第33話「【幕間】三日目の朝」
ルークが出ていって、三日目の朝だった。ガイルの剣が欠けた。二度目の素振りで、刃の先で乾いた音がした。
「今の、なんだ」
ドルクが顔を上げた。
「知らん」
ガイルが刃を目の高さに上げると、先の三寸に、白い欠けが三つ並んでいた。
「欠けてるぞ」
「見ればわかる」
「まだ何も斬ってねえだろ」
「斬っていない」
「じゃあ、なんで欠けるんだよ」
「知らんと言っている」
ガイルが剣を鞘へ戻すと、鍔が鞘の口に当たった。当たるはずのない場所だった。
卓の向こうで、メルヴィが顔を上げた。
「ガイル」
「なんだ」
「その剣、最後に研いだのはいつ」
「買ってから一度も欠けたことがない」
「訊いたのは、研いだ日よ」
「……知らん」
「そう」
「何が言いたい」
「いいえ」
メルヴィは杖を膝に立てた。
握りの木に細いささくれが出ていた。昨日は、なかったものだ。
指の腹で撫でると、木が湿っている。雨には当てていない。
いつもなら、朝にはきれいに乾いているはずのものだった。
支度の途中で、ドルクが妙な声を出した。
「あっ」
「どうした」
「留め金が」
胸当ての革帯が右の肩から垂れていて、金具が床に転がっている。
「拾え」
「拾ったよ」
ドルクは、金具を指でつまんで灯りにかざした。
「割れてる」
「見せろ」
「ほら」
ガイルが受け取った。
真鍮の輪が片側から裂けていた。裂け目の中が粉のように白い。
「安物を掴まされたな」
「これ、団に入ったときからのやつだぞ」
「十二年前だ」
「そんな前かよ」
「そうだ」
「じゃあ、なんで今日なんだ」
ガイルは、答えなかった。
答えずに、金具を卓へ置いた。
「留めるもんがねえと戦えねえぞ」
「革紐で縛れ」
「縛るのかよ」
「今日はそれでいい」
ドルクは革紐を口にくわえて、胸当てを担ぎ上げた。
担いだところで、また声を出した。
「あー」
「今度はなんだ」
「こっちの肩も、ぐらぐらする」
「両方か」
「両方だ」
メルヴィが、杖の先で床を突いた。
「武具屋へ行きましょう」
「その必要はない」
「あるわ」
「三日で二つだぞ。偶然だ」
「三日で二つよ」
言い方は同じで、意味が逆だった。
武具屋の主人は、三人の装備を順に台へ並べた。並べて、しばらく黙っていた。
「どうだ」
「……勇者様」
「言え」
「これは、うちで売ったものです」
「そうだ」
「よく持ちましたな」
ガイルの眉が動いた。
「持ったとは、どういう意味だ」
「言葉のとおりで」
「十二年で駄目になる品を売ったということか」
「十二年です」
主人は、胸当ての裏を返した。
「裏の革が、ここまで薄くなっております」
「薄い」
「限界の少し手前です」
「昨日まで、何ともなかった」
「昨日まで、誰かが油を入れておられたのでは」
ドルクが、口を挟んだ。
「誰も入れてねえよ」
「そうですか」
「なあ、そうだよな。ガイル」
「……ああ」
主人は、次に剣を取った。刃を寝かせて光を滑らせる。
「こちらは、地肌が疲れております」
「疲れる」
「鋼が、ずっと張りっぱなしでして」
「意味がわからん」
「毎晩ほどいてやらねば、こうなります」
「そんな作業は聞いたことがない」
「わたくしも、聞いたことはございません」
主人は剣を置いた。
「ただ、この剣は、そういう手入れをされておりました」
場が静かになった。
メルヴィが、卓の端に杖を置いた。
「これは」
「……ほう」
「見てもらえる?」
「杖は専門ではございませんが」
主人は握りの木を指で撫でて、途中で手を止めた。
「これは、ひどい」
「そう」
「中まで水を吸っております」
「昨日まで、こんなではなかったわ」
「いいえ。昨日までもこうでした」
「言っている意味がわからないのだけど」
「吸った水を、毎日抜いておられたのでしょう」
メルヴィは、答えなかった。
「一日抜かねば、一日ぶん戻ります」
「三日なら」
「三日ぶんです」
主人は杖を返した。
「新しいものを出せ」
「はい」
「金は出す」
「ありがとうございます」
「この剣は、捨てておけ」
「……よろしいので」
「使えんものを担ぐ趣味はない」
主人は、頭を下げた。下げながら、まだ剣を見ていた。
新しい剣はその日のうちに揃った。
鎧も、留め金も、店にあるもので間に合わせた。金貨で四枚と少し。団の金庫からすれば、痛くもない額だ。
ガイルは、その場で新しい剣を吊った。
「明日の依頼は、そのままいく」
「休まないの」
「休む理由がない」
「装備を替えた翌日よ」
「替えただけだ。腕は替わっていない」
メルヴィは、それ以上言わなかった。言っても、通らないとわかっていたから。
宿へ戻る道で、メルヴィは足を止めた。
「メルヴィ?」
「先に行って」
「なんだよ」
「なんでもないわ」
ドルクは、肩をすくめて行ってしまった。
メルヴィは、杖の握りを撫でた。ささくれが、指に引っかかる。
思い出したのは、灯りだった。
館の地下へ降りる階段。降りていくと、いつも下のほうが明るい。夜中でも明るかった。
何度か、途中まで降りたことがある。降りて、油と炭の匂いを嗅いで、それから引き返した。
「……いつ寝ているの」
自分の声だった。
あの男は、朝に寝ると答えた。
台の上には、剣が三本、鎧が二つ、杖が一本。
「ガイルは知っているの」
そう訊いて、答えを聞かずに階段を上がった。あのとき、自分は何を訊こうとしていたのだろう。
メルヴィが杖を握り直すと、ささくれが、また指を刺した。
翌日、四日目。
依頼は古い地下墓所の掃除だった。四層まで下りて、湧いたものを片づけて戻る。
団にとっては、退屈な部類の仕事である。実際、三層までは何ごともなかった。
新しい剣はよく通り、ドルクの盾は一度も揺れなかった。メルヴィの火も素直に出た。
「な。言ったとおりだろう」
「そうね」
「腕は替わっていない」
四層で、大蜥蜴の群れに当たった。
ガイルが前に出て、背の聖剣を抜いた。
十年、一度も傷まなかった剣だ。神官が月に一度来て、そのたびに異常はないと言って帰った。
抜いて振り下ろした。
刃は蜥蜴の背に届かなかった。
柄だけが手の中に残っていた。根元から、折れていた。




