第22話「対価という概念」
村まで、荷車を押していった。
が、押す必要はなかった。輪が回りすぎて、下り坂で置いていかれそうになったくらいだ。
広場に着くと、火が焚いてあった。
ハンナさんが鍋を掻き回している。ボルグさんが薪を割っていた。
ガドーさんが、鍛冶場から出てきた。
「客か」
「行商の方です」
「ベルタだ」
「ガドーだ」
「……ガドー?」
ベルタさんが、荷車の柄を落とした。
「鍛冶のガドーかい」
「ああ」
「あんた、まだ生きてたのか」
「まだだ」
二人は、それきり何も言わなかった。
どうやら、昔からの知り合いらしい。
あとで聞いたら、八年前に一度だけ鎌を買ったことがあるそうだ。それきり、村へは入っていない。道が消えていたからだ。
商人というのは、そういうものらしい。
飯のあと、ベルタさんが膝を正した。
「さて」
膝の上で、指を組む。
商売の顔だった。
「払いの話をしよう」
「あ、それなんですけど」
「なんだい」
「パン、ありますか」
場が、静まった。
鍋の湯の音だけがしている。
「……パン」
「はい。一個でいいです」
ベルタさんが、ゆっくりと立ち上がった。
「ふざけてるのかい」
「本気です」
「本気で言ってるなら、もっと悪い」
「あんた、今日、何をやった」
「車輪と、箱です」
「車大工の仕事が二日ぶん。魔道具屋が匙を投げた品がひとつ」
「それがパン一個かい」
「多いですか」
「少ないんだよ!」
叫ばれた。
今日、二度目だ。
「ルーク様」
横から、シルフィが言った。
声が静かだった。静かなときのほうが、この人は怖い。
「わたしも、同じ意見です」
「銅貨二枚です」
「え」
「パン一個は、銅貨二枚です」
言われてみれば、そうだった。
「じゃあ、銅貨二枚ですね」
「そうではありません」
「違いますか」
「違います」
シルフィが、板を出した。
掟を彫ったのと同じ端材の残りだ。裏がまだ空いている。
小刀を握った。書く気だ。
「ベルタさん」
「なんだい」
「相場を教えてください」
「教えるよ。喜んで教える」
ベルタさんは、火のそばに座り直した。
指を二本立てる。
「まず、鍛冶屋の修理が銅貨五十枚から」
パンが二十五個だ、と頭の中で数えた。
「そこからだ。壊れ方がひどければ上がる」
シルフィの小刀が、板を刻む音を立てた。
「車輪の打ち直しは、銀貨一枚が普通」
火のはぜる音が、ひとつ挟まった。
「壊れ方によっちゃ、二枚」
俺は指を折って数えてみた。
銅貨百枚で、銀貨一枚だ。
「五十倍ですか」
「そうだよ」
「パンが五十個」
「そういう数え方はやめな」
ハンナさんが、火の向こうで笑った。
ボルグさんも笑っている。
俺だけが、真面目に困っていた。
「でも、俺、二日かかってないです」
「そこだ」
ベルタさんが、指を一本立てた。
「そこが、あんたの間違ってるところだ」
「客は時間を買ってるんじゃない」
「じゃあ、何をですか」
「直った、という結果を買ってる」
俺はうまく飲み込めなかった。
直ったものは、直っただけだ。そこに値がつくというのが、どうもぴんと来ない。
「あの車輪がなきゃ、あたしは三日ぶんの荷を捨てて帰るところだった」
その言い方で、少しだけわかった気がした。
「荷は銀貨八枚ぶんだ」
俺は黙った。そこまでは、考えていなかった。
「わかったかい」
「たぶん」
「たぶん、じゃ困る」
ベルタさんは身を乗り出した。
「あんたが安く受けるとね」
声が低くなった。
「次の客が、同じ値でやれと言ってくる」
俺はうなずいた。そこまでは、わかる。
「そのうち、街の車大工が食えなくなる」
俺の顔がたぶん変わった。自分でわかった。
「え」
「聞いてるかい」
「あの、それは」
「そういうことになるんだよ」
「困ります」
「あんたが困ることじゃない。困るのは車大工だ」
「もっと困ります」
俺は本気で困った。
誰かの仕事を潰すつもりは、まったくない。親方が生きていたら、たぶん殴られている。
「じゃあ、いくら取ればいいですか」
「そこは自分で決めな」
「決められないです」
「決めるんだよ」
「ベルタさん」
シルフィが、小刀を止めた。
「わたしが決めます」
「おっ」
「ルーク様は、値をつけられません」
「そうみたいだね」
「ですので、わたしが預かります」
「……いいのかい、それ」
二人が俺のほうを見た。うなずくしかなかった。
値段の話をしていると、頭のうしろが痛くなる。
「では、車輪が銀貨一枚」
「妥当だね」
「保冷箱が」
シルフィが言葉を止めた。
「保冷箱は、いくらでしょう」
「そこだよ」
ベルタさんが腕を組んだ。
「あれは、値がつかない」
「つかないのですか」
「王都で直せる者がいない品を直したんだ。比べる相場がない」
「だから、こういうときは」
ベルタさんは、俺のほうを向いた。
「直された側が、いくら助かったかで決める」
「あたしは、あの箱で夏を越す」
荷台のほうを、顎で指した。
「あれがないと、乳も肉も運べない。夏場の稼ぎが半分になる」
俺はまた黙った。
箱ひとつで人ひとりの夏が決まるらしい。
「銀貨五枚だ」
「多いです」
「安いくらいだ」
「多いですよ」
「あんた、値切る方向が逆なんだよ」
ベルタさんが、頭を抱えた。
結局、シルフィが引き取った。
「では、銀貨五枚」
「決まりだ」
「ただし、二枚は品でいただきます」
「品」
「塩と、種と、針と、布です」
ベルタさんが、顔を上げた。
その顔が、急に商人のものに戻った。
「……あんた、やるね」
「金より品のほうがいいと踏んだね」
「この村には、店がありません」
「そのとおりだ」
「運び賃も、いただいたことになります」
シルフィは、板から目を上げなかった。
「エルフってのは、みんなそうなのかい」
「いいえ」
シルフィが、板に線を引いた。
「わたしだけです」
ベルタさんが、声を上げて笑った。
笑いながら、籠を開けて、塩の袋を出した。
俺はその様子を見ていた。
自分の仕事の話をしているはずなのに、まったく口を挟めない。
だが、悪い気はしなかった。
誰かが値をつけてくれるなら、俺は直すことだけ考えていればいい。
「ルークさん」
「はい」
「ひとつ、いいかい」
ベルタさんは、塩の袋を置いてこちらを向いた。
さっきまでの勢いが、少し落ちていた。
「あたしは、明日ここを出る」
「宿場に寄って、それから王都へ回る」
「遠いですね」
「遠いよ」
ベルタさんは火を見た。それから、言った。
「この話、王都で喋っていいかい」
俺は、少し考えた。
考えたが、断る理由が思いつかなかった。
車輪を直した、箱を直した。それだけの話だ。
「どうぞ」
ベルタさんは、うなずいた。
その横で、シルフィとガドーさんが、また目を合わせていた。




