第十章「エルタニア決戦」#3
沈黙のなか、24階までエレベーターはひたすらに上がる。ペリーナの足取りは得体の知れない何者かを背負っているかのように重い。
いつものアルコール臭のする薄緑色の廊下を渡り、規制線の張られた2407号室の事件現場へと辿り着く。
「これは?」
するとすぐ、窓を覆い隠すビニールシートについて歩弓が訊いてきた。
「精神病棟は上層階含めて全ての窓がはめ殺しになっています。安全上のためだとか」
「なら、お姉さんはわざわざ窓枠を外してから飛び降りたってことね。死亡推定時刻は確か夜9時半から11時半の間」
「時刻も先の資料にあった37件とほぼ一致しています」
「お姉さん、貴方と同じクリスチャンだったんでしょ? だから自殺じゃない確信があった。どんな人だったの?」
「見えないものが見えたり、聞こえたり。叔父の葬儀で埋葬する際、まだそこにいるのに土に埋めるなんて、と泣き崩れたりしたこともありました」
「第六感。それから精神病棟って飛躍してると思うけど」
「両親は昔から気味悪がっていましたから。接する態度にもそれが出始めて。そんな家には私もいたくなくて、それで」
「二人で教会に通うようになった」
「よく調べてありますね」
窓からペリーナに視線を移すなかで、歩弓は足元に落ちている服用済みの包装シートを見つけた。
ゴミ箱は空だったため、回収作業か鑑識作業中に零れ落ちたものかと推測し、その二錠分のシートを拾いあげる。
「これはお姉さんの?」
「向精神薬だと思います。あと、姉は偏頭痛持ちだったので、頭痛薬かもしれません。頭の中がスッキリするとかで、若い人の間でも服用している方は多いかと」
「少し待ってて」
それを聞いた途端、足早に病室の外に出て行ってしまう歩弓。ペリーナはその理由を知っていた。
「至急、シルバート騎士団長に調べて頂きたいことがあります。例の被害者全員が同じ薬を服用していた痕跡があり、名前はアゾメタシン」
ややあって電話口から返答がある。
「ヘスペリデス製薬。本社はロンドン、セントラル街。代表はアンシェル・リガルド・ハイヴクラウン。運が良ければ殺害の方法、その奥にいる彼女に手がかかるかもしれない。これから総出で向かいます」
「急用でしょうか?」
黙って立ち去ろうとする歩弓に声を掛けたのは他でもない、この先の顛末を知るペリーナだった。
「薄情とは違う冷静さ。でもペリーナって、まるで一連の事件を全部知ってたみたい」
「……」
ペリーナには歩弓こそが敵が化けた十眷王だと思い警戒していた。しかしここで永劫の別れが訪れるタイミングに差し掛かる。
「貴方も、未来が見えるのね」
「行っては……なりません……」
それは未来を変える禁忌の一言だった。それでも黙って死地にむかう彼女を見捨てられはしなかった。
「どこまで知ってて協力するフリをしてたの?」
「あなた方が追っている夜の眷属の筆頭。藤澤砂夜を、時を超えて今、私たちが追っています」
歩弓に混乱する様子はなく。ただ運命を受け入れるように小さく頷いた。
「そう。なら、先のことは聞かないでおくわ。貴方ともこれまで」
「増援を待った方がいい」
「アンシェルもこちらの動きは察してるでしょうし、今しかないの。少しでも多くの情報を未来に残すために私は今、戦うわ」
歩弓は力強くペリーナに背を向け歩き出し、全団員に招集をかける。
「ここでなら過去は変えられるかもしれない。ですが……」
熟考するペリーナを置いて、歩弓の車が駐車場を出る。視界には正面玄関前に停車したばかりのタクシー。
気がつけば来た道を戻り、ドライバーに行き先を告げていた。
「私に、何が出来る……」




