2名もなき小説
砂の塔を二人が出発する前。
十階の図書室。まるで本のためにある空間で読者のための場所ではないと言わんばかりの薄暗さの中で、タウベは手当たり次第に本を読み漁っていた。
そこへどこか浮かない顔のホーカーが音もなく近寄り、タウベに声をかける。
「なに読んでんだ?」
「うわっ! びっくりした。気配消さないでよ」
普段ならもう少し早く気づいたタウベも、よほど集中していたのだろう。慌てたように自分が何を読んでいるか確認してからこっそりと深呼吸し、答える。
「今は恋愛小説。でもこれ、あんまり面白くないかも」
「へぇ、お前がそんなの読むなんて、ちょっと意外だな」
「タイトルが掠れちゃって読めなくて、不思議な本だなって思ったんだけど……。変に長い描写とか、未消化のままの伏線とか多すぎて。時間軸もめちゃくちゃだし。なんか全体的に、このまま分からずじまいになりそうなんだよね」
日の光すら満足に入らない図書室だ。
本のタイトルが消えてしまうことなど何かの間違いだと思ったホーカーは、その不愛想な表紙を覗き込む。表紙はカサカサと日に焼けた紙の手触りで、確かにタウベが不思議に思ったのも納得だ。しかしホーカーにはその本の正体が分かった。
「……あっはっは。本当にタウベは、不思議な引きを持ってるよな」
頭に疑問符を浮かべるタウベにホーカーは、それは面白くないかもしれないけど、読む価値はあるとだけ言った。
そう言われてしまえばほとんど興味のなかった結末が気になり、読んだことがあるならいっそ結末を先に聞いてしまいたくなる。
「バッドエンドかハッピーエンドかだけ教えてよ」
「まぁまぁ。初見はたった一回しか楽しめないんだから、オチを言うのも考えものだろ? それに……」
「それに?」
ホーカーは含みのある笑みを浮かべる。
「最後まで読んでから読み返してみると、意外なことが分かるタイプの話もあるさ」
意地の悪い、とタウベは思った。
そんな心情をよそに、ホーカーは積んである本を見て感嘆のため息をつく。
「すごいな。絵本に語学、哲学に冒険浪漫、魔術入門に草花辞書? お前は何になるつもりなんだ」
「別に何かになりたいとかやりたいとかじゃなくて、興味があっただけだよ。ほら、この本の表紙なんか山羊の革でできてるんだよ?」
「それは開かないほうがいいぞ。たまに襲ったりする本が交ざってるんだよ。ここの司書は良い本ならなんでも並べるからなぁ」
「え? そんな本、どこで手に入れたんだろう」
「さあな。とにかく黒い紙を使ってるもの、表紙が革のやつ、ボロボロのやつに、血がついてるやつなんかは避けたほうがいいぞ。どうしても読みたいなら何かしらの備えをしてからのほうが……」
タウベは山羊革の本をそっと棚に戻した。
「ホーカーって読書したりするんだね。そのほうが意外だと思うけど」
「タウベと同じさ。変なものとか見たことないものとか、とりあえず触ってみたくなるだろ?」
「触ってみただけか。そっか、じゃあボクと同じだね」
不安。迷い。そして……諦め?
タウベは眼に映った彼の心について少し考え、言葉を選ぶ。
「ホーカーのことだからもう面白そうな本は全部触っちゃったんじゃない?」
「まぁな。つーか本自体、どっかで飽きちまったな。暇はそれなりに潰したはずだけど、暴れるわ噛まれるわ火吐くわ……。懐いてくっついてくる本もあって、誰の冗談だと思ったりもした。かわいいやつだったな。あいつ今でもここに置いてあるのかな」
「じゃあなんで図書室に? もしかしてボクに用事があったんじゃない?」
懐く本とやらに興味はあった。しかし彼がなぜここに来たのかのほうが気になった。
ギクリとしたホーカーはごまかすように軽く笑ったが、タウベの黒い瞳にじっと見つめられ、観念したように正面に腰を下ろす。
「実はすっげぇ頼みづらいことを、お前に頼みに来たんだ。タウベにしか頼めそうな人はいないし、そんなに危険じゃないことなんだけどさ……」
「? ボクにできることなら、話してみてよ」




