第37話「【幕間】没落」
使者が戻ったのは、六日後だった。
二人とも、馬から降りると膝が笑っていた。
「連れてきたか」
ガイルが、最初にそう言った。
「……いえ」
「どこにいる」
「工房でございます」
「連れてこいと言った」
「断られました」
ガイルは二人の顔を順に見た。
「言い方が悪かったのだろう」
「団の名で命じました」
「それで」
「予定が埋まっていると」
「予定」
「はい」
ガイルは笑わなかった。
笑うところだと思ったのだろう。だが、二人の顔が笑っていなかった。
「もう一度言え」
「今さら戻れと言われても、お断りしますと」
メルヴィが、窓のほうを向いた。
「あの村は、いま何がある」
「宿がございます」
「宿」
「二階建てです。飯屋と、露店が十ほど」
「廃村だと聞いたが」
「二十年前の地図では、廃村です」
ドルクが口を挟んだ。
「待てよ。あいつ一人でだろ?」
「並んでおりました」
「何が」
「順番待ちの列が、道標の先まで」
「……何人だ」
「その日は、四十六と聞きました」
部屋が静かになった。
「壁に、依頼書が貼ってございました」
若いほうの使者が、そう言った。
「依頼書」
「壁一面です」
「村の依頼書か」
「いえ」
使者は、そこで一度、唾を飲んだ。
「紋が、入っておりました」
「紋」
「鳥と、塔と、魚と……獅子が二頭のものも」
ガイルの指が卓の上で止まった。
「見間違いだ」
「はい」
「そうだろう」
「……はい」
使者はそれ以上言わなかった。言っても届かないとわかる声だった。
ガイルの頭の中では、話が繋がっていない。
修繕係が辺境で工房を開いた。そこに人が並んでいる。ここまでは、飲み込める。
その二つと、自分の剣が欠けたことが、同じ一本の線でつながるとは思っていない。そういう線があると考えたことが、一度もないから。
装備は、その月のうちに三度買い替えた。
新しいものは、買った翌週に鈍る。鈍ったものは、その次の依頼で欠ける。当たり前のことだ、と武具屋の主人は言った。
当たり前でなかったのは、この十年のほうである。だが、そう言われても、比べるものがない。
「今月、いくら出た」
「金貨で二十二枚」
メルヴィが答えた。帳面は彼女が持っていた。
「稼ぎは」
「十四枚」
「足りんな」
「足りないわ」
「来月から詰める」
「詰めてこれよ」
ガイルは答えなかった。答えずに、新しい剣の刃先を見た。もう、丸い。
団の金庫は、十年ぶんの貯えである。その貯えが、月に八枚ずつ減っていく。減る速さは、誰にでも数えられた。
数えられるのに、誰も口に出さなかった。
二件目の未達は、その翌月だった。
護衛の依頼で、荷を一台落とした。人は誰も欠けていない。ただ、荷が落ちた。
ギルドの女は、前と同じ速さでペンを走らせた。
「格付けを、一段下げます」
「異議がある」
「承ります」
「うちは十年、落としたことがない」
「はい。ですので、一段で済みます」
ガイルは、受付台を離れなかった。
「見直しはいつだ」
「来月です」
「上げられるか」
「三件続けて達成なされば」
「三件だな」
「はい」
女は、そこで少しだけ声を落とした。
「勇者様」
「なんだ」
「装備を、お改めになったほうが」
「余計な世話だ」
女は頭を下げた。下げて、次の紙へ移った。
格が一段下がると、受けられる依頼の額が変わる。額が変わると、装備に回せる金が減る。
装備に回せる金が減ると、また落とす。帳面はそういうふうにできていた。
後援の家からの使いが来たのは、その十日後である。執事は丁寧だった。丁寧すぎるほどだった。
「本日は、御礼に参りました」
「礼」
「十年、当家の名を高めていただきました」
「これからもだ」
「その件でございます」
執事は書付を卓へ置いた。置き方が静かだった。
「来期より、支度金の御用立てを止めさせていただきます」
「……なぜだ」
「当家の都合でございます」
「格付けのことか」
「当家の都合でございます」
「二度言ったな」
「三度でも申します」
ドルクが立ち上がった。
「おい、待てよ。うちは勇者の団だぞ」
「存じております」
「王家の後援だってあるだろ」
「後援は家を通しております」
部屋が静かになった。
「家が離れれば」
「はい」
「後援も離れるのか」
「そういう仕組みでございます」
執事は頭を下げて出ていった。
卓の上に書付が残った。誰も触らなかった。
貴族が団を後援するのは、名のためである。名が下がった団を抱えれば、その分だけ家の名も下がる。
執事はそう言わなかった。言わないのが礼儀だからだ。
ドルクが出ていったのは、その月の末だ。
荷は驚くほど少なかった。
「悪いな」
「どこへ行く」
「南だ。荷運びの護衛がある」
「盾役が抜けてどうする」
「盾がねえんだよ、もう」
ガイルは、それきり黙った。
「なあ、ガイル」
「なんだ」
「あの列さ」
「なんの話だ」
「四十六人、並んでたって話」
「見間違いだと言った」
「……そうだな」
ドルクは戸口で一度だけ振り返った。
「俺の盾、革が切れただけだったんだよな」
「知らん」
「替えりゃ、使えたよな」
「知らんと言っている」
ドルクは出ていった。
ガイルは、そのあと剣の手入れを始めた。砥石を出して刃を当てる。手つきは、悪くなかった。悪くはないが、十分で飽きた。
「メルヴィ」
「なに」
「団は、建て直す」
「そう」
「腕が落ちたわけではない」
「そうね」
「装備が悪いだけだ」
「そうね」
「なぜ、そう繰り返す」
「あなたが、そう繰り返すからよ」
ガイルは砥石を置いて、窓の外を見た。
外は雨だった。
メルヴィが街道に立ったのは、その三日後の朝である。
杖は持っていなかった。割れたまま宿に置いてきた。
荷は、背負い袋がひとつ。
王都の門を出るとき、誰にも会わなかった。
勇者の団の魔導士が街道に立っているのを、見咎める者もいない。それが、いまの団の格だった。
道標が、二つに分かれている。片方は王都、もう片方は辺境だった。
消えかけていた辺境側の文字が、いつのまにか、はっきりと彫り直されていた。
誰が彫ったのかは、わからない。
メルヴィは、そちらへ足を向けた。




