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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十三章 兆し
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彼方を見つめて

新章開始です。

それと、レビューをいただきました。

ありがとうございます。

 日が昇ってから、さほど経っていない。すぐ下の海面に照り返された陽光の眩しさに、思わず目を細めた。闇が万物から輪郭を奪い去るとするなら、光もまたそうなのだ。

 ゆっくりと音もなく滑り込んでくる帆船の黒い影が、世界に形を取り戻させた。振り返れば、東の歯車橋が、ようやく紺碧に染まった空の下、その厳めしい姿で突き立っていた。


「わざわざ済まないな」

「いや、申し訳ないのはこっちの方なので」


 アナクの件もあり、急いで領地に戻った俺は、ベルノストとタマリアの送別会に顔を出し損ねた。この場には、ニドもルークもいない。見送りたいのはやまやまながら、この年末の忙しい時期には、それぞれ仕事がある。特にニドはそうだ。だから前もって集まる約束だったのだが、その日程に、例の事件が重なってしまった。

 二人は、この縞瑪瑙の月の末、帝都ばかりか世界中がお祭りムードに包まれる中、さして上等ともいえない客船に乗って、オムノドに向かうことになっていた。フシャーナとコモの手回しのおかげで、あちらでの就職先が決まっていて、年明けすぐに勤務が始まる見通しだった。だから、帝都で楽しい時間を過ごしてから、というわけにもいかなかった。いずれにせよ、特にベルノストは有名人でもあったから、華やかなラギ川北岸の市街地で飲み騒ぐなんてできっこなかったが。


「それより、気になっていたことが」

「なんだ?」


 しばらくの間、あのシーチェンシ区のスラムで暮らしたはずなのだが、ベルノストはまったく貴公子然としていた。煌びやかな衣装に身を包んでいるのではないが、上着のデザインも見慣れた部類のもので、髪の毛も切っていない。


「庶民の暮らしには適応できたのかなと……」

「ちょっと、ファルス、聞いてよ!」


 すると、タマリアがいかにも抗議したいと言わんばかりに詰め寄ってきた。


「この人、ひどいのよ!」

「ひどいってことはないだろう」

「いったい何が」


 ベルノストは苦笑いしているから、二人の間に深刻な問題が持ち上がったというのでもなさそうだった。


「私の家に寝泊まりしてる時、なんて言ったと思う? 『心配いらない、こう見えて、私は野営の訓練も積んできた』って言ったのよ!」


 これには、俺まで苦笑いするしかなかった。


「そういうことでな。なに、不安がなかったとは言わないが、実際に暮らしてみると、そこまで大変というのでもなかった」

「どういう意味よ!」


 これは安心していいのか、心配すべきなのか。タマリアも本気で怒っているのでもなさそうだし、問題はない気がする。


「いや、それにしては、見た目が変わってないなと思って」

「ああ」


 彼は自分の長い髪を摘まみつつ、答えた。


「いろいろ理由があってな。一つには、オムノドで面談する時に、一応は貴種の出らしいように見せた方が得をするんじゃないかという打算がある」

「なるほど」

「それと、ここで髪を短くすると、タマリアが」

「やめてよ!」


 よかった。いまだ新婚夫婦はアツアツのままらしい。


「その調子なら、心配はいらないと思うけど、何か困ったことがあったら、僕まで連絡をしてほしい。できることならするから」

「済まないな」

「タマリアのことを任せるんだから、こればかりはしっかりしてもらわないと」


 それから、俺は背負ってきた小さなリュックをおろし、中から透明な飴玉を取り出した。


「それで急なんだけど」

「どうした」

「何も言わず、これを食べてほしい」


 急に何を、とベルノストは首を傾げたが、特に逆らいもせず、俺の差しだしたものを受け取り、口に放り込んだ。


「なんだこれは、餞別か? だが、料理にこだわるお前にしては」


 やっぱり不可解、と言わんばかりに彼は感想を述べた。


「ただ甘ったるいだけの飴玉じゃないか。こんなものをなぜ食べさせる?」


 以前に用いた手段だが、今回も言いくるめるのに使うことにした。


「今、呑み込んだのは、実は魔術核だ」

「は?」

「以前、世界中を旅した時に手に入れたものだったが、どうせもうじき、使い物にならなくなるところだったから、それならと」

「ちょ、ちょっと待て!」


 彼は目の色を変えた。魔術核は人間自身に魔力源を植え付ける秘宝とされていて、そう簡単に入手できるものでもない。それを今、呑み込ませたと言われれば、誰だって驚く。もっとも、大半の人は実物を目にしたことがない。貴族であるベルノストでさえ、そうだった。


