第20話「壊れていないものは直さない」
朝、家を出たら、行列ができていた。
四人しかいない村で、行列というのも変な話だ。
だが、確かに並んでいた。
「おはようございます」
「これを頼む」
ハンナさんが差し出したのは、煙管だった。
俺は受け取って、両手で回した。
雁首が黒く焼けている。吸い口の縁がわずかに欠けていた。
「これ、吸えますか」
「吸える」
「詰まってないですか」
「通っとる」
「じゃあ、直しません」
「なんでだ」
「壊れてないので」
ハンナさんが、口をへの字にした。
「焦げとるだろう」
「焦げるものですから」
「欠けとる」
「歯が当たったところですよね」
「……そうだ」
「じゃあ、あなたの跡です」
俺は煙管を返した。
老婆はそれをしばらく見て、袂に入れた。
「次」
リナさんが、上着を出した。
男物だ。肘のところに、四角い当て布がしてある。縫い目が丁寧だった。
「これは」
「夫のです」
「破れてますか」
「袖口が、少し」
見ると、確かに解れていた。だが、それだけだ。
「これ、直したら、当て布も消えますよ」
リナさんの手が止まった。
「消える」
「はい。破れる前に戻すので」
「……当て布は」
「あなたが縫ったやつですよね」
「……はい」
「じゃあ、消えます」
リナさんは上着を胸に抱えた。抱えて、しばらく黙っていた。
「袖口だけ、糸で縫います」
「そのほうがいいと思います」
「はい」
「あ、針、要りますか」
「あります」
三人目は、コルだった。
手に木彫りの馬を持っている。昨日、直したやつだ。
「これ」
「はい」
「もっと、かっこよくなる?」
俺は、しゃがんだ。
「なりますよ」
「じゃあ」
「でも、しません」
「なんで」
いい質問だった。子供の質問は、いつもいちばん難しい。
「これ、きみのお爺さんが彫ったやつじゃないので」
「知ってる。ばあちゃんの旦那さん」
「はい」
「その人、死んだって」
「はい」
「じゃあ、もう彫れないね」
「……そうですね」
「じゃあ、いい」
コルは、馬を抱えて走っていった。
わかったのかどうかは、わからない。だが、走り方が軽かった。
午後、シルフィが板を持ってきた。
薄い板だ。ガドーさんの鍛冶場にあった端材らしい。
「これは」
「書きます」
「何をですか」
「ルーク様の決めごとを」
「決めごとなんて、ないですよ」
「あります」
言い切られた。
こうなると、この人は引かない。俺にもわかってきた。
「今朝、三度断りました」
「そうですか」
「断る理由が、三度とも同じでした」
「そうでしたか」
「はい」
シルフィは、板を膝に置いた。
小刀を握る。刃先が板に当たった。
「言ってください」
「困ります」
「困ってください」
これも、やり返された。
俺は、しばらく考えた。
考えても、大したものは出てこなかった。
「……壊れてないものは、直さないです」
刃が動いた。
木くずが、膝の上に落ちる。
「それから」
「持ち主に断ってないものは、直さないです」
「はい」
「勝手に触るのは、盗みと同じなので」
「はい」
シルフィは、手を止めなかった。
「三つ目は」
「三つ目、ありますか」
「あります」
「……そうですか」
「昨日、馬にしていたことです」
俺は思い出した。思い出して、言葉を探した。
「直しすぎない、ですかね」
「はい」
「言い方が、下手ですみません」
「いいえ」
「なんか、格好つけてるみたいで」
「いいえ」
シルフィは、彫り終えた板を持ち上げた。
三行、並んでいた。
字は、思ったよりきれいだった。
「掛けます」
「掛けないでください」
「掛けます」
「二回言いましたね」
「はい」
結局、鍛冶場の入口に掛けられた。
人の出入りするところで、いちばん目につく高さだ。
村の四人が順に見に来た。
ハンナさんは声に出して読んだ。読み終えて二度うなずいた。
ガドーさんが釘を打った。左手で釘を押さえて、右手で打った。
「いい掟だ」
「掟じゃないです」
「掟だな」
「そんな大したものじゃないです」
「あんた、わかっとらんな」
ガドーさんは、板を見上げた。
「腕のある職人は、たいてい、直しすぎる」
「そうですか」
「直せるからな」
「はい」
「直せるものを直さんのは、腕より難しい」
俺は返事をしなかった。
褒められている気がしたが、そう受け取ると、たぶん間違える。
親方も、似たようなことを言った気がする。
だが、思い出せなかった。
日が傾いてから、街道へ出た。
村から森を抜けて、半日ぶんの道だ。道といっても、草に埋もれている。
「どこまで行くのですか」
「入口までです」
「入口」
「はい。道が消えてるので、誰も来られないので」
草を分けながら、俺は考えていた。
人が四人に増えた。塩も、種も、針も要る。
誰かが来てくれないと、村は続かない。
森が切れて、街道に出た。
石が敷いてある。ずいぶん古い敷き方だが、まだ使われている道だ。
その脇に、棒が一本、斜めに倒れていた。
「あ」
「これは」
「道標ですね」
俺は近づいて、しゃがんだ。
根元が腐って折れている。板の面は、苔で緑だった。
字は跡形もない。
「これ、誰のでしょう」
「村のもの、でしょうか」
「村のものなら、村の人に聞かないとですね」
「ハンナさんは、覚えていないと言うと思います」
「……ですよね」
俺は、しばらく迷った。
持ち主がわからない。
だが、これは、道を教えるために立てたものだ。
立てた人の望みは、はっきりしている。
「立てた人は、読んでほしかったはずですよね」
「はい」
「じゃあ、直します」
根元に手を置いた。
腐って黒くなった木が、粉になって落ちる。
落ちた下から、乾いた木肌が出てきた。繊維が巻き戻り、折れ口が噛み合う。
棒が起き上がった。
苔が浮いて、剥がれる。
板の面から、彫り跡が出てきた。
文字が、順に現れる。
深く、はっきりと。
「はい、いいですよ」
俺は立ち上がって、板を見上げた。
「なんて書いてありますか」
「……オルト。徒歩、半日」
シルフィが、そう読んだ。
「よかったです」
「はい」
「これで、来られますね」
そのときだった。
シルフィが、俺の袖を引いた。
「ルーク様」
「はい」
「向こうに」
街道の先を見た。
夕日が、まっすぐこちらへ差している。
その光の中に、人影がひとつ。
何かを引いて、こちらへ歩いてくるところだった。




