、俺の袖をつまんだ。つままれたのは、初めてだった。
扉には、取っ手がなかった。落ちたのだと思う。ねじの穴が二つ残っている。
俺は指を隙間にかけた。
引くと重かった。重いのに、途中から急に軽くなった。蝶番が下がっている。このまま使えば、いつか外れる。
中は暗かった。窓が六つあるのに暗い。窓に板が打ってあった。内側からだ。
埃の匂いがした。長く人の出入りがない匂いだった。
広い部屋の奥に、机がひとつ。机の上に、蝋燭が一本。
その明かりの中に、老人が一人、座っていた。
帳簿を睨んでいた。
俺たちが入っても、顔を上げなかった。
上げずに、その人は言った。
「悪いな。うちは今、依頼を出せんのだ」




