第110話「本来が、決められない」
上流へ、歩いた。
七番から、六番へ。六番から、五番へ。
道は途中で細くなった。細くなったところで、天井が下がる。下がる前と、後で、石が違った。
「オズワルドさん」
「なんだ」
「ここ、積み方が変わってます」
「変わっとる」
「どっちが古いですか」
「向こうだ」
「こっちは、あとですね」
「あとだ」
「いつですか」
「三百年前と、聞いておる」
「誰にですか」
「死んだ技師長にだ」
「その人は、誰に聞きましたか」
「知らん」
俺は灯りを壁へ寄せた。目地の色が五つあった。白いのがいちばん古い。
その上に、灰。灰の上に、黄色。
黄色の上に、また白。
いちばん上が赤茶けている。五回、人が来ている。五回とも直したつもりでいる。
管が壁から出ていて、途中で切れている。切り口は塞いであった。
塞いだ石は新しい。新しいといっても、二百年は経っている。
「これ、なんですか」
「迂回だ」
「どこへ回したんですか」
「知らん」
「先は」
「無い」
「無いんですか」
「掘って、途中でやめておる」
「やめた人は」
「名も、残っておらん」
もう少し歩いた。壁の中ほどに、四角い口があった。
口の中に石が詰めてある。詰めた石は削り出しではない。
どこかの床を割って使っている。割った面に、彫りの跡が残っていた。彫りは途中で切れている。
もとは別の場所にあった石だ。
「オズワルドさん」
「なんだ」
「この石、よそのですね」
「よそだ」
「どこのですか」
「上の広場の床と、同じ目だ」
「持ってきたんですね」
「運んだのだろう」
「なんでですか」
「石が、足りんかった」
「足りないと、こうしますか」
「する」
「そうですか」
「わしも、したことがある」
「はい」
「三十年前だ」
「どこをですか」
「その、二つ先だ」
俺は壁に手を当てた。当てて、目を閉じた。思う。
本来の姿を思う。来た。白い目地の壁が来た。
千年前の壁だ。継ぎ足しの無い、まっすぐな管だ。
だが、その上に灰の壁が来た。灰の壁は白い壁の上に立っている。
白へ戻せば、灰が落ちる。落ちれば、上の三百年が崩れる。
黄色が来た。黄色を作った人は水の道を右へ曲げた。曲げたおかげで、下の町へ水が行った。
二度目の白が来た。その人は曲げた先を細くした。
細くしたのは、勢いを殺すためだ。殺さないと下の石が割れる。
赤茶が来た。赤茶の人は迂回を掘った。
掘って、途中でやめた。やめたのは、上から水が来なくなったからだ。
どれも、正しい。
どれも、その人の思う本来だ。
五つとも同時に来て、重なった。重なったものは選べない。
手が動かなかった。
動かそうとした。
動かなかった。
指の先だけが震えていた。
額に、汗が出た。寒い場所なのに、出た。
「ルーク様」
「……」
「ルーク様」
「……はい」
「お手が」
「はい」
「止まっております」
「止まってます」
俺は手を離した。離した掌が白くなっていた。押しつけていたのだと、そこで気づいた。
「オズワルドさん」
「……なんだ」
「……わかりません」
「わからん、とは」
「どれが本当なのか、決められないんです」
「五つ、あると言うたな」
「五つです」
「いちばん古いのが、本来ではないのか」
「そうかもしれないです」
「では、それでよい」
「よくないです」
「なぜだ」
「古いのに戻すと、あとの四つが要らなくなります」
「要らんだろう」
「要ります」
「なぜだ」
「あとの四つも、水を配ってたので」
「……」
「三百年前の人は、下の町へ回してます」
「回した」
「二百年前の人は、勢いを殺してます」
「殺した」
「殺さないと、石が割れるので」
「割れる」
「千年前の壁に戻すと、その工夫が消えます」
「……消える」
「消したら、俺が壊したことになります」
その人は何も言わなかった。
俺はもう一度、壁を見て言った。
「千年ぶん、みんな違うことを思ってて」
「……」
「そのどれも、そのとおりなんです」
「……」
「すみません」
謝ってから、まずかったと思った。思ったが、ほかに言うことが無かった。
誰も動かなかった。
シルフィさんが手を上げかけて、下ろした。祈る形にも、支える形にもならなかった。
この人が持っているのは、癒す力だ。癒す相手がここにいない。
ダグさんは俺の後ろに立った。立って、それきりだった。
この人が守るのは、来るものからだ。来るものが、無い。
ミオさんは耳を立てて、奥を向いた。
向いても、報せることが無い。危ないものが来ていない。
三人とも、できることが一つも無かった。
無いことを、三人とも分かっていた。
分かっていて、そこに立っていた。
立っているだけの人を、俺は初めて見た。
「ルーク様」
「はい」
「わたくしにできることは」
「無いです」
「……はい」
「すみません」
「謝られますな」
「はい」
「もう一度、伺います」
「はい」
「わたくしにできることは」
「……無いです」
「承知いたしました」
この人は下がらずに、灯りを持ち直した。持ち直しただけだった。
オズワルドさんが階段のほうへ歩いて、途中で止まった。止まって、上を見上げた。
それから、大きい声を出した。
地下で四十年使った声だ。
「メッツ」
「はい」
「局へ戻れ」
「はい」
「わしの机の、下の二段を持ってこい」
「……二十七人ぶんの、でございますか」
「それだけではない」
「では」
「壁の棚も、床の束も、全部だ」
「全部」
「四十年ぶん、全部だ」
メッツさんは聞き返さずに、走った。
しばらく、静かだった。
やがて、上から匂いが降りてきた。紙の匂いだ。
埃と、膠と、古い墨の匂いだった。
匂いのあとに、音が来た。段を踏む音が、揃っていない。
重いものを担いだ足の音だ。
六人が束を担いで降りてきた。その先頭に、メッツさんがいた。いちばん重い束を担いでいた。
束は床に積まれた。積むと、俺の腰まであった。
オズワルドさんがその前に膝をついた。膝がいつものように鳴った。
「ルークとやら」
「はい」
「わしは直せん」
「はい」
「四十年、一度も直せんかった」
「はい」
「だが」
「はい」
「どこが後から足されたかは、わしが世界で一番よく知っとる」
「……はい」
「白は、わしの前の前の代だ」
「はい」
「灰は、その前」
「はい」
「黄は、記録が二枚残っとる」
「はい」
「赤茶は、わしが写した」
「オズワルドさんがですか」
「わしが、この手でだ」
その人は束の紐を解いて、いちばん上の一枚を取った。取って、両手で開いた。
開いた紙が灯りを受けた。
線が、細い。数の字がいちいち小さい。
四十年、この字で書いてきた紙だ。
「では、始めよう」
「はい」
「……千年ぶんだ」




