第32話「村が町になる日」
工房を開けてから、冬を二度越した。
冬でも、壊れるものは壊れる。むしろ増える。
二度目の春が終わるころ、村の形が変わりはじめた。
朝、水を汲みに出たら、道が広くなっていた。
昨日まで、荷車一台がやっとだったはずだ。
今日は、二台がすれ違えた。
「ハンナさん」
「なんだ」
「道、広くなってませんか」
「広げた」
「誰がですか」
「知らん」
「知らないんですか」
「昨日来た連中だ。名は聞いとらん」
ハンナさんは、桶を持ったまま行ってしまった。
俺はしばらく道を見ていた。
草が刈られて、轍が均されている。端に石が並べてあった。
悪くない仕事だった。
村の入り口に、家が建っていた。
二日前は、なかった。
長椅子も、いつのまにか一つ増えていた。ボルグさんに聞いたが、知らんと言われた。
「あの」
「はい」
梁に乗った男が、こちらを見下ろした。
「ここ、誰の土地ですか」
「村のもんに聞いた。使っていいと」
「そうですか」
「駄目かい」
「駄目ではないです」
「よかった」
男は、また槌を振り始めた。
その隣で、女の人が桶に水を張っている。その隣に、板を並べただけの店があった。
パンを売っていた。
「一個、いくらですか」
「銅貨二枚だよ」
「相場ですね」
「相場だよ」
俺は、二枚出して、ひとつ買った。
まだ温かかった。
「あんた、ここの人かい」
「はい」
「修理屋を知ってるかい」
「知ってます」
「並ぶなら、朝の暗いうちだって聞いたよ」
「そうみたいですね」
俺はパンを食べながら歩いた。
自分のことだという気が、あまりしなかった。
昼に宿ができた。
できた、というのは正しくない。三日前から建てていたのが、屋根まで届いた。
二階建てだった。この村で二階のある建物は初めてだ。
「ベルタさん」
「なんだい」
「あれ、宿ですか」
「宿だよ。あたしが金を出した」
「早いですね」
「客が野宿してるんだ。銭になるに決まってる」
ベルタさんは、腰に手を当てて宿を見上げた。
商人の顔だった。
「あと、飯屋がひとつ」
「リナさんですか」
「そう。あの人、鍋がうまい」
「はい」
「あんたが直した鍋だけどね」
宿の入り口を見ると、板が掛かっている。字が彫ってある。
——神匠の宿。
「ベルタさん」
「なんだい」
「あれ」
「うん」
「なんですか」
「あたしじゃないよ」
「じゃあ、誰ですか」
ベルタさんは、口笛を吹いた。
下手だった。
工房の看板も、朝には戻っていた。
もう五度目だ。
板は、確かに薄くなってきている。
「シルフィさん」
「はい」
「宿の看板も、あなたですか」
「宿の方に頼まれました」
「断ってください」
「断りました」
「掛かってますけど」
「二度目に頼まれましたので」
この人は、二度言われると通す。
どこかで見たやり方だった。俺のせいかもしれない。
「本日は、四十二までです」
「増えてますね」
「ガドーさんに、弟子が三人つきました」
「弟子」
「下ごしらえをいたします」
「じゃあ、俺は同じですね」
「はい。ルーク様は、直すだけです」
俺はうなずいて、作業台に座った。
鍋がひとつ、鋤が二挺、子供の靴が一足。
昨日と、そう変わらなかった。
夕方、外へ出ると、人がまだ歩いていた。
昼のあいだに、露店が四つに増えている。塩と、糸と、革と、菜っ葉だ。
どこかで、槌の音がしていた。ガドーさんの音ではない。
弟子のうちの誰かだろう。まだ、間が揃っていない。
ボルグさんが、道の真ん中に立って、荷車を捌いていた。
「右へ寄れ! そこの馬、止めろ!」
声がよく通っていた。
八年、杖をついていた人の声には聞こえなかった。
コルが、木札の束を抱えて走っていく。
走りながら、番号を読み上げていた。数がずいぶん増えている。
あの子は、来た日には数を三までしか言えなかった。
俺は、鍛冶場のほうを見上げた。
煙突から、煙が二本上がっている。
いつのまにか、炉がもうひとつ増えていた。
「ルーク様」
「はい」
「今日は、いかがでしたか」
「近所が、少し賑やかになりましたね」
シルフィがこちらを見た。しばらく、何も言わなかった。
「……はい」
「宿ができたので、行き来が楽になったと思います」
「はい」
「よかったです」
シルフィは、両手を前で重ねた。
「そうですね。よかったです」
広場では、ハンナさんが人を集めていた。
村の者と新しく来た者が混ざって、二十人ほど座っている。
話は村の名のことだった。
「村じゃ、もう通らんぞ」
「町にするのか」
「役所に届けがいる」
「どこの役所だ」
「ミルデだろう」
「遠いな」
ハンナさんが、杖で地面を叩いた。
「名は変えん」
「なぜだ」
「オルトだ。ずっとオルトだった」
「町でもオルトか」
「町でもオルトだ」
誰も、逆らわなかった。
この村でいちばん強いのは、いまだにあの人だと思う。
その夜だった。
俺が戸を閉めようとしたとき、シルフィが広場に立っていた。
火のそばではなく、少し外れたところだ。
月が出ていた。
手に、白い布の包みを持っている。包みの紐は解けていた。
「シルフィさん」
声をかけると、肩が動いた。
「ルーク様」
「何か、届いたんですか」
「はい」
「誰からですか」
「……森から、です」
俺は近づいた。
包みの上に、乾いた葉が一枚、載っていた。薄い葉で、緑は抜けているのに、形が崩れていない。
その下に、細く畳んだ紙があった。
封は、切ってあった。
「読まれたんですか」
「はい」
「悪い報せですか」
シルフィは答えなかった。
答えずに葉を指で挟んだ。挟んで月にかざした。
「……わかりません」
「わからないんですか」
「はい」
「じゃあ、俺にもわからないですね」
シルフィが、少しだけ笑った。
笑ったのに、目が笑っていなかった。
「ルーク様」
「はい」
「今夜は、何もお願いいたしません」
「はい」
「明日も、たぶん」
「わかりました」
シルフィは葉を包みへ戻した。戻して袖の内へ入れた。
その手が、いつもより長く、袖の中にあった。
そのときだった。
村の入り口のほうで、犬が鳴いた。続いて蹄の音がした。
夜に来る客はいない。列は、日が暮れたら解散する決まりだ。
俺は道へ出た。
道の左右で、露店の主が荷を片づける手を止めていた。
宿の二階の窓が、順に開いていく。
松明が二つ。馬が二頭。
外套の色が月の下でもわかった。白と青だ。
王都の色だった。




