第25話「鑑定士の悲鳴」
「もう一度、言え」
「間違った直し方をされてます」
「誰が」
「わからないです」
アルヴィスさんが、台の前に膝をついた。
白金の徽章が、石にぶつかって鳴った。
「三月前の話をしているのか」
「いえ」
「では、いつだ」
「もっと古いです」
俺は、折れ口に指を当てたままだった。
鉄の粒の並びが、そこで一度、途切れている。途切れたところに、別の鉄が入っていた。
「百年は、経ってます」
「……百年」
「もっとかもしれません」
クレアさんが、包みの布を握った。ヨナスさんが、腰の箱を落としかけて、抱え直した。
「アルヴィス様。目録には」
「言え」
「王家の目録に、修復の記録はありません」
「一件もか」
「一件も」
アルヴィスさんが、俺を見た。
目の色が、朝と違っていた。
「なぜ、素振りで折れたと思う」
「継いだところが、古かったからです」
「それだけか」
「はい」
「二百年、壁に掛かっていた剣だぞ」
「掛かってただけなら、なおさらです」
俺は指を離した。
「使われてない鉄は、忘れます」
自分でも、うまい言い方だとは思わなかった。だが、それ以外の言い方が浮かばなかった。
「……ヨナス」
「はい」
「測れ」
「この剣をですか」
「その男をだ」
「アルヴィス様」
シルフィが、一歩前に出た。
「なんだ」
「ルーク様は、物ではありません」
「測るなと言うのか」
「順序が違うと申し上げています」
「順序」
「先に、頼み事をなさるべきです」
アルヴィスさんが、口を結んだ。
結んで、少しのあいだ黙った。
「……そのとおりだ」
「はい」
「ルーク」
「はい」
「この剣を、直してもらいたい」
俺はうなずいた。
「いいですよ」
「測るのは、そのあとでいい」
「今でもいいです」
「なぜだ」
「たぶん、何も出ないので」
シルフィが、こちらを見た。
何か言いたそうだったが、言わなかった。
ヨナスさんが箱を開けた。中に平たい盤が入っている。
黄銅の縁に、細かい目盛りが刻んであった。中央に薄い水晶の板が嵌まっている。
「失礼します」
「はい」
「位を、拝見します」
「どうぞ」
俺は両手を膝に置いた。
こういうものは、勇者の団にいたころ、年に一度やらされた。
いつも、何も出なかった。出ないので、いつのまにか呼ばれなくなった。
「その盤は、何を測るんですか」
「人の持つ力の位です」
「目盛りが細かいですね」
「上のほうは、まず使いません」
「そうなんですか」
「この盤は、勇者様を測るために作られました」
「勇者を」
「はい。その勇者様で」
ヨナスさんは、盤の真ん中より少し上を、指で押さえた。
「このあたりです」
俺は、ふうん、と思った。
勇者はたしかに強かった。あれで真ん中より少し上なら、上の目盛りは誰のためにあるのだろう。
「では、触れます」
水晶の板が、俺の手の甲に載った。
冷たかった。それから、盤が鳴った。
高い音だった。針の先が石を引っ掻くような音が、まず一度。
「あ」
ヨナスさんの声だ。
水晶の下で、細い線が動いていた。線は目盛りの真ん中を過ぎて、上へ行った。
止まらなかった。
「あの」
「動かないでください」
「はい」
線が目盛りの端に届いた。届いて、そこで止まると思った。
止まらなかった。
線は目盛りの外へ出た。黄銅の縁を越えて、盤の枠へ入り込み、そのまま裏へ回った。
「あ、あ」
「大丈夫ですか」
「大丈夫ではありません」
水晶の板に白い筋が走った。筋は端から端へ抜けた。
抜けたところで音が変わった。乾いた音を立てて、板が二つに割れた。
ヨナスさんが、悲鳴を上げた。
言葉ではなかった。息を吸うのに失敗したような、短い音だった。
「すみません」
「なぜ謝るのですか」
「壊しました」
「壊れました」
「直しましょうか」
「やめてください」
ヨナスさんは、割れた盤を胸に抱えた。抱えたまま、後ろへ二歩下がった。
「アルヴィス様」
「言え」
「言えません」
「言え」
「言葉がありません」
ゴートさんが、初めて口を開いた。
「数を言え」
「数がないんです」
「盤が壊れただけだろう」
「盤は壊れません」
「壊れているぞ」
「壊れないように作ってあるんです」
ヨナスさんの声が、震えていた。
「上へ抜けたときは、針が止まります」
「止まらなかったのか」
「盤のほうが、先に負けました」
場が、静かになった。
クレアさんが、俺のほうを見た。見て、目を逸らして、また見た。
「ルークさん」
「はい」
「あなたは、何ができるのですか」
「壊れてるものを、直せます」
「それだけですか」
「それだけです」
「他には」
「他は、何も」
クレアさんは、口を開いて、閉じた。
俺は割れた盤を見ていた。悪いことをしたと思った。ああいうものは、たぶん高い。
「あの」
「なんだ」
「そろそろ、直していいですか」
アルヴィスさんが、俺の顔を見た。
しばらく見て、片手を上げた。
「……やれ」
俺は台の前に座り直した。
両手で剣を持つ。折れた片割れを、断面に合わせた。
この剣が折れていなかったころを、思う。
だが、その前に、継がれてもいなかったころまで戻る必要があった。
手間だなと思った。
まず、入り込んだ鉄が浮いた。もとの鉄とは色が違う。浮いて、薄片になって、剥がれ落ちる。落ちた片は、台の上で灰色の粉になった。
継ぎ目が、空になった。
「……剣が、短くなっていく」
「はい」
「おい、短くなっているぞ」
「もう少しです」
「もう少しとは、なんだ」
空になったところへ、両側の鉄が寄っていく。
粒が互いを探して、噛み合う音が、指の腹に伝わった。
途切れていた刃文が動き、波の形が折れ口を越えて向こうへ流れる。流れて、切っ先の手前まで届いた。
曇っていた地肌から、鏡の面が生まれた。
柄の革が、ほどけた向きと逆に巻き直る。柄頭の石の濁りが、内側から抜けた。
日が、傾いていた。
村の誰も、動いていなかった。
ガドーさんだけが、両手を膝について、前のめりになっている。
瞬きをしていなかった。
あとで聞いたら、刃文が流れるところを見たかったのだそうだ。
「見えたか」
「見えた」
「よかったですね」
「よくない」
「なんでですか」
「六十年が、無駄になった」
そう言いながら、ガドーさんは笑っていた。
俺は刃を膝に横たえて、道具袋から油の壜を出した。布に一滴だけ落として、峰から先へ、一度だけ引く。
油の匂いがした。
「はい、できました」
俺は、剣を差し出した。
「ついでに、油も差しておきました」




