第28話「大繁盛」
工房を開けたのは、日が昇ってすぐだった。
シルフィが帳場の前に立って、外へ声を張った。
「本日は三十六まで」
列が、ざわめいた。
「木札をお持ちの方から順にお入りください」
「木札って、なんですか」
「夜のうちに配りました」
「寝てないんですか」
「寝ました。ボルグさんが配りました」
外を見たら、ボルグさんが列の横を歩いていた。
杖を持っている。ついてはいない。指し棒に使っていた。
最初は脚のない人だった。
六十くらいの男の人で、木の義足をつけている。
留め革が切れて、脛の部分に縦の割れが入っていた。
「傭兵をやっとった」
「そうですか」
「これがないと、便所にも行けん」
「見ますね」
俺は、義足を受け取った。
彫りが丁寧だった。膝が当たるところに、布が縫い込んである。
「これ、いい仕事ですね」
男の人が、顔を上げた。
「わかるか」
「はい。長く使えるように作ってあります」
「息子が作った」
「そうですか」
「死んどる」
俺は、うなずいた。
うなずいて、割れに指を当てた。
「じゃあ、彫りは変えません」
「変えられるのか」
「変えられます。でも、しません」
割れが内側から閉じた。
繊維が伸びて、噛み合う。切れた留め革が、裂けた向きと逆に繋がった。
布の縫い目は、そのままにした。
「はい、いいですよ」
男の人は義足をつけて、床に立った。
二歩、歩いた。
「あの」
「なんだ」
「脚のほうは、どうしますか」
男の人の動きが、止まった。
「……直るのか」
「切ってから、何年ですか」
「二十二年だ」
「じゃあ、時間がかかります」
「どのくらいだ」
「わからないです」
俺は、正直に答えた。
「二十二年ぶんの形が、俺の中で固まってないので」
「意味がわからん」
「俺もです」
男の人は、笑った。
「じゃあ、今日はこれでいい」
「はい」
「また来ていいか」
「どうぞ」
次は、若い女の人だった。
布の包みを両手で抱えている。開けると、銀の杯が出てきた。
縁から底まで、ひびが一本入っている。
「村の礼拝堂のものです」
「お預かりで来られたんですか」
「はい。神父様が、行ってこいと」
「割れたのは、いつですか」
「祖母の代です」
俺は、杯を回した。
銀の内側が、黒く曇っている。ひびの縁が、少し欠けていた。
「これ、水を入れますか」
「祭りの日に」
「じゃあ、漏れると困りますね」
「毎年、蝋で塞いでいます」
俺は、ひびに指を沿わせた。
蝋が粉になって落ちた。
欠けた縁の銀が、内側から盛り上がる。ひびの両側が寄って線が消えた。
黒い曇りが、端から抜けていった。
底に何かが浮いた。文字だった。
細い彫りが、曇りの下から出てきている。
「あの」
「はい」
「これ、読めますか」
女の人が、覗き込んだ。
覗き込んで、動かなくなった。
「……読めます」
「よかったです」
「これ」
「はい」
「祖母が、探していたものです」
俺には、意味がわからなかった。
わからなかったが、女の人が泣き出したので、黙っていた。
「はい、いいですよ」
「次の方」
シルフィの声で、次が入ってきた。
俺より若い男で、腕に灯りを抱えている。
魔導灯だ。銅の枠に、硝子の筒が嵌まっている。
「これ、点かないんです」
「刻印ですか」
「はい。消えました」
「魔道具屋さんに見せましたか」
「僕が魔道具屋の見習いです」
「あ、失礼しました」
男は、灯りを台に置いた。
置いて、しばらく手を離さなかった。
「師匠に捨てろと言われました」
「そうですか」
「刻印が消えた灯りは、直りません。決まりなんです」
「決まりですか」
「はい」
「じゃあ、俺は決まりを知らないので」
俺は銅の枠に手を置いた。
枠の内側で消えていた線が、下から浮いた。
浮いて、繋がった。
硝子の筒の曇りが、内へ抜けていく。
灯りが、点いた。
黄色い光が、物置の天井を照らした。
「……あ」
「はい、いいですよ」
男は、灯りを見ていた。
見ながら、口を動かしていた。声にはなっていなかった。
「あの」
「はい」
「これ、師匠の最初の仕事なんです」
「そうですか」
「二十年前の」
「じゃあ、返してあげてください」
男は灯りを胸に抱えて、走って出ていった。
外で誰かにぶつかった音がした。
昼過ぎに、学者の人が来た。
白いものの混じった髪で、革の鞄をふたつ提げている。
中身は、紙の束だった。
「これは」
「写本です」
「ずいぶん、傷んでますね」
「虫に食われました。それから、水に濡れました」
束を広げると、頁が茶色く変わっていた。
穴だらけで、字が消えている。
「読めますか」
「三割ほどです」
「残りは」
「二百年、誰も読んでいません」
俺は、束の上に手を置いた。
「あの、紙も直せるのですか」
「直せます」
「……紙が」
「紙も物ですから」
学者の人が、口を開けたところで、束が動いた。
虫の穴の縁が、内へ寄っていく。
欠けた繊維が伸びて、穴を塞いだ。
茶色く焼けた紙の色が、端から白へ抜ける。
薄れていたインクが、粒になって浮き上がった。
浮き上がって、繊維の奥へ沈み直す。字が、濃くなった。
頁の順まで、勝手に揃った。
「はい、いいですよ」
学者の人は、束に触らなかった。
触らずに、一枚目を上から読んだ。
読んで、次を読んだ。
三枚目で、椅子から落ちた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「落ちましたよ」
「落ちました」
俺は椅子を起こした。
椅子は、壊れていなかった。
日が暮れるまでに、三十六人を終えた。
鍋が四つ、鋤が二挺、婚礼の櫛がひとつ。
小さいものが多かった。小さいものほど、持ち主の顔が長く止まる。
ガドーさんは、隣で下ごしらえをしていた。錆を落とし、泥を洗い、俺の前に並べる。
それだけで、俺の手が半分で済んだ。
「早いな」
「ガドーさんのおかげです」
「そうだ」
「認めましたね」
「認める」
シルフィが帳面を閉じて、外へ出た。
俺も、ついていった。
列は、まだあった。
明日の分だ。もう座り込んで、火を焚いている人もいる。
その最後尾に、ひとりだけ立っている人がいた。
外套が黒くて、裾に埃がついていない。
馬車で来たのだと思った。
その人は、俺と目が合うと帽子を取った。
「ルーク殿でいらっしゃいますか」
「はい」
「順番は、待ちます」
「ありがとうございます」
「ただ、先に申し上げておきます」
男はうすく笑った。
「独占契約の話を、したい」




