第42話「木でできた手」
木の手は俺の足元で止まっていた。
拾おうとして、手を止めた。
「触ってもいいですか」
「だめ」
「はい」
俺は手を引いた。
ミオさんが膝で来て、それを拾った。拾って、胸に抱えた。
抱え方が、赤ん坊を抱えるときの形だった。その日はそれきりだった。
列は五十九件あって、日が暮れるまで終わらなかった。
終わったころには、ミオさんは土間の隅で眠っていた。眠っていても、手は抱えたままだった。
夜、囲炉裏に火を入れた。
ミオさんはいちばん遠いところに座っていた。壁を背にして、戸口が見える位置だ。
そういう座り方をする人を、俺は前にも見たことがある。団にいたころ、斥候の人が、いつもそこに座っていた。
「食べてください」
シルフィが椀を出した。
「いらない」
「冷めます」
「いらない」
「冷めたものを、わたしは片づけません」
ミオさんは椀を取った。三口でなくなった。
「おかわり、ございます」
「……ある?」
「ございます」
「じゃあ」
「はい」
二杯目は四口かかった。落ち着いてきたのだと思う。
二杯目を食べ終えたころ、ミオさんが包みを膝に載せた。
載せて、しばらく指で結び目をいじっていた。
それから、俺のほうへ押し出した。
「……見て」
「いいんですか」
「見てって言ってる」
俺は木の手を受け取った。囲炉裏のそばまで寄せて、明かりの向きを変えた。
彫り跡は粗かった。刃を入れた線が、一本ずつ揃っていない。
同じ場所を、何度も削り直している。深くなりすぎて、また埋め直した跡もある。
軽い。楡だ。乾かし方が足りていない。
手首の切り口がささくれていた。鋸を途中で持ち替えた跡がある。三度、持ち替えている。
指は五本あった。
関節のところに、切れ込みが入っている。深さが、一本ずつ違う。
俺は指を一本、動かそうとした。動かなかった。
「彫った人、手が震えてますね」
ミオさんが立ち上がった。
「あたしだニャ!」
俺は木の手を膝に置いた。
「すみません。……でも、丁寧です。指の数、間違ってない」
「そんなの、当たり前でしょ」
「当たり前じゃないです」
「え」
「急いで彫ると、四本になります」
「……ならないよ」
「なるんです。私は一度なりました」
ミオさんは座り直した。座り直してから、小さい声で言った。
「四本のやつ、どうしたの」
「彫り直しました」
「捨てなかったの」
「捨てるほど、悪くはなかったので」
俺は掌のほうを見た。黒い染みがある。汗だ。
手垢が木目に沿って沈んでいる。何度も握り直した跡だった。握ったのは、彫った人だ。渡した相手ではない。
「楡ですね」
「よく知らない」
「白くて、粘りのある木です」
「うん」
「どこの木ですか」
「野営してた場所に、生えてた」
「近い木を使ったんですね」
「悪い?」
「悪くないです。近いのがいちばんです」
ミオさんが少し黙った。
「乾かすの、どれくらい?」
「木によります。楡なら二年」
「二年」
「はい」
「……知らなかった」
「知らないと、割れます」
三本のうちの一本は、たぶんそれで割れたのだと思う。
聞かなかった。
「指の長さ、測りましたね」
「測った」
「反対の手でですか」
「うん。寝てるときに」
「起きなかったんですか」
「あたし、足音消せる」
「そうでしょうね」
「関節、切ってありますよね」
「切った」
「動かすつもりで彫ったんですね」
ミオさんは答えなかった。答えずに、火を見ていた。
「見せていただけますか」
シルフィが、手を出した。
「だめ」
「……はい」
シルフィは手を引いた。引いて、そのまま隣に座った。
断られたのに、離れなかった。
ミオさんの耳が、そちらへ一度だけ向いた。
「ミルデって町、知ってる?」
「名前だけ」
「そこにいた」
「はい」
「灰蜂ってパーティーで、あたしが斥候」
「斥候」
「先に行って、見てくる係」
「大事な係ですね」
「大事なのに、見落とした」
火が、ぱちりと鳴った。
「北の鉱山道の依頼だった」
「はい」
「支えの柱が、腐ってた」
「はい」
「あたし、通ったのに見なかった」
声がそこで少しだけ強くなった。
「リーダーが、腕を持ってかれた」
俺は木の手を見た。
「この手ですね」
「三本彫った」
「三本」
「三本とも、突き返された」
ミオさんの声は、怒っていた。怒った声でしか、言えないのだと思う。
「いらないって言われた」
「はい」
「二度と来るなって言われた」
「はい」
「なんで、謝らせてくれないんニャ」
俺は、何も言わなかった。いや、言うことがなかった。
シルフィも、言わなかった。
この人は、答えのない問いに答えを出さない。代わりに、火に薪を一本足した。
薪は細いのを選んでいた。大きい火にすると、話が終わってしまうからだと思う。
ミオさんの膝の上で、包みの結び目がまた解けかけていた。
解けかけたまま、直そうとしない。
直す気がないのではない。手がそこまで回っていないのだと思う。
火が低くなった。
シルフィが奥へ立ち、立つ前に毛布を一枚置いていった。
俺は木の手を布で包み直した。
結び目を、二つにした。
「これ、返します」
「直さないの」
俺は、手を止めた。
「直していいと、言われてないので」
「言ってないだけだよ」
「はい。だから、直しません」
ミオさんがこちらを見た。
「……言えば、直すの」
「言われたら、考えます」
「考えるだけ?」
「見てわからないと、できないんです」
「これ、見たでしょ」
「見ました」
「じゃあ、わかったでしょ」
「木のことは、わかりました」
「ほかに何があるの」
俺は包みを差し出した。
「この手が、もとはどういう形だったのか」
「……木だよ。もとから木」
「そうですね」
「そうだよ」
「はい」
自分でもうまく言えなかった。木の手には、もとの形がない。壊れて出てきた形ではなく、はじめから、この形で生まれている。
ミオさんは、包みを受け取った。受け取って膝に抱えた。抱えたまま、動かなくなった。
俺は火に灰をかけた。かけながら、聞いた。
「ミオさん」
「なに」
「その人、まだ生きてるんですか」
ミオさんの耳が、止まった。
火が、細くなった。
「……わかんないニャ」




