第27話「工房ルーク」
「パン一個で」
「ルーク様」
「はい」
「黙っていてください」
シルフィが前に出た。
俺は口を閉じた。
この人が前に出たら、俺の出番は終わりだ。ここ何日かで、そういう決まりになった。
「アルヴィス様」
「聞こう」
「金貨十枚を頂戴します」
アルヴィスさんが、膝をついたまま首を振った。
「安い」
「安くありません」
「王都の名工は、手付けだけで金貨五枚を取った」
「七人ぶんですね」
「七人ぶんだ」
「では、三十五枚を捨てられたことになります」
「そうだ」
「それでも、直っておりません」
「直っていない」
シルフィは、そこで一度、間を置いた。
「わたしどもは、直しました」
アルヴィスさんが、少しだけ笑った。
この人が笑うのを、初めて見た。
「三十枚出そう」
「多いです」
「ルーク様、黙っていてください」
「はい」
「頂戴します」
シルフィは、深く頭を下げた。
俺は金貨三十枚がどれくらいなのかを、頭の中で数えようとした。
銅貨で三十万枚だ。パンが、十五万個になる。
数えたのが、間違いだった。
目の前が少し暗くなった。
「あと、ひとつ頼みがある」
「なんでしょう」
「王都で、この話をしていいか」
俺は、聞き覚えのある文だな、と思った。
「どうぞ」
シルフィが俺より先に答えた。答えてから付け足した。
「ただし、正しくお願いします」
「正しく」
「見たままを。増やさずに」
「……減らしてもか」
「減らすのは、かまいません」
アルヴィスさんは立ち上がった。立ち上がって白嶺を背に負った。
「無理だな」
「なぜですか」
「見たままを話しても、誰も信じん」
金貨は革の袋に入って、三つに分けられていた。
シルフィが受け取って、帳面に書きつけた。俺は一度も触っていない。
四人は、その日のうちに村を出た。
ヨナスさんだけが、門のところで振り返った。
割れた盤を、まだ胸に抱えていた。
その二日後、ベルタさんが戻ってきた。
王都から、十日で往復したことになる。馬を借りたそうだ。
「あんた」
「おかえりなさい」
「おかえりじゃないよ」
荷車の柄を放り出して、ベルタさんは広場に立った。
「王都で、あんたの話しか聞かなかった」
「そうですか」
「商業ギルドの二階まで上がってる」
「二階が偉いんですか」
「偉いんだよ」
ベルタさんは、額の汗を拭いた。
それから、俺の顔をまっすぐ見た。
「店を出しな」
「店」
「工房だ」
「ここ、村ですよ」
「村でいい」
ベルタさんは、指を折りはじめた。
「あんた、このままだと潰れる」
「潰れますか」
「人が来る。断れない。順番も決まらない。値も決まらない」
「決まらないですね」
「そのうち、寝ないで死ぬよ」
俺は少し考えた。
寝ないで死ぬのは、勇者の団にいたころ、何度か近いところまで行った。
「じゃあ、お願いします」
「誰にだい」
「みなさんに」
ベルタさんが、目を丸くした。
その晩、鍛冶場に五人で集まった。
火のそばに座って、順に決めていった。
「鉄は、俺が見る」
ガドーさんが、最初に言った。
「見るというのは」
「あんたに渡す前に、こっちで下ごしらえをする」
「必要ですか」
「必要だ」
「なんでですか」
「あんたに全部やらせると、村が滅ぶ」
言い方がひどかった。
「わたしは、受付をいたします」
シルフィが、板を膝に置いた。
値付けと帳簿は、もう預かってもらっている。それに、順番が足された。
「来た順ですか」
「いいえ」
「違うんですか」
「急ぐ人と、急がない人がおられます」
「そうですね」
「わたしが分けます」
ベルタさんが、手を叩いた。
「あたしは仕入れと売りだ」
「売るものが、ないですけど」
「あんたが直したものは、全部売り物になる」
「売りませんよ」
「売らないよ。持ち主に返すからね」
「じゃあ、何を売るんですか」
「順番と、日にちだ」
俺には意味がわからなかった。
わからなかったが、ベルタさんの顔が商人になっていたので、それでいいことにした。
「ルーク様は」
「はい」
「直してください。それだけで結構です」
俺はうなずいた。その日いちばん、ほっとした。
場所は鍛冶場の隣の物置に決まった。
屋根が落ちていたので、翌朝に直した。梁を起こして、板を並べて、戸をつける。
半日で終わった。
「早すぎる」
「木は早いんです」
「そればっかりだな」
中に台をふたつ入れた。
ひとつは俺の作業台で、もうひとつはシルフィの帳場だ。帳場のほうが、少し高い。
ボルグさんが、外に長椅子を三つ置いた。
「これは」
「待つやつが座る」
「待つ人、来ますかね」
ボルグさんは、答えなかった。
答えずに、四つ目を運んできた。
翌日の昼、シルフィが板を担いできた。
鍛冶場の端材で作った、大きな板だ。字が彫ってある。
読んだ。
——神匠ルークの工房。
「あの」
「はい」
「これ、何かの間違いですよね」
「間違っておりません」
「神匠って、なんですか」
「ルーク様のことです」
俺は小刀を借りた。
夕方までかけて、彫り直した。
——修理屋ルーク。
ちょうどいいと思った。長くもないし、嘘もない。
板を掛けて寝た。
朝、起きて、見た。
——神匠ルークの工房。
「シルフィさん」
「はい」
「夜中に何かしましたか」
「彫り直しました」
「認めましたね」
「はい」
俺はまた小刀を出した。
削って、彫った。
——修理屋ルーク。
次の朝、また戻っていた。
「あの」
「はい」
「板が、薄くなります」
「ルーク様が直してくださいますので」
「直しませんよ」
「では、わたしが新しい板を作ります」
勝ち目が、なかった。
その次の朝だった。
まだ暗いうちに、外で音がした。
人の声だ。ひとつではない。
戸を開けて、村の道を見た。
誰かが立っていた。
その向こうにも、立っていた。
俺は道を辿って歩いた。
誰もしゃべっていなかった。
荷を抱えた人がいた。布に包んだものを、大事そうに膝に載せている人がいた。
子供を背負った女の人がいた。
杖をついた老人が、道の端で座り込んでいた。
歩いても、歩いても、終わらなかった。
村の入り口まで出て、街道のほうを見た。
列が、道標の先まで続いていた。
道標の字は、俺が直したものだ。
オルト。徒歩、半日。
その字の下に、人が並んでいた。




