第十章「エルタニア決戦」#2
「俺は定年まで何事もなく終わりたい。ただそれだけを願って毎日職務に励んでる。それに何度もこいつには事件性がないと説明して……」
あの悪夢のような日の再現にペリーナは呆けていた。
「聞いているのか? シスター?」
終始イライラしている制服警官が声を荒げたことで我に帰る。
「失礼いたします」
その場を離れ、正面玄関へ向かってすたすたと階段を降りるペリーナは、この身に何が起きたのかを整理した。
「『間違いない。姉の事件の二日後。あの警察官が言った科白も記憶の中とほとんど同じ。危機感を覚えるなら、その〝ほとんど〟という点。過去であるはずの今日が私の介入によって変質する可能性があることを意味している』」
歩道に出た所でクラクションが二回鳴った。車道も広く、特別珍しいことではなかったのだが、その事実をペリーナは鮮明に覚えていた。
「ここで出逢うのでしたね……」
「シスターペチパンナ。アリエッタ・ペチパンナの妹さん、でしょ?」
路肩に止めた車を降り、運転席から視線を送る彼女。ついこの前、葬儀をとり行った日護歩弓騎士団長である。
これがただの心象風景の再現ならば相応の対処にまわればいい。ただし、ここが本当の過去ならば、立ち回りに気を配らなければならない。未来に影響を及ぼさぬように。
「まるで、バックトゥザ・フューチャーですね」
独り言ちるペリーナの元に歩弓がかつかつと靴音を立てて近づいてきた。
「私は日護歩弓。あまり詳しいことは言えないけど、貴方の味方よ。良ければこれからドライブに付き合ってくれない?」
「『きっと私が導いていかなくても、この方は真相まで、藤澤砂夜まで辿り着く。ならすべきことは当時と同じ〝ありのまま〟を話すこと』」
あくまでも自然体に。そう心がけて返答に及ぶ。
「姉の事件を知って私に?」
「そう。訳あって調べてるの。その辺り道々話すわ。さぁ、乗って」
促されるまま助手席の固いシートに座る。
無音の車内。話し始めたのは歩弓からだった。
「ペリーナ・ペチパンナ。魔術省傘下の修道院に通いながら、魔術学校に席を置いている魔術師見習い。優秀すぎて聖堂騎士団からもお声が掛かってる優等生」
「そのカラーネクタイを見て騎士団長だと分かりました。姉が飛び降りたことと何か関係があるのですね」
「私の素性にあまり驚かないのね。さっきは警官相手に飛び掛かる勢いだったけど」
当時の自分は姉の死に冷静さをなくしていた。今の自分はそれをもう受け入れてしまっており、その感情の差に気付かされる。
「薄情でしょうか」
つい今の本音が漏れてしまった。
「ううん。意外と人って、葬儀でご遺体が焼かれたり、土に埋めたりするまでは気を張ってて泣けないものだったりするのよ。なにも変じゃないし、事故ってのに疑念がある内は特に」
「やはり姉は自殺ではないのですね」
「後ろの座席にある資料を見て」
捜査資料のコピーが大量にファイリングされている。
「日付は全部同じ11月4日。死因はバラバラだけど共通点があった」
添付されている写真に映る遺体は、全て首吊りやガス管を咥えている者、リストカットしたと思われる自殺体ばかり。
「『今思えば、これが藤澤砂夜の感応による大量殺戮の始まり……』」
「同時多発的という点は捜査員に疑問をもたせたけど、全員自殺で処理された。理由は二つ。他殺の痕跡が一切ないこと。あえて被害者って定義すると、みんな精神疾患をかかえてたこと。鬱病とか適応障害とか発達障害とか」
「私の姉もそうです。統合失調症と診断されていました」
「決まりね。犯人は標的を選んで殺害していた。方法はいまだ分からずだけど。何か意味があるのよね……さ、見えてきた」
この世で最も忌避していた場所。姉が24階から飛び降りた州立病院の精神病棟が、鈍色の空の下、聳え立っていた。




