第26話「新品以上」
誰も剣を受け取らなかった。
俺は差し出した手を、しばらくそのままにしていた。
「あの」
「……ああ」
アルヴィスさんが、両手を出した。受け取るとき、指が震えていた。
剣を胸の高さまで上げて、そこで止まる。
「軽い」
「そうですか」
「軽い」
「二度言いましたね」
「三度でも足りん」
アルヴィスさんは、刃を横に寝かせた。
夕方の光が、地肌の上を滑っていく。
波の形が、鍔から切っ先まで途切れずに流れていた。
「ヨナス」
「はい」
「目録を出せ」
ヨナスさんが、懐から折り畳んだ紙を出した。
王家の目録の写しらしい。手がまだ震えている。
「読みます」
「読め」
「白嶺。長さ、鍔より切っ先まで三尺二寸」
「測れ」
クレアさんが、紐を出して当てた。
当てて、二度測り直した。
「……三尺三寸あります」
「一寸、伸びたのか」
「伸びています」
俺は口を挟んだ。
「たぶん、削れてた分です」
「削れていた」
「研ぎ減りです。二百年ぶんの」
ヨナスさんが、紙を落とした。
落ちた紙を、ゴートさんが拾って返した。
「続けろ」
「はい」
「重さ、目方で……」
「言え」
「今の目方は、それより軽いです」
「なぜだ」
「わかりません」
俺はまた口を挟んだ。
「錆が、抜けたからだと思います」
「錆は見えなかった」
「中にありました」
「中」
「鉄の粒の隙間です」
誰も何も言わなかった。
「刃文の項があります」
「読め」
「刃文は、鍔より指四本で止まる」
全員が剣を見た。止まっていなかった。波は切っ先まで行っている。
「目録が、間違っているのか」
「いいえ」
ヨナスさんは、首を振った。
「目録は、鍛えられた日に書かれています」
場が、静かになった。
アルヴィスさんが、ゆっくりと息を吐いた。
「……鍛えた日より、いいものになっているということか」
「そうなります」
「そんな話があるか」
「ありません」
「では、どういうことだ」
答えたのは、ヨナスさんではなかった。シルフィだった。
「詩があります」
「詩」
「森に伝わる古い詩です。白嶺のことを詠んだものが、一節だけ」
シルフィは、両手を前で重ねた。
「——白き嶺の刃は、切っ先で朝を掬う」
「聞いたことがある」
「はい。人の側にも残っているはずです」
「あれは、飾りの言葉だと思っていた」
「わたしもです」
シルフィが、剣を見た。
「今日まで、そう思っておりました」
アルヴィスさんが、剣を右手に持ち替えた。広場の真ん中まで下がって、足の幅を決める。
振り下ろした。
何も起きなかった。
起きなかったのが、おかしかった。
剣を振れば、風を切る音がする。俺は勇者の団で、その音を十年聞いてきた。
音がしなかった。刃が通ったあとに、遅れて空気が閉じる気配だけがあった。
クレアさんが、両手で口を押さえた。
ゴートさんは、一歩下がった。
「……アルヴィス様」
「言うな」
「もう一度」
「やらん」
アルヴィスさんは、剣を下ろした。
下ろした手が、また震えていた。
三月前の朝、この人はこれを素振りで折ったのだと思うと、少し気の毒だった。
アルヴィスさんが、刃を立てた。
切っ先が、西日を掬った。地肌の波が、そこで一度、明るくなった。
「……嘘だろう」
俺はよくわからなかった。
刃文は綺麗に出ていると思う。だが、それは剣ならそういうものだ。
「あの」
「なんだ」
「鞘は、お持ちですか」
「持っている」
クレアさんが、荷から鞘を出した。
アルヴィスさんが、剣を入れようとした。
入らなかった。
鍔の手前で、止まってしまう。
「……入らん」
「貸してください」
俺は鞘を受け取った。
両手で持って、軽く撓めてみる。
「これ、歪んでます」
「歪んでいるのは、剣のほうだろう」
「いえ、鞘です」
「なぜわかる」
「湿気を吸って、内側が捩れてます」
「二百年、宝物庫にあったんだぞ」
「二百年、剣を抜いてなかったんですよね」
アルヴィスさんが、黙った。
「入れっぱなしのものは、そうなります」
俺は鞘の腹に手を当てた。
木の繊維が、捩れた向きと逆へ戻っていく。乾いた鞘木から、樹脂の匂いが立った。口金の緩みが、内側から締まる。
「はい、いいですよ」
鞘を返した。
アルヴィスさんが、剣を入れた。
入った。
最後まで音を立てずに入った。鍔が鳴って止まった。
その音で、四人の膝が落ちた。
最初に膝をついたのは、ヨナスさんだった。
次がクレアさん。ゴートさんは、膝をつくのに手間取っていた。体が大きいからだと思う。
最後に、アルヴィスさんが片膝をついた。
白金の徽章が、また石に当たって鳴った。
「あの」
「聞け」
「はい」
「俺は、ダメ元だと言った」
「言いました」
「詫びる」
アルヴィスさんが、頭を下げた。深く下げて、そのまま動かなかった。
「やめてください」
「やめん」
「困ります」
「困れ」
この村の人は、みんな同じ返しをする。どこかで習っているのだろうか。
「あの、あれ、助かったんです」
「何がだ」
「ダメ元だと言っていただいたのが」
アルヴィスさんが、顔を上げた。
「……何を言っている」
「期待されると、手が硬くなるので」
沈黙が長かった。
ヨナスさんが、膝の上で拳を握った。
「アルヴィス様」
「言うな」
「この方は、本気で言っています」
「わかっている。だから言うなと言っている」
俺は順に頭を下げて回った。
膝をつかれると、こちらが立っているのが申し訳ない。
「立ってください」
「立てん」
「足が痺れますよ」
「痺れさせてくれ」
「ハンナさんと同じことを言いますね」
誰も笑わなかった。村の人たちは、遠巻きのまま、俺のほうを見ていた。
ボルグさんが、腕を組んで壁にもたれている。
リナさんは、両手を胸の前で握っていた。
コルだけが、ハンナさんの袖を引いて何か聞いていた。
ハンナさんは、何も答えずに、コルの頭に手を置いた。
「ひとつ、聞かせてくれ」
「はい」
「あんたは、何者だ」
俺は、手のひらを見せた。
油の匂いが、まだ少し残っている。
「町の修理屋です」
「町がどこにある」
その質問も、二度目だった。
「……えっと」
「もういい」
アルヴィスさんは、膝をついたまま、剣を横に置いた。
置いて、俺を見上げた。
「工賃は、いくらだ」




