第19話「町の修理屋ですから」
朝から、順に直した。
まず、リナさんの生まれた家からだ。
「触りますね」
「はい」
「梁が一本、折れてます」
「わかるんですか」
「音が違うので」
蔦を剥がして、崩れた壁の前に立った。
繊維が巻き戻り、木が起き上がる。屋根板が並んで隙間が閉じた。
樹脂の匂いがした。
「はい、いいですよ」
「……早い」
「木は早いんです」
その次は鍋だった。
底に穴があいて、縁が波打っている。
「これ、長く使いましたね」
「はい」
「二十年ですか」
「嫁入りに持ってきたので」
底の穴が内側から埋まった。
錆が薄片になって落ちて、下から鉄の色が出る。波打った縁が、まっすぐになった。
「はい、いいですよ」
「……取っ手が」
「あ、直しちゃいました」
「いえ、あの、うれしいです」
荷車の車軸、桶の箍、物置の戸、柵を三十歩ぶん。
「ルークさん」
「はい」
「休まないんですか」
「これ、休憩みたいなものなので」
本当だ。
誰にも急かされずに直すのは、休んでいるのとほとんど同じだった。
昼前にボルグさんが来た。杖をついて、柵の前で止まる。
「おい」
「はい」
「杖が鳴る」
「見ますね」
受け取ると、握りのところにひびが入っていた。
体重をかけるたびに、そこが鳴っていたのだ。
「これ、危ないですよ」
「知っとる」
「折れたら転びます」
「転んだ」
「あ」
「先月、二度」
俺はひびに指を当てた。閉じた。
ボルグさんは、杖を受け取って床に二度突いた。
鳴らなかった。
「……おい」
「はい」
「脚は」
言ってから、目を逸らした。
「脚はどうだ」
「頼まれたらやります」
「頼んだらやるのか」
「はい」
「なら」
そこで、長い間があった。
「頼む」
「はい」
ズボンの裾をまくってもらった。
左の脛が内側へ捩れている。折れたところがずれたまま繋がった形だ。
八年前の石だ。
「痛みますか」
「雨の日は」
「では、戻します」
骨が動いた。
ずれていた面が互いを探して噛み合う音が、皮膚越しに小さくした。
捩れがほどける。
落ちていた肉に、根が伸びるように筋が通った。
「はい、いいですよ」
ボルグさんは、杖を握ったまま立った。
立って動かなかった。
「……杖が」
「はい」
「杖が要らん」
「そうですね」
「せっかく直してもらったのに」
「持っててください」
「なんでだ」
「そのうち、誰かが使います」
ボルグさんは、杖を胸に抱えた。
抱えたまま、村を三周した。
午後になって、俺は自分の寝ている家に戻った。
棚の上に木彫りの馬がある。来た日に直さずに置いたやつだ。
首が取れたまま、そこにいる。
「ハンナさん」
「なんだ」
「これ、どなたのですか」
老婆が、戸口で足を止めた。
止まってから、こちらへ来た。
手が伸びて、途中で止まった。
「……爺さんが彫った」
「そうですか」
「息子にな」
「息子さん」
「十六で、流行り病で死んだ」
「……はい」
「爺さんも、そのあと三年で死んだ」
老婆は馬を手に取った。
首と胴を、両手で持って合わせた。
「下手だろう」
「そうですね」
俺は、正直に答えた。
嘘をつく理由がない。
「彫り跡が粗いです」
「そうだ」
「脚の長さが、揃ってないです」
「そうだ」
「たてがみの線が、途中で曲がってます」
「そうだ」
老婆が笑った。
目が濡れていたが、笑っていた。
「直してくれるか」
「はい」
「ついでに、綺麗にしてくれてもええぞ」
俺は、首を振った。
「それは、しません」
「なんでだ」
「これは、新品にしちゃいけないやつです」
老婆がこちらを見た。
「……新品に」
「はい。首をくっつけるだけにします」
「彫り直したほうが、上等になろう」
「なりません」
言い切ってしまってから、少し焦った。
だが、ここは譲れなかった。
「上等になっても、爺さんが彫ったのじゃなくなります」
老婆は何も言わなかった。
馬を俺の手に載せ、首と胴を合わせた。
この馬が、まだ折れていなかったころ。小刀が入って、木くずが飛んで、削り跡に指の脂がついたころを思う。
彫ったその日を。
折れ口の繊維が伸びた。
伸びて、噛み合って、線が消えた。
乾いていた木肌が、艶を取り戻す。
粗い彫り跡は、粗いままだ。揃っていない脚は、揃っていない。曲がったたてがみは、曲がったままだった。
小刀を入れたばかりの、木の匂いがした。
「はい、いいですよ」
俺は馬を老婆に返した。
老婆は、しばらくそれを見ていた。
それから、火のそばにいたコルを呼んだ。
「小僧」
「はい」
「持っとけ」
「……いいの」
「壊すなよ」
コルが両手で受け取った。受け取って、走っていった。
その日の夕方だった。
広場で火を焚いていると、ハンナさんが俺の前に来た。
来て、地面に膝をついた。
「え」
そして、両手を合わせた。
「あ、いや、待って」
「ありがたや」
「待ってください」
「ありがたや」
隣で、リナさんも膝をついた。
コルが、母親の真似をして手を合わせた。
ボルグさんが、少し離れたところで頭を下げていた。
「あの、何かの儀式ですか」
「拝んどるんだ」
「拝まないでください」
「拝ませてくれ」
「困ります」
「困ってくれ」
どこかで聞いた返しだった。
俺は、シルフィのほうを見た。助けてくれるかと思ったからだ。
シルフィは、両手を前で重ねて、静かに立っていた。止める気が、まったくなかった。
「あの、俺、そういうのじゃないので」
「では、何だ」
「町の修理屋です」
「町」
「はい」
「町がどこにある」
言われてみれば、ここには町がない。
「……えっと」
「ほれ、答えられん」
「いや、そういう意味ではなくて」
俺は、手のひらを見せた。
「壊れてるものを、直しただけです」
「それが、ありがたい」
「屋根とか、鍋とかですよ」
「屋根と鍋がなくて、人は死ぬ」
返事に詰まった。
この人の言うことのほうが、正しい気がした。だが、認めると拝まれ続ける。
「とにかく、立ってください」
「いやだ」
「膝、痛くなりますよ」
「痛くない。直してもらった」
「そこは直してないです」
火の向こうで、ガドーさんが笑った。
声を上げて笑ったのは初めて見た。
笑ってから、ガドーさんはシルフィのほうを見た。シルフィも、ガドーさんを見た。
二人は、しばらく目を合わせていた。それから、どちらからともなく小さく頷き合った。
何も、言わなかった。




