↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/107

第10話「直らないもの」

 小屋の中が、急に静かになった。


 炉の火は落ち着いていて、朝の光が戸の隙間から一本だけ差している。その線が、ちょうど布の上を横切っていた。


「見てもいいですか」


 布に手を伸ばしかけて、俺は止めた。


 人の物だ。勝手に触るものではない。


「……どうぞ」


 シルフィの声は、平らだった。


 膝の上の布を、そのまま少しだけこちらへ回してくれる。それだけの動きに、ずいぶん時間がかかった。


 俺は膝をついて、顔を近づけた。


 柄だった部分は黒い。


 黒いというより炭だ。木の目が焼けて縮んで、表面に細かい亀裂が走っている。息を吹いたら粉になりそうだった。


 刃はなかった。


 布の上に散っているのは欠片だ。大きいもので爪の半分、小さいものは砂に近い。


 数えるまでもなく足りない。散った粉のぶんだけ、確実に減っている。


「これ、刃ですよね」


「はい」


「よく持って帰りましたね」


「……ひとつずつ拾いました」


「そうですか」


「土に混じったぶんは、土ごと」


 俺はうなずいた。


 その拾い方はわかる。俺も、砕けた歯車の欠片を土ごと篩にかけたことがある。三日かかった。膝が痛くなった。


 ただ、あれは仕事だった。これは、そうではない。


「これ、どなたの」


「母の物です」


「お母さんの」


「はい」


 シルフィは、布の端を指でそろえた。


「母はもういません」


「そうですか」


「わたしが受け取ったとき、もう古い物でした」


「大事にされてたんですね」


「……」


「柄の擦れ方でわかります。ここ、持つところが減ってます」


 焦げていても、そこだけ形が違う。指の腹が当たるところが、わずかにへこんでいる。


 長く持たれた物にしか、この窪みはつかない。母親の手のぶんと、この人の手のぶんが重なっている。


 シルフィが、顔を上げた。


 少しの間、こちらを見ていた。それから、また下を向いた。


「割れたのはいつですか」


「三年前です」


「脚と同じときですか」


「はい」


 声がそこで一度切れた。


「奥で抜きました」


 俺は黙ってうなずいた。


「抜いた刃が白くなって」


 布の端を握る指に、力が入っていた。


「そのあとのことは、覚えていません」


「そうですか」


 それ以上は聞かなかった。


 聞いても、直し方が変わるわけではない。


 欠片の一つを指の先で軽くつついてみた。動く。くっついてはいない。


「森の術で、三度、繕いを試しました」


 シルフィが言った。


「はい」


「わたしの手で二度、樹守の長の手で一度」


「駄目でしたか」


「粉が粉のままでした」


 欠片を見た。継ぎ目の跡はない。誰も手をつけていない割れ口だ。


「そのあと、人の国へ行きました」


「王都ですか」


「はい。剣を打つ人を、三人」


「なんて言われました」


「いちばん腕のいい方は、触れませんでした」


 シルフィは、そこで少しだけ笑った。


「これは、わしの知っている金属ではないと」


「わかる人ですね、その人」


「……そうでしょうか」


「はい。触らないのも、腕のうちですよ」


 本気で言った。


 わからない物に手を出すと、たいてい壊す。


 親方は、そういう物を三日でも四日でも眺めていた。眺めてわからなければ、そのまま返した。


「もう一人の方は、継げると言いました」


「継ぐ」


「はい。芯を入れて、鉄で巻いて、形にすると」


「なるほど」


「それは、母の短剣ではありません」


「そうですね」


 俺も、そう思った。


 それは新しい短剣を作る話だ。修理ではない。


「だから、断りました」


 いい判断だと思った。持ち主にしかできない判断でもある。


「そのあとは、誰にも見せていません」


 シルフィは布の四隅を持った。


 包み直そうとしている。指の動きが速い。早く仕舞ってしまいたいときの手つきだった。


「あ」


 俺は、声を出していた。


「直しましょうか」


 手が、止まった。


 止まったまま、動かない。長い間があった。


「……いいえ」


「はい」


「結構です」


 俺は引き下がった。


 持ち主が要らないと言うなら、要らないのだ。三原則も何もない。人の物である。


 立ち上がって、炉のほうへ戻った。薪を一本足す。


 背中で、布の擦れる音がした。


「ルーク」


「はい」


「怒らないのですか」


「なんでですか」


「せっかく、と」


「思わないです」


 火を見たまま答えた。


「直らないほうがいい物も、ありますから」


「……これは、違います」


 薪が、小さく爆ぜた。


「直ってほしいのです」


「はい」


「でも」


 声が、詰まった。


「もう三年、駄目でした」


 三年は長い。物なら待てるが、人は待てない。


「駄目だと言われるたびに、少しずつ、諦めました」


「はい」


「いま、また駄目だったら」


 そこで止まった。


 続きは言わなかった。言わなくても、わかる気がした。


 期待しないほうが、痛くない。そういう覚え方をした人の声だった。


 俺は火から目を離さずにいた。


 しばらく、薪の鳴る音だけがしていた。外では、まだ同じ鳥が鳴いている。


「ひとつだけ、聞いていいですか」


「……はい」


「見るだけ、見せてもらえませんか」


「見る」


「はい。直すとは言ってません」


「……」


「数えるだけです」


 返事は、すぐには来なかった。


 やがて、布が動いた。手のひら一枚ぶん、こちらへ寄せられた。


「……見るだけなら」


「はい。見るだけです」


 俺は戻って、また膝をついた。


 欠片を一つずつ布の端へ寄せていく。声に出して数えた。数えると、間違えない。


「一。二。三」


「……」


「七。八」


「……何を」


「十四。十五」


 シルフィは黙って見ている。


「二十二。二十三」


 寄せながら、指先で重さを見ていた。


 軽い。鉄ではない。銀でもない。手のひらに乗せると、金属というより乾いた木の実に近い重さだった。


 最後の粉を寄せて、俺は手を止めた。


「二十三です」


「はい」


「あと、少し足りませんね」


 シルフィの眉が動いた。


「足りない」


「はい。四つぶんくらい。あと、粉になったぶんも」


「……それは」


「森に残ってると思います。土の中とか」


「拾えません」


「ですよね」


 俺は、あごを掻いた。


 足りないぶんを、どこかから持ってこないといけない。


 外を見た。戸の向こうに朝の庭がある。井戸の縁。崩れた石垣。土。


 石は石だ。鉄は鉄だ。そのへんに落ちている物と大事な物とで、中身が違うわけではない。


 足りないところに、足りるだけ入れればいい。


 ちょうどいいのが、いくらでも転がっていた。


「じゃあ」


 俺は顔を上げた。


「材料、そのへんの石でいいですか?」


「……は?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。