第38話「復興祭」
祭りをやると決めたのは、ハンナさんだった。
「二十二年ぶりだ」
「祭り、あったんですか」
「あった」
「なんの祭りですか」
「知らん」
「知らないんですか」
「昔からやっとった。理由は誰も覚えとらん」
いい理由だと思った。
「日はいつですか」
「明後日」
「早いですね」
「年寄りは、先が短い」
ハンナさんは、それだけ言って行ってしまった。
その日のうちに、広場の石積みの台が磨かれた。
誰がやったのかはわからない。この村は、最近そういうことばかりだ。
当日の昼、鍛冶場から音がやんだ。鳴りっぱなしだったのが、ぴたりと止んだ。
「ガドーさん」
「おう」
「終わりましたか」
「終わった」
「何を打ってたんですか」
「これだ」
布が外された。
鐘だった。
背は俺の腰くらい。口が広くて、肩がなだらかで、下の縁が少しだけ厚い。
「大きいですね」
「小せえよ」
「そうですか」
「本物は、人の背より高い」
ガドーさんは、鐘の腹を掌で撫でた。
「五十年、打ってなかった」
「鐘をですか」
「鐘だ。うちの親父の仕事だ」
「じゃあ、これは」
「思い出しながら打った」
俺は鐘を見た。
肌に細かい槌の跡が残っている。均してはいない。均さないのが、この人の流儀だ。
「直しましょうか」
「触るな」
「はい」
「これは、壊れとらん」
「そうですね」
俺は手を後ろで組んだ。
ガドーさんが笑った。この人が笑うのを、久しぶりに見た。
鐘は広場の櫓に吊るされた。櫓はボルグさんが組んだ。八年杖をついていた人の組む櫓は、驚くほど垂直だった。
日が傾いてから、ハンナさんが打った。
一度だけ。音は、思ったより低かった。
低い音が斜面に当たって、村へ戻ってきた。戻ってきた音が、もう一度、遠くへ抜けていく。
列に並んでいた人たちが、いっせいに顔を上げた。
「……鳴った」
「鳴りましたね」
「ルーク様」
「はい」
「今日は、休業でございます」
「え」
「板に、そう書いて出しました」
「いつですか」
「三日前です」
俺は何も聞いていなかった。
露店が広場を囲んだ。
ベルタさんの店がいちばん大きい。塩と、干した果物と、王都の菓子。菓子は、子供に一つずつ配っていた。
「ベルタさん、それ、売り物では」
「今日は撒く日だ」
「損しませんか」
「撒いた種は、来年拾うんだよ」
「なるほど」
「わかってないだろ」
「わかってないです」
リナさんの鍋が三つ並んだ。
俺が直した鍋だ。持ち手のところが、まだ少し不格好にしてある。本人がそのほうがいいと言うので、そうした。
「ルークさん、食べた?」
「まだです」
「座って」
「あとで」
「いま座って」
「はい」
椀が押しつけられた。豆と、干した肉と、名前を知らない菜っ葉。塩が効いていた。
「うまいですね」
「鍋がいいのよ」
「腕だと思いますけど」
「鍋よ」
リナさんは、そう言って笑った。
ボルグさんは、酒が入ると踊った。両脚で、跳ねて回った。
八年杖をついていた人の踊りは、下手だった。下手なのに、誰も笑わずに手を叩いていた。
ハンナさんだけが、手を叩かずに見ていた。見ながら、袖で目を拭いていた。
火が高くなったころ、シルフィが台に上がった。
誰かが頼んだのではない。自分から上がった。
「森の舞を、ひとつ」
誰もしゃべらなくなった。
鐘がもう一度鳴った。今度はガドーさんが打った。
シルフィは、その音に合わせて、足を出した。右の足だった。
跳ねない。回らない。ただ、踵から爪先へ、体の重さを移していく。
それを、何度も繰り返す。そういう舞なのだと思った。思ってから、気がついた。
あの人は、右の足に体重を乗せて見せているのだ。
乗せてこちらを見た。目が合った。
俺は頭を下げた。何を下げているのか、自分でもわからなかった。
舞が終わると、しばらく誰も動かなかった。
それから、村中が拍手をした。新しく来た人たちのほうが、大きな声を出していた。
俺は火の輪の外にいた。
外というほど遠くもない。だいたい、三歩ぶんだ。
膝の上に椅子があった。
誰かの家から出た、脚の折れた椅子だ。祭りの席が足りないと聞いたので、拾ってきた。
「折れてますね」
椅子は何も言わない。
「座られると脚は折れるんです。そういうものですから」
折れ口を合わせる。木の繊維が、割れた向きの逆へ戻っていく。ささくれが内側へ沈んで、面が閉じた。
樹脂の匂いが、少しだけ立った。
「はい、いいですよ」
椅子を地面に置いて、上から手で押した。がたつかない。
いい椅子だ。座面が広い。
「おじちゃん」
声がした。
コルだった。木札の束をまだ抱えている。
「はい」
「それ、直したの」
「直しました」
「すごいね」
「椅子ですから」
コルは椅子に座ってみた。座って、二度跳ねた。
「こわれない」
「壊れないです」
「ねえ」
「はい」
「修理屋のおじちゃん」
俺は顔を上げた。
「今、なんて」
「修理屋のおじちゃん」
「はい」
自分の声が、少し高くなったのがわかった。
「はい。修理屋です」
コルはきょとんとしていた。俺は、たぶん、笑っていたと思う。
今日いちばん、笑っていた。周りが、静かになっていた。
ベルタさんが、手のひらで顔を覆っていた。ガドーさんは、天を仰いでいた。
ハンナさんが、杖で地面を叩いた。
「……あれで、いいんだ」
「あれがいいんだよ」
ベルタさんが答えた。
「あれじゃないと、困るんだよ」
俺には意味がわからなかった。わからないので、コルの頭を撫でておいた。
火が低くなった。
人が、少しずつ帰っていく。俺は椅子をもう一つ拾って、膝に載せた。
「ルーク様」
「はい」
「まだ、なさるのですか」
「あと二つです」
「明日で、よろしいのでは」
「明日は、四十一件あるので」
シルフィが俺の隣に座った。座って、しばらく火を見ていた。
「ルーク様」
「はい」
「今日は、よい日でした」
「はい。鐘、よかったですね」
「はい」
「ガドーさん、五十年ぶりだそうです」
「存じております」
「そうですか」
シルフィがこちらを向いた。火の色が、頬に乗っていた。
「ひとつ、お願いがございます」
「はい」
「動かないでください」
「はい」
シルフィの手が伸びてきて、俺の手を、上から包んだ。
油と、木屑の匂いのする手だ。洗ったのに、落ちない。
シルフィは、離さなかった。




