第2話「十年、地下でやっていたこと」
街道を歩きながら、昔のことを考えた。
考えたというより、手が覚えていることを、順番になぞっただけだ。
団の工房は、地下にあった。
夜になると、俺はそこに降りる。階段を十四段。冷たい石の匂いがして、それから炭と油の匂いになる。
台の上には、その日の分が積んである。
「はい、順番にいきますね」
俺は台に向かって言う。癖だ。
物に話しかけると、どこが痛いのか、なんとなくわかる。親方もそうしていた。
まず、剣。
鞘から抜いて、刃を灯りにかざす。
「あー、また先が荒れてますね」
ガイルの剣は、いつも先の三寸が荒れていた。振り下ろす癖のせいだ。何度言っても直らないので、俺が直した。
砥石を三種類、順番に使う。荒いのから細かいのへ。
「はい、いいですよ」
次に、鎧。
「ドルクさんは、重いなあ」
大盾の留め具は、革が伸びる。伸びた革は戻らないから、そこは新しくする。金具の当たる面には油を差す。
それから、メルヴィの杖。
「これ、また濡らしましたね」
杖は難しい。木は生きているから、乾きすぎても湿りすぎても駄目だ。彼女は雨の日でも杖を出しっぱなしにする。だから毎晩、繊維の詰まりを見た。
終わりのほうで、いつも手が止まる。
「あと、これですね」
盾だ。ドルクのではなく、団の予備の小盾。
誰も使っていない。使っていないのに、置いてあるだけで傷む。革が乾いて、縁が反る。
「使ってもらえないと、だめになるんですよ」
油を塗った。
誰も気づかない仕事だ。気づかれる必要もない。
全部終わると、外はもう白い。
俺は階段を十四段のぼって、寝る。
一度、こんなことがあった。
ガイルの剣を研いでいて、手が止まった。
「……あれ」
おかしい。
その剣は、団が買ったときから見ている。造りも、鋼の癖も、俺の指が覚えている。
なのに、その日は刃の通りが違った。
砥石の上で、抵抗がない。すっと入って、すっと抜ける。仕上げた刃を紙に当ててみた。
押しただけで、割れた。
「……こんな鋼でしたっけ」
灯りにかざす。
刃の模様は、たしかに買ったときのものだ。おかしなところはない。
「気のせいでしょう」
俺は剣を鞘に戻した。
たぶん、砥石の当たりがよかったのだ。そういう日がある。手の調子と石の目が合う日が、年に何度か。
そう思うことにして、それきり、忘れた。
昼、階段の上から声が降りてくることがあった。
「今日も一発だったな」
ドルクの声だ。
「あの装甲を抜けるとは思わなかったぜ」
「腕が上がったんだろう」
ガイルが答える。
「そうかな。まあ、そうか」
「そうだ」
「俺の盾もよ、なんか軽くてよ。前は腕が上がらなかったのに」
「痩せたのではないの」
メルヴィの声だ。
「俺が? 見ろよ、この腹」
「見たくないわ」
笑い声がした。
「なあ、ガイル」
「なんだ」
「うちの装備、当たりだったよな。買ったとき安いって笑われたけどよ」
「良い品だ。目利きが良かったということだろう」
「お前の目利きかよ」
「他に誰がいる」
また笑い声。
俺は下で聞いていた。
腕が上がったのなら、いいことだ。刃の欠けを見ながら、そう思った。
実際、三人の装備の傷み方は年々ひどくなっていた。無茶ができるようになった証拠だろう。
無茶ができるなら、そのぶん直せばいい。
だから毎晩、直した。
「ルーク」
一度だけ、メルヴィが降りてきたことがある。
「はい」
「あなた、いつ寝ているの」
「朝に」
「朝の、いつ」
「明るくなってからです」
「起きるのは」
「昼です」
「……それ、寝ていると言うの」
「言いますよ」
「……そう」
彼女は台の上を見ていた。剣が三本、鎧が二つ、杖が一本。全部、その日のうちに直す分だ。
「これ、全部、今夜?」
「はい」
「ガイルは知っているの」
「何をですか」
メルヴィは、何か言いかけた。
それから、首を振った。
「いいえ。なんでもない」
彼女は階段を上がっていった。
俺は杖を手に取った。まだ湿っていた。
聖剣のことも、話しておきたい。
団の宝で、普段は俺が触ることはない。神殿から借り受けたもので、手入れも神官がする決まりだった。
月に一度、白い衣の神官が来る。
「ご苦労さまです」
「どうも」
「今月も、異常はありませんでした」
「そうですか」
「この剣は、傷みません。加護がありますので」
「いいですね」
「あなたの仕事も、減りますよ」
神官はいつも同じことを言って、いつも同じように帰っていった。
悪い人ではなかった。ただ、剣を見ていなかった。
見る必要がなかったのだと思う。傷まないと決まっているものを、わざわざ見る人はいない。
追放を言い渡される、前の晩。
台の上には、いつもより一本多く載っていた。
その聖剣が、鞘ごと置いてあった。
「……いいのかな、これ」
誰かが間違えて出したのだろう。神官が来るのは来週だ。
戻しておこうかと思った。
思って、手が止まった。
「……いや、いま抜いたほうがいいですね」
理由はない。ただ、そういう気がした。
抜いてみて、指が止まった。
刃には、傷ひとつない。
けれど、根元が死んでいた。
うまく言えない。柄と刃を留める部分の、鋼の芯が、もう伸びきっていた。糸を限界まで引いたときの、あの感じだ。
次に強く振れば、折れる。
折れるとわかるのに、見た目はどこも壊れていない。
「これ、危ないですね」
俺は鑢を取った。
「痛かったでしょう。すぐ済みますから」
「加護があるって、聞きましたけど」
「守られてても、疲れますよね」
「むしろ、守られてるぶん、無理をしますし」
剣は何も言わない。
「はい、力を抜いてください」
死んだ芯を、生きていたときの形に戻していく。糸を、引く前の巻きに戻す。そういう手つきだ。
名前のある技ではない。俺がそう思ってやるだけの、癖のようなものだ。
朝までかかった。
鞘に納めて、台に置いた。
「はい、いいですよ」
それから俺は階段をのぼって、寝た。
その日の昼に、追放を言い渡された。
だから——誰にも、言っていない。