「もう遅い。それに、言った通り、もうすぐ使用期限が切れる見通しだったから、これはいいんだ」

「いいとか悪いとか、それどころでは」

「それでこれを」


 俺は、背負ってきたリュックを強引に抱えさせた。


「今、呑み込んだ魔術核を無駄にするわけにはいかないだろうから。魔術書も持っていってもらおうと」

「お前、これだけでどれだけの値打ちがあると思って」

「使い方は考えてほしい。一つはありふれたものでしかない。光魔術だから、セリパス教の司祭なら、だいたいみんな使えるくらいの代物でしかない。ただ、もう一つが精神操作魔術で、こっちはかなり珍しい。でも、これは強力だけど、頼りすぎると熟練の戦士には裏をかかれる。で、本当に使ってほしいのは、両者の複合魔法だ」


 いきなりのことで、まったく話についていけていないようだったが、俺は構わず説明を続けた。


「相手がどう動くかを読み取るのではなく、相手にうまく働きかけるように使うんだ。光魔術だけで視界を歪ませても、気付かれる危険がある。そこで精神操作魔術と併用することで、視界のブレに気付くのを遅らせることができる。これは相乗効果がある技法だ。一瞬の優位を大切にすれば、そう簡単に後れを取ることはないはずだ」

「お前」


 だが、遠慮なんかしてもらっても困る。もうピアシング・ハンドでベルノストには、魔術の能力を移植済みなのだから。


「街の警備員の仕事なら、万一がある。近頃のオムノドは海賊も来ないし、平和だとは聞いているけど、何かあったらタマリアが放り出されることになる。しっかりしてもらうしかないんだ」


 そう言われると、もう彼としても断るなどできない。


「わかった。これは借りということで、受け取っておく」

「しっかり練習して、いざという時、使えるようにしておいてほしい。本当に」

「無論だ。こうなった以上、今まで以上に努力しないということはない」


 ほっと胸を撫で下ろす思いだった。


「タマリアも、何かあったら、帝都か、領地の方に手紙でも書いてくれれば、気付き次第、すっ飛んでいくから」

「大丈夫。今までもなんとかしてきたんだから、これからも自分で頑張るつもりだよ」


 そこで会話が途切れた。ベルノストの視線が、遥か彼方、西の方に向けられているのに気付いてしまった。


「あ、いや、済まない」

「わかっているつもりだけど」

「お前に背負わせることじゃないな」


 タマリアの前では言葉にできないのだろう。たとえああした形で別れることになっても、やはり主君のことは気がかりなものだ。

 俺も何も言えなかった。代わりに力になってやるから心配するなと、けれどもそれを口にしたら、タマリアに気遣わせることになる。それもベルノストにはわかっているから、彼は俺が何も言わないのを不自然には思わなかった。


「じゃあ、そろそろ船に乗る。あと一年の学生生活だ。せいぜい楽しく過ごすんだな」

「そうするよ」

「またね! ファルス!」


 二人が大型帆船に乗り込み、それがやがて、水平線の彼方の豆粒になるまで見届けると、俺は踵を返した。


「お待たせ」


 俺がそう声をかけると、アーシンヴァルは小さく鼻を鳴らした。

 今日、この後の用事はない。まっすぐ旧公館に帰ってもいいのだが、どうにもそんな気分ではなかった。歯車橋を左手に見て、俺は気紛れを起こした。


「少し運動しよう」


 俺がそう言うと、アーシンヴァルは逆らわず、橋を南に渡る道に踏み込んだ。

 ここへ、という行き先があるのでもない。ただただ、気持ちの赴くままに、なんとなく対岸に渡った。それから道なりに進むと、やがて目の前に、長い影を引く丘が目に入った。季節柄、雑草の多くも枯れ果てていて、割れた石板の姿ばかりが目立つ。途中まではアーシンヴァルの上で揺られていたが、途中で降りた。少しだけ歩いて、ちょうどいい場所を見つけた。

 今朝は風も弱く、日差しは強く、真冬にしては暖かかった。こうして朝の光を浴びた石板の残骸の上で腰を下ろすと、むしろ体が温まるほどだった。


 高台から見下ろす海は、静かだった。黒々とした海面が漣に揺られて輝く。見飽きることのない景色だった。


 アナクの件では、ヒジリに言い訳をするのが大変だった。多少の創作も交えて、イカレたアナクという女の物語を創り出すしかなかった。要するに、リザードマンの間で育った非常識な娘が、昔の知り合いの俺に対して、ちょっとした力比べを挑んできたと、そういう話にした。だから、実際には誰にも殺意を向けていなかったのだと。ただ、それは犯罪なので、領地で拘束して犯罪奴隷にして、今は見張りをつけていると、そう説明したのだが、当然ながら、なかなか納得してもらえなかった。

