第1話「修繕しかできない無能はいらない」
「修繕しかできない無能はいらない。追放だ」
勇者ガイルは、そう言った。
朝だった。庭に張った天幕の隙間から、光が細く差している。俺はその下で、盾を膝に載せていた。
留め金が緩んでいる。
昨日の戦いで歪んだのだろう。指で押すと、わずかに遊びがあった。ここが抜ければ、腕から外れる。
「聞いているのか、ルーク」
「はい。聞いています」
俺は顔を上げた。
天幕の入口に、三人が立っていた。ガイルと、魔導士のメルヴィ。それから盾役のドルクだ。
「十年だ」
ガイルが言った。
「十年、お前はうちで何をした」
「修繕を」
「そうだ。修繕だけだ」
ガイルの声に、怒りはなかった。もっと平らなものだった。帳簿の数字を読み上げるような声だ。
「魔物を一匹でも倒したか」
「いえ」
「回復魔法は」
「使えません」
「索敵は」
「できません」
「野営の設営は」
「それは、やってます」
「あれは新入りの仕事だ」
「あ、そうですね」
ドルクが笑った。
「聞いたか、設営だってよ」
「ドルク」
メルヴィが短く言った。ドルクは肩をすくめた。
「では、何ができる」
ガイルが続けた。
「直せます」
言ってから、少し考えた。
「……それだけです」
「団は、来月から北へ入る」
ガイルが言った。
「聞いています」
「あそこは補給が利かない。連れていく人数を絞る」
「はい」
「戦えない者を食わせる余裕はない」
「そうですね」
「わかっているなら話は早い」
ガイルが一枚の紙を差し出した。受け取ると、脱退の届けだった。俺の名前のところだけが空いている。
「今日中に出ていけ」
「わかりました」
俺は紙を膝の横に置いた。それから、盾に手を戻した。
「あの、ガイルさん」
「なんだ」
「その前に、この盾だけ直させてください」
ガイルの眉が動いた。
「留め金が緩んでます。このままだと、次で外れますよ。腕から」
「……お前は」
「五分で終わりますので」
「いらん」
「でも、危ないです」
「いらんと言っている」
ガイルは俺を見下ろしていた。何か言いかけて、やめた。
それから、盾を蹴った。
盾は転がって、柱にぶつかって止まった。かん、と音がした。留め金の歪みが、さっきより大きくなった音だ。
俺はその音を、耳で追った。
「……はい」
そうか、と思った。
もう俺の仕事ではないのだ。ここの装備は、ここの誰かが見る。俺が手を出すことではない。
「わかりました。すみません」
「謝るな。気味が悪い」
ガイルは背を向けた。ドルクが続いた。
メルヴィだけが、少し残った。
「ルーク」
「はい」
「……いえ」
「なんですか」
「なんでもないわ」
彼女も出ていった。
給金の話は、しなかった。
正確には、しようとして、やめた。
天幕の外で待っていた会計係が、先に紙を出してきたからだ。
「精算です」
「早いですね」
「昨日のうちに作りました」
昨日のうちに、か。
俺は紙を受け取った。工房の維持費、道具の消耗費、宿代の立て替え。ずらりと並んだ数字の一番下に、差し引きが書いてある。
ゼロだった。
「相殺です」
「ああ、なるほど」
「不服ですか」
「いえ。計算は合ってますから」
合っていた。並んだ数字に、間違いはひとつもない。俺が使った砥石も、油も、炭も、全部そこにある。
ただ、俺が直した装備の数は、どこにも書いていなかった。
書く欄がないのだから、仕方がない。
「工房の道具は、持っていっていいですか」
「あれは団の備品です」
「そうですか」
「規則ですので」
「はい」
砥石は置いていくことになった。金床も、万力も、炉も。十年かけて手に馴染ませたものが、全部そこの備品だった。
持ち出せたのは、腰の道具袋ひとつだけだ。
親方から譲られた、革の袋。中には鑢が三本と、小さな金槌がひとつ。それと油の壜。
「それだけですか」
「十分です」
「……あの」
会計係が、紙を胸に抱えた。若い男だ。名前は知らない。
「うちの兄が、去年、あなたに斧を直してもらったそうです」
「そうですか」
「柄が折れたやつです。覚えていますか」
「覚えてます。栗の木でしたね」
「……覚えているんですか」
「木は、だいたい覚えてます」
「兄は、まだ使っていると言っていました」
「よかったです」
「あの」
「はい」
「本当に、これでいいんですか」
彼は紙を見た。ゼロと書いてある紙だ。
「計算が合ってますから」
「そうじゃなくて」
「大丈夫ですよ」
それだけだった。
彼は頭を下げて、天幕のほうへ戻っていった。
出ていく前に、地下へ降りた。
最後に見ておきたかった。
階段を十四段。冷たい石の匂い。それから、炭と油の匂い。
「おはようございます」
誰もいない部屋に言った。
台の上は、空だ。昨日の分は昨日のうちに終わらせた。俺のいない今夜から、ここには何も積まれない。
金床を撫でた。
角が丸くなっている。十年、俺が丸くした角だ。
「すみません。持っていけないので」
金床は何も言わない。
「次の人が来ますから」
来ないかもしれない、とは思わなかった。
炉の口を覗いた。灰がまだ温かい。掻き出しておこうかと手を伸ばして、途中で止めた。
もう俺の炉ではない。
「……はい」
砥石を三つ、順番に指で撫でた。荒いの、中くらいの、細かいの。細かいのが一番減っている。
万力の把手を回した。滑らかだ。去年、油を入れ替えた。
「じゃあ」
それだけ言って、俺は階段をのぼった。
十四段。
のぼりきったところで、一度だけ振り返った。
暗かった。
門を出たのは、昼前だった。
街道に立って、振り返る。
石造りの壁の向こうに、団の旗が見えた。十年、あの下で暮らした。地下の工房には窓がなかったから、旗を見上げたのは数えるほどだ。
不思議と、腹は立たなかった。
たしかに俺は魔物を倒せない。索敵もできない。回復もできない。ガイルの言ったことは、全部そのとおりだ。
無能、というのも、まあ、そうなのだろう。
「うん」
俺は道具袋を掛け直した。
掛け直して、歩き出して、それから、足が止まった。
気づいてしまったのだ。
道具袋がある。腕がある。誰の許可もいらない。
——これで、自分の工房が持てるな。




