第35話「使者、来たる」
白と青。馬が二頭、道の入り口で止まった。
「ベルタさん」
「見えてるよ」
「王都の方ですか」
「王家じゃないね」
「違うんですか」
「色は同じだ。紋が違う」
「どこの紋ですか」
「勇者の団だよ」
俺は松明の下の外套を見た。なるほど、見覚えがある。十年、あの色の裾を下から見上げていた。
「知り合いですね」
「知り合いって面してないよ。あれは」
背の高いほうが、鞍から降りた。
「この村の者はいるか」
シルフィが前に出た。
「おります」
「オルトで間違いないな」
「はい」
「……村、か」
男があたりを見回した。
宿の窓に灯りが並んでいる。露店の骨組みが、道の両側に立っている。
「地図では、廃村だが」
「二十年前の地図でございましょう」
「そうだ」
「では、そのころは廃村でした」
男は答えなかった。
「修繕係のルークという男がいるはずだ」
「おります」
「出せ」
「工房は、日の出とともに開きます」
「今すぐだ」
「明朝、順番でお願いいたします」
男の声が、少し大きくなった。
「順番」
「はい」
「勇者様の使いだぞ」
「存じております」
「聞いていなかったのか。今すぐと言った」
「聞いております」
シルフィは、両手を前で重ねた。
この形になったときは、動かない。俺はもう知っている。
「宿がございます。二階の部屋が空いております」
「宿だと」
「一泊、銅貨三十枚でございます」
若いほうの使者が、口を開けた。
「……この村に、宿があるのか」
「ございます」
二人は、しばらく動かなかった。馬の首を風が撫でていった。
道の左右で、露店の主が荷を片づける手を止めている。誰も逃げなかった。戻ってきたころなら、夜の馬を見ただけで戸を閉めた人たちだ。
ハンナさんが、杖をついて出てきた。
「馬は外の柵につなげ」
「老婆。誰に向かって——」
「糞を道でされると、明日困る」
背の高いほうが口を閉じた。閉じて手綱を引いた。
この村でいちばん強いのは、いまだにあの人だと思う。
朝、俺はいつもどおり工房を開けた。
列は暗いうちからできている。
コルが木札を配って回っていた。走り方が日に日に速くなる。
「三十一番の人ー!」
「はいはい」
「次、三十二番!」
ボルグさんが、道の真ん中で荷車を捌いていた。
「そこ、詰めろ! 馬は外だ!」
鍛冶場の煙突から、煙が二本上がっている。
その下を、白と青の外套が二つ歩いてきた。
歩いて、途中で止まった。
「……おい」
「はい」
「ここは、どこだ」
「オルトです」
「そうではない」
背の高いほうが、列を指した。列は、道標の先まで続いている。
「あれは、なんの列だ」
「うちの順番待ちです」
「何人だ」
「今日は、四十六までです」
男は次に道の端を見た。
石が並べてある。轍が均してある。溝が切ってあって、水が流れている。
「この道は、誰が敷いた」
「勝手に敷かれました」
「勝手に」
「気がついたら、広くなってて」
「……王都の職人街より、整っているぞ」
「そうですか」
「そうですかではない」
鍛冶場の前を通ると、槌の音が三つ重なった。ガドーさんの音と、弟子の音が二つ。まだ間が揃っていない。
その向かいで、リナさんが鍋を出していた。列に並ぶ人に椀を配って回っている。湯気が、朝の光の中でまっすぐ立っていた。
「……朝から、飯屋が出ているのか」
「並ぶと、腹が減るので」
「そういう話をしているのではない」
若いほうが、ずっと黙って宿の看板を見上げていた。
——神匠の宿。
「あの」
「なんだ」
「その看板は、俺のじゃないです」
「聞いていない」
「一応、言っておこうと思って」
「聞いていないと言っている」
二人は列の横を歩いていった。
外套を見ても、誰も道を空けなかった。空けるどころか、木札を握り直した人が何人かいた。
順番はこの村でいちばん重い掟になっている。
工房に入って、俺は台に向かった。
今日の一番は石臼だった。粉挽きの石臼が、真ん中から割れている。ミルデから荷車で運ばれてきたものだ。
「よく来ましたね、こんなに重いのに」
石臼は何も言わない。
「見ますね」
俺は割れ口に指を置いた。石は木より遅い。中で目が詰まっているところを、順番に探していく。
割れ口の縁が白く粉を吹いていた。その粉が、下から吸われるように減り始める。
「あ、ここ、前にも割れてますね」
二度目の割れだった。一度、鎹で留めてある。
鎹の錆が、薄片になって剥がれていった。剥がれた錆が台の上へ落ちる。落ちて、赤い粉の輪をつくった。輪の内側で、鉄の色が戻っていく。
石のほうは、もっと静かだった。割れ口の両側から、細かい粒が起き上がってくる。起き上がって、向かいの粒を探す。
探し当てた粒どうしが、順に噛み合っていった。噛み合うたびに、割れ目が指の幅ぶんだけ短くなる。
「もう少しですね」
石臼は何も言わない。
「急がないので、大丈夫ですよ」
「ルークだな」
声がした。
顔を上げずに、返事をした。
「ルークです」
「勇者ガイル様の使いである」
「そうですか」
「勇者様がお呼びだ。戻れ」
俺は指を動かし続けた。石の目がいま半分まで噛み合っている。ここで手を離すと、噛み合った途中で固まる。
割れているものは、まだ直せる。半端に繋がったものは、どこが元の形か、こちらにもわからなくなる。だから、途中でやめない。
これは、腕の話ではなく、段取りの話だ。
「聞こえているのか」
「聞こえてます」
「では、立て」
「立てないです」
「なんだと」
「これ、いま途中なので」
「石など、あとにしろ」
「あとにできないんです」
「たかが臼だろう」
「臼です」
「では、あとでいい」
「途中でやめると、途中のまま固まるので」
男が卓を叩いた。石臼の上で、粉が少し跳ねた。
「お前は、団を追われた身だぞ」
「はい」
「その団が、戻れと言っている」
「はい」
「わかっているのか」
「わかってます」
俺はそこでようやく顔を上げた。上げて、両手を石臼から離さないまま、少しだけ頭を下げた。
「すみません」
「なんだ」
「今、手が離せないので」




