第34話「【幕間】全壊」
折れた剣を見て、最初に動いたのはドルクだった。
「下がれ!」
大盾を前へ出すと、蜥蜴の頭が盾の面に当たった。
鈍い音がして、盾の縁が内へ折れた。
「ドルク!」
「平気だ!」
平気ではなかった。
二度目の当たりで、留め具の革が切れた。三度目で、盾は腕から離れて床を滑っていった。
「盾が!」
「拾うな」
「十二年——」
「拾うなと言っている」
ガイルは、柄だけになった聖剣を鞘へ押し込んだ。
「メルヴィ、火を」
「出すわ」
メルヴィが杖を突き出した。
詠唱の途中で、握りが鳴った。乾いた木の裂ける音だった。火は出た。出たが細かった。
「弱い!」
「わかってる!」
「もっと出せ」
「杖が保たないの!」
「保たせろ」
「無茶を言わないで」
三人は退がった。
退がりながら、ドルクが胸当てを捨てた。革紐で縛った胸当ては、走るたびに肩を打つ。
「置いてくのかよ」
「重いなら捨てろ」
「これ、十二年——」
「二度言うな」
階段まで四層ぶんあった。
三層でガイルの新しい剣が曲がった。
斬ったのではない。壁を蹴った拍子に、刃が横へ流れただけだ。
「曲がった」
「三日前に買ったやつだろ」
「そうだ」
「三日で曲がるかよ」
「曲がった」
ガイルが剣を膝で押し戻すと、戻ったが、まっすぐにはならなかった。
二層でメルヴィの杖が使えなくなった。
握りの裂け目が、指の長さまで伸びていた。そこから先は、火を通すたびに熱が漏れる。
「もう出ないわ」
「なら黙って走れ」
「そうするわ」
一層は走った。誰も口をきかなかった。
地上に出たのは、日が落ちてからだった。誰も死ななかった。
ドルクは手の甲を擦り剥き、メルヴィは膝を打った。ガイルは肩に痣を作った。それだけだ。
「……上出来だ」
ガイルが言った。
「上出来かよ」
「全員生きている」
「盾がねえよ」
「買え」
「買うって、あれ、団の——」
「買えと言っている」
ドルクはそれきり黙った。黙って、擦り剥いた手の甲を服で拭いた。
あの盾は、四層の床に置いてきた。留め具の革が切れただけの盾だ。
革を替えれば、まだ使えたはずだった。誰が替えるのかは、ドルクにはわからなかった。
ギルドの受付は、まだ灯りがついていた。
受付の女は、三人の格好を一度だけ見て、帳面を開いた。
「地下墓所の件、いかがでしたか」
「未達だ」
「未達、で記録してよろしいですか」
「……ああ」
「かしこまりました」
羽根ペンが走った。速かった。ためらいの一切ない速さだった。
「勇者様」
「なんだ」
「格付けの見直しは、来月です」
「知っている」
「未達が二件になりますと、下がります」
「二件になっていない」
「本日で、一件です」
ガイルは、受付台に手を置いた。
「一件で下がるのか」
「一件では下がりません」
「では、話は終わりだ」
「もう一点、よろしいですか」
「言え」
「地下墓所は、格で申しますと下から二番目の依頼です」
メルヴィが目を閉じた。
「それが、どうした」
「いえ。記録に残りますので」
女は頭を下げた。下げた頭の下で、ペンがもう次の紙へ移っていた。
ギルドの格付けは、都市ごとに帳面で決まる。誰が強いかではない。
受けた依頼を、どれだけ落とさずに終えたか。それだけが数字になる。落とした数が消えることはない。
勇者の団は、その帳面の上では、ほかの団と同じ一行だった。
宿の部屋に、装備を並べた。
並べてみると、よくわかった。
盾がない、胸当てがない、聖剣は柄だけ、杖は割れている。三日前に買ったばかりの剣は、刃先が丸くなっている。
「新しいのに、もう鈍ってやがる」
「鈍る」
「触ってみろよ」
ガイルは、触らなかった。
「明日、また買う」
「金は」
「団の金庫がある」
「今日、いくら出た」
「四枚と少しだ」
「それ、今朝の話だろ」
「今朝の話だ」
「明日また四枚か」
「四枚では足りん」
ガイルは、指を折った。
盾、胸当て、杖、剣。数えるまでもない数だった。
「十枚は要る」
「金貨で?」
「金貨でだ」
「うちの月の稼ぎ、いくらだったっけ」
「黙れ」
「三日で二度目だぞ」
「四度目だ」
ドルクが、口を開けた。
「四度?」
「留め金と、胸当てと、杖と、剣だ」
「……全部じゃねえか」
「全部だ」
誰も、何も言わなかった。窓の外で、犬が鳴いていた。
「なあ」
ドルクが、床に座り込んだ。
「うちの装備さ」
「なんだ」
「当たりだって、笑ってたよな」
「笑っていた」
「買ったとき、安いって言われて」
「言われた」
「なんで、急に外れになるんだ」
ガイルは答えなかった。答えの代わりに、丸くなった刃を指で弾いた。
鈍い音がした。その音を、ガイルは二度、聞き直した。
「……ドルク」
「おう」
「十年、この団の装備を見ていたのは誰だ」
ドルクが、顔を上げて少し考えた。考えている顔を、メルヴィは初めて見た気がした。
「……あー」
「言え」
「あいつか」
「あいつだ」
ガイルが立ち上がって、卓を蹴った。卓の上の金具が跳ねて、床へ落ちた。
「連れ戻せ」
「は?」
「あの修理係を連れ戻せ」
声が、部屋の壁に当たって返ってきた。
「明日、人をやる。辺境にいるらしい」
辺境という語に、メルヴィは顔を上げた。
どこの辺境かを、ガイルは言わなかった。たぶん、知らないのだ。
「らしいって、誰が言ったんだよ」
「行商の噂だ」
「噂かよ」
「噂でいい。連れ戻せば済む」
「済むのか」
「済む」
ガイルはそう言い切った。
言い切ってから、新しい剣を鞘へ納めた。納めるとき、また鍔が鞘の口に当たった。
メルヴィは何も言わずに、部屋を出た。
廊下は、暗かった。壁に手をついて、そこで足が止まった。
手のひらが冷たい。あの地下は、いつも明るかった。降りていくと、下のほうだけが明るかった。
自分は、一度も最後まで降りなかった。降りていれば、台の上のものを数えていただろう。剣が三本、鎧が二つ、杖が一本。
毎晩、同じ数だ。毎晩、同じ数ということの意味を、いま初めて考えている。
「……連れ戻す?」
誰もいない廊下に、声が落ちた。
「……私たちが、追い出したのに」




