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110/112

第110話「本来が、決められない」

 上流へ、歩いた。


 七番から、六番へ。六番から、五番へ。


 道は途中で細くなった。細くなったところで、天井が下がる。下がる前と、後で、石が違った。


「オズワルドさん」


「なんだ」


「ここ、積み方が変わってます」


「変わっとる」


「どっちが古いですか」


「向こうだ」


「こっちは、あとですね」


「あとだ」


「いつですか」


「三百年前と、聞いておる」


「誰にですか」


「死んだ技師長にだ」


「その人は、誰に聞きましたか」


「知らん」


 俺は灯りを壁へ寄せた。目地の色が五つあった。白いのがいちばん古い。


 その上に、灰。灰の上に、黄色。


 黄色の上に、また白。


 いちばん上が赤茶けている。五回、人が来ている。五回とも直したつもりでいる。


 管が壁から出ていて、途中で切れている。切り口は塞いであった。


 塞いだ石は新しい。新しいといっても、二百年は経っている。


「これ、なんですか」


「迂回だ」


「どこへ回したんですか」


「知らん」


「先は」


「無い」


「無いんですか」


「掘って、途中でやめておる」


「やめた人は」


「名も、残っておらん」


 もう少し歩いた。壁の中ほどに、四角い口があった。


 口の中に石が詰めてある。詰めた石は削り出しではない。


 どこかの床を割って使っている。割った面に、彫りの跡が残っていた。彫りは途中で切れている。


 もとは別の場所にあった石だ。


「オズワルドさん」


「なんだ」


「この石、よそのですね」


「よそだ」


「どこのですか」


「上の広場の床と、同じ目だ」


「持ってきたんですね」


「運んだのだろう」


「なんでですか」


「石が、足りんかった」


「足りないと、こうしますか」


「する」


「そうですか」


「わしも、したことがある」


「はい」


「三十年前だ」


「どこをですか」


「その、二つ先だ」



 俺は壁に手を当てた。当てて、目を閉じた。思う。


 本来の姿を思う。来た。白い目地の壁が来た。


 千年前の壁だ。継ぎ足しの無い、まっすぐな管だ。


 だが、その上に灰の壁が来た。灰の壁は白い壁の上に立っている。


 白へ戻せば、灰が落ちる。落ちれば、上の三百年が崩れる。


 黄色が来た。黄色を作った人は水の道を右へ曲げた。曲げたおかげで、下の町へ水が行った。


 二度目の白が来た。その人は曲げた先を細くした。


 細くしたのは、勢いを殺すためだ。殺さないと下の石が割れる。


 赤茶が来た。赤茶の人は迂回を掘った。


 掘って、途中でやめた。やめたのは、上から水が来なくなったからだ。


 どれも、正しい。


 どれも、その人の思う本来だ。


 五つとも同時に来て、重なった。重なったものは選べない。


 手が動かなかった。


 動かそうとした。


 動かなかった。


 指の先だけが震えていた。


 額に、汗が出た。寒い場所なのに、出た。


「ルーク様」


「……」


「ルーク様」


「……はい」


「お手が」


「はい」


「止まっております」


「止まってます」


 俺は手を離した。離した掌が白くなっていた。押しつけていたのだと、そこで気づいた。


「オズワルドさん」


「……なんだ」


「……わかりません」


「わからん、とは」


「どれが本当なのか、決められないんです」


「五つ、あると言うたな」


「五つです」


「いちばん古いのが、本来ではないのか」


「そうかもしれないです」


「では、それでよい」


「よくないです」


「なぜだ」


「古いのに戻すと、あとの四つが要らなくなります」


「要らんだろう」


「要ります」


「なぜだ」


「あとの四つも、水を配ってたので」


「……」


「三百年前の人は、下の町へ回してます」


「回した」


「二百年前の人は、勢いを殺してます」


「殺した」


「殺さないと、石が割れるので」


「割れる」


「千年前の壁に戻すと、その工夫が消えます」


「……消える」


「消したら、俺が壊したことになります」


 その人は何も言わなかった。


 俺はもう一度、壁を見て言った。


「千年ぶん、みんな違うことを思ってて」


「……」


「そのどれも、そのとおりなんです」


「……」


「すみません」


 謝ってから、まずかったと思った。思ったが、ほかに言うことが無かった。


 誰も動かなかった。


 シルフィさんが手を上げかけて、下ろした。祈る形にも、支える形にもならなかった。


 この人が持っているのは、癒す力だ。癒す相手がここにいない。


 ダグさんは俺の後ろに立った。立って、それきりだった。


 この人が守るのは、来るものからだ。来るものが、無い。


 ミオさんは耳を立てて、奥を向いた。


 向いても、報せることが無い。危ないものが来ていない。


 三人とも、できることが一つも無かった。


 無いことを、三人とも分かっていた。


 分かっていて、そこに立っていた。


 立っているだけの人を、俺は初めて見た。


「ルーク様」


「はい」


「わたくしにできることは」


「無いです」


「……はい」


「すみません」


「謝られますな」


「はい」


「もう一度、伺います」


「はい」


「わたくしにできることは」


「……無いです」


「承知いたしました」


 この人は下がらずに、灯りを持ち直した。持ち直しただけだった。



 オズワルドさんが階段のほうへ歩いて、途中で止まった。止まって、上を見上げた。


 それから、大きい声を出した。


 地下で四十年使った声だ。


「メッツ」


「はい」


「局へ戻れ」


「はい」


「わしの机の、下の二段を持ってこい」


「……二十七人ぶんの、でございますか」


「それだけではない」


「では」


「壁の棚も、床の束も、全部だ」


「全部」


「四十年ぶん、全部だ」


 メッツさんは聞き返さずに、走った。


 しばらく、静かだった。


 やがて、上から匂いが降りてきた。紙の匂いだ。


 埃と、膠と、古い墨の匂いだった。


 匂いのあとに、音が来た。段を踏む音が、揃っていない。


 重いものを担いだ足の音だ。


 六人が束を担いで降りてきた。その先頭に、メッツさんがいた。いちばん重い束を担いでいた。


 束は床に積まれた。積むと、俺の腰まであった。


 オズワルドさんがその前に膝をついた。膝がいつものように鳴った。


「ルークとやら」


「はい」


「わしは直せん」


「はい」


「四十年、一度も直せんかった」


「はい」


「だが」


「はい」


「どこが後から足されたかは、わしが世界で一番よく知っとる」


「……はい」


「白は、わしの前の前の代だ」


「はい」


「灰は、その前」


「はい」


「黄は、記録が二枚残っとる」


「はい」


「赤茶は、わしが写した」


「オズワルドさんがですか」


「わしが、この手でだ」


 その人は束の紐を解いて、いちばん上の一枚を取った。取って、両手で開いた。


 開いた紙が灯りを受けた。


 線が、細い。数の字がいちいち小さい。


 四十年、この字で書いてきた紙だ。


「では、始めよう」


「はい」


「……千年ぶんだ」

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