 そういうゴタゴタもあって、今は旧公館にいるのが落ち着かないという事情もある。だが、それだけではなかった。


 この世界における俺の人生とは、なんだったのか。


 一切は前世における不満から始まった。そして、前世の不満を上塗りするような村と家庭に生まれついてしまった。人為的な飢餓と伯爵軍による虐殺という極限状態を越えた先にあったのは、奴隷としての生活だった。いうなれば根本的な生の無価値と、それを覆い隠す日常の虚無。それが幼少期の俺がエンバイオ家に仕える中で、改めて思い知らされたものだった。だからこそ、それらを打破するために旅に出なくてはならなかった。

 俺が目指したのは、今にして思えば、まったく即物的な解決だった。あれでは西部シュライ人の刹那主義を笑えない。石像になって二度と転生しなければ解決? 世界が滅び去れば苦しむ人は二度と生まれない? 俺とデクリオンはほとんど同じ目標に向かって突っ走っていた。そして、うっかり互いに足を絡ませ合って、それぞれ転倒した。

 それでも、あの後、少しでも自由になれたのは、俺が死を受け入れたからだ。これまた西部シュライ人の結論とニアミスしている。微妙に違うとは思うのだが、言葉にすると、そこまで区別がつかない。


 今にして思えば、モゥハは俺の結論を差し戻し、修正を命じたのではないか。

 旅の最中に積み重ねた過ちの数々ゆえに、俺はもう、生存を望んでいなかった。死刑でも封印でも、言われたままに受け入れるつもりだった。だが、彼は俺になんと言ったか。


『花咲く大地を駆けよ! 星降る夜空を仰げ! 乙女を愛し、愛されよ! 友と語らえ! この世でお前のために取り置かれた楽しみを捨て去るな』


 俗っぽく言うと、遊べ! 美味いもん食って、酒でも飲んで、女を抱いて、面白おかしく過ごせと、そういうことになる。そんなことのために、命を惜しめと。

 まったく言われた通りにしたのでもないが、ある程度はそうしたと思う。少なくとも美食にはこだわった。食べる側ではなく、食べさせる側としてだが。それは確かに、楽しいといえる日々だった。


 で? 何が解決した?


 俺の体は、どういうわけか、やたらと長寿ではある。だが、いつかは死ぬ。早死にしたければ、いっそ自殺でもすればいい。その後はどうなる?

 使徒は相変わらず、この世界に居座っている。モーン・ナーの呪詛も、俺の中に留まっている。俺は東方大陸の砂漠で奴と対決したが、それは問題の保留以上のものにはなり得なかった。


 世界の危機という意味でも解決の先延ばしでしかなかったのだが、俺自身の生きざまという点でも、そこは同様なのではないか?

 何のために生きて、どう死ねばいい? 俺は今、恵まれている。肉体的には健康で、並の人より逞しく、恐らく外見的にも魅力的な部類だとされている。身分も高く、経済的にも裕福で、明日の暮らしの心配などとはまるで無縁だ。手出しこそしていないものの、周囲には俺に好意的な女性も複数いて、そのいずれも美しい。では何か、結局、悩みの数々は幸運に恵まれれば遠ざかり、不運に陥れば近付くと、ただそれだけなのか? 何も解決しないし、できっこないが、美酒に酩酊し、美女に抱かれている間だけは、それを忘却できると、そんなくだらない結論しかない?


 ケクサディブは、俺達の生きる世界、その社会の宿命について語ってくれた。人々が幸福を目指して積み上げた城砦、その中央にこそ、破滅の闇が生じる。では、仮にもし、そういう破滅の季節に出くわしてしまったら、どうすればいい? そうならないよう祈るだけか?

 そうではない気がする。確かに、俺はどこかで何かを見出しかけた。そうだ、あの夜。カークの街で寝込んでいた日々の終わり、最期にと白米を焚き上げた、あのひと時。


 まもなく、俺は答えを出さなくてはならないのではなかろうか。

 だが、それには途轍もなく恐ろしい道程が伴うのではないか。


 目の前の海は、あくまで穏やかで、どこまでも平和だった。

 そのことが、どういうわけか、ひどく残酷に思われてならなかった。

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― 新着の感想 ―
じゃあ、タマリアの前でベルノストが犯される外伝お願いします。タマリアの親しい人は皆不幸になってタマリアの目が曇るのをみたいです。 あと、エッチ先生がタイでよく行くお店ランキング5お願いします。
白米を喰ったとこの話は命の循環を受け入れたように思いました。 モゥハの言う事は命の循環を受け入れ、そしてその一部になれって事じゃないかと。 言い換えると...続いていく人の営みを受け入れろと言うか。 …
ファルスが使徒をどう対処するかが気になる。
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