第18話「戻ってきた者たち」
村の入口まで、三人で出た。
草を分けて、荷車が一台入ってくるところだった。
小さい荷車だ。積んでいるのは、鍋と、丸めた寝具と、布の袋がいくつか。
それを、女がひとりで引いていた。
後ろから、老婆が押している。
脇に、子供がひとり。
いちばん後ろに、杖をついた男がいた。左脚を引きずっている。
四人だった。
俺たちを見て、女が足を止めた。止めて荷車の柄を握り直した。
「……人が、おる」
老婆が言った。
声が細い。だが、耳は遠くなさそうだった。
「こんにちは」
俺は頭を下げた。
返事はなかった。
四人とも、俺ではなく、俺の後ろを見ていた。
「ガドー」
老婆が言った。
「ハンナか」
「ガドーだ」
「ハンナだな」
それだけの会話だった。二人とも、そこから先が続かなかった。
「煙が」
女のほうが、口を開いた。
「煙が、上がっとったので」
「見えたか」
「隣の谷から。さっき、稜線に」
「そうか」
「二十年、上がらんかったので」
女はそこで言葉を切った。
言い終わる前に、声が揺れていた。
「……見に来たんです」
「よく来た」
ガドーの声も、揺れていた。
俺は少し下がって、シルフィの隣に立った。
二十年ぶりの挨拶に、他人が入る場所はない。
子供が荷車の陰から顔を出した。
六つか七つだ。俺と目が合って、すぐ引っ込んだ。
「コル」
女が言った。
「隠れんでいい」
「……」
「この人は」
そこで、女がこちらを見た。
目が、まっすぐだった。
「どなたですか」
「あ、ルークといいます」
「ルークさん」
「はい」
「ここで、何を」
「住んでました」
言ってから、まずいことを言ったと気づいた。
ここは、この人たちの村だ。
俺は、荷車の前まで歩いた。
そして、頭を下げた。
「すみませんでした」
「え」
「勝手に、住んでました」
「……あの」
「家も、井戸も、畑も、勝手に直しました」
顔を上げると、四人が同じ顔をしていた。
何を言われているのか、わかっていない顔だ。
「持ち主に、断ってないので」
「……直した」
「はい」
「何を、ですか」
「たぶん、だいたい全部です」
沈黙が来た。
長い沈黙だった。
その沈黙を、ガドーが破った。
「ハンナ」
「なんだ」
「井戸を見てこい」
「井戸は涸れとる」
「いいから、見てこい」
老婆は、口を尖らせて歩き出した。
途中から、歩き方が速くなった。
井戸の縁に手をかけて、覗き込んで、動かなくなった。
それから、桶を落とした。
いい音がした。
引き上げるのを俺が手伝おうとしたら、手で払われた。
老婆は、自分で引き上げた。
桶の水を、両手ですくった。
飲んだ。
「……ああ」
膝が折れた。
俺は慌てたが、倒れたのではなかった。
その場に座り込んで、桶を抱えたのだ。
「甘い」
「はい」
「この村の水だ」
「シルフィさんも、そう言ってました」
老婆は、桶に顔を寄せて動かなかった。
「あの、すみません」
「なんだ」
「手前から一軒目の家は、どなたのですか」
「わしの家だ」
「……あー」
「なんだ」
「俺、そこで寝てました」
老婆が、顔を上げた。
「勝手にか」
「はい」
「屋根は落ちとったろう」
「直しました」
「壁も抜けとった」
「直しました」
「戸は」
「開きます」
老婆は、桶を置いて立ち上がった。
「見せろ」
連れていくと、老婆は戸の前で止まった。
押した。
戸は、すっと開いた。
中を覗いて、老婆は動かなくなった。
床に埃がない。壁板の目が通っている。梁の下に、蜘蛛の巣がひとつもない。
「……新しい」
「はい」
「わしが嫁に来た日と、同じだ」
「よかったです」
「気味が悪い」
「すみません」
畑を見せると、女は柵に手をついた。四枚とも黒い。
しゃがんで、土を握った。握った土が団子になる。
「……鋤が、入ります」
「はい」
「これ、去年まで白かったんです」
「はい」
「わたし、ここで育ちました」
女は、リナと名乗った。
二年前に夫を亡くして、子供と二人で宿場の裏を借りていたという。
「もう、貸し賃が払えなくて」
「そうですか」
「戻る場所があるなら、と思って」
「ありますよ」
「……」
「家、十一軒あります」
「十一」
「はい。数えました」
リナが、笑った。
笑ってから、口を押さえた。笑うつもりではなかったらしい。
杖の男が、そのあいだ、ずっと黙っていた。柵の外に立って、村を見ている。
俺が近づくと、少し身構えた。
「ボルグだ」
「ルークです」
「脚は、生まれつきではない」
「はい」
「石切りで潰した。八年前だ」
「そうですか」
「治らんと言われた」
「はい」
俺は、それ以上聞かなかった。
聞くと、直したくなる。
この人は、まだ何も頼んでいない。
「ボルグさん」
「なんだ」
「重い荷は、俺が持ちますね」
「……いらん」
「はい」
「持てる」
「わかりました」
ボルグは、荷車から鍋の束を降ろした。
右手一本で、しっかり持っていた。
日が傾くころ、ガドーが鍛冶場から出てきた。
手のひらに、釘を載せている。
打ったばかりのやつだ。まだ、うっすら色が残っている。
「ハンナ」
「なんだ」
「これを持て」
老婆は釘を受け取って、それから、ガドーの左手を見た。
見て、動きが止まった。
ガドーの左手は、釘を四本、握っていた。
「……あんた」
「ああ」
「手が」
「ああ」
「三年前、あんた、その手を」
「直った」
「直ったって、あんた」
「そこの男が、直した」
ハンナが、こちらを見た。
リナも、コルも、ボルグも、こちらを見た。
四人ぶんの目が、いっぺんに来た。
こういうのは、慣れない。
「あの」
「……」
「釘、たくさんありますよ」
言うことが、それしか思いつかなかった。
誰も、笑わなかった。
日が落ちて、広場に火を焚いた。
石積みの台で焚いた。欠けたところは、来た日に直しておいたやつだ。
鍋がひとつ、火にかかっている。
湯の中で、シルフィの持ってきた青いものが煮えていた。
「苦いです」
「苦いですね」
「体にいいのです」
「そう言われるやつは、だいたい苦いですね」
「あんたら」
ハンナが、鍋の向こうから言った。
「それ、毎朝やっとるのか」
「やってます」
「はい」
コルが、鍋の縁を覗き込んだ。覗いて、顔をしかめた。
しかめてから、こちらを見て、慌てて下を向いた。
リナが、その頭に手を置いた。
それから、火の向こうから、俺のほうを見た。
「ルークさん」
「はい」
リナは、少し言いよどんだ。
言いよどんで、それから、手前から二軒目の家を指した。
屋根が落ちて、蔦に埋もれている家だ。
「あの家、わたしの生まれた家です」
「そうですか」
「あの」
「はい」
「この家、直してもらえませんか」




