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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十二章 復讐者来たる
1116/1118

警告

「今、そんなことになっていたのか」

「ああ」


 狭い石の階段を降りながら、俺は溜息ばかりのジョイスから説明を受けていた。


「それが一番、居心地がいいっていうんじゃあ、どうしようもねぇだろ」

「まさか牢番とは」


 帰郷したジョイスが目にしたのは、ティンティナブラム城の牢番の仕事を進んで引き受けていたサディスの姿だった。最初、ノーラがこんな役目を押し付けたのかと思って問い詰めたりもしたそうなのだが、まったく本人の希望によるものだったと明らかになると、もう何も言えなくなってしまったという。


「なんなんだろな、閉じ込められる側の恐怖っつうか、そういうもんがあるから、こう、世界がよ、閉じ込めるか閉じ込められるかしかねぇのかもな。だから、閉じ込める側にいると落ち着くっつうか」


 幼少期の体験というのは、なかなか忘れがたいものだ。サディスの場合、奴隷商人に売り飛ばされ、そこで閉じ込められて過ごしたことが、まさに心の風景になってしまった。


「もう必要ない、とどこかで気付いてくれるといいんだけど」

「そうだな。周りが焦ってもしょうがねぇ」


 基本的には平和なティンティナブリアではあるものの、牢獄に繋がれる人がいないのでもない。まず、以前からの犯罪奴隷のうち、特に凶悪な連中は、外で働かされているのでなければ、いまだに獄中で生活している。それと、やはり少数とはいえ、領内で犯罪に手を染めるのがいるので、これも収監される。信じがたいほどの豊作の中でも、残念ながら逸脱が皆無ということはない。


「いらっしゃい……」


 小さな鉄格子の扉を開け、流れのないひんやりとした空気の中に一歩を踏み出すと、暗がりの中から、絡みつくような声に迎えられた。左手にはぼんやりと周囲を照らすランタン、右手には鍵束。幽鬼のような立ち姿で、けれども、サディスの表情には、他所では目にしたことのないほどの落ち着きが見て取れた。


「あ、えっと」

「新入りさんですね、こちらです……」


 スッと背を向け、俺達を先導して歩き出した。

 この薄暗い牢獄には、それこそ元殺人犯のような連中も数多くいるはずなのだが、聞くところによると、彼らがサディスを侮ることはないのだそうだ。最初は貧弱な体つきの女と見て馬鹿にしていたらしいのだが、そのうち、舐めた態度をとる者はいなくなった。あまりに淡々としているその振る舞いに、何か恐れのようなものを抱いてしまうのだとか。だが、恐らく彼らの直感は正しい。サディスは、彼らを手にかける必要があるなら、迷わずそうするだろう。この世に恐ろしいものがあるとするなら、それは隆々たる大男の体つきでもなければ、よく切れそうな刃物でもない。憤怒にも恐怖にもよらない、澱みない殺意こそ、それではなかろうか。


「ここですよ……」


 俺達を案内すると、鍵を選んで手渡し、灯りを点してから、サディスは引き下がった。


「こう言っていいのかわからないが」


 俺は、気まずさを押し殺しながら、檻の中の彼女に声をかけた。


「久しぶりだな、アナク」


 牢獄の奥の寝台の上、石の壁に背中を預けていた彼女は、それでゆっくりと振り返った。表情がはっきり読み取れるほどの明るさではない。


「ああ、久しぶりだ、ファルス」


 彼女は、はっきりとした声でそう応えた。


------------------------------------------------------

 アナク (18)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、女性、18歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル シュライ語  5レベル

・スキル ハンファン語 4レベル

・スキル メルサック語 3レベル

・スキル 指揮     2レベル

・スキル 槍術     5レベル

・スキル 盾術     5レベル

・スキル 格闘術    5レベル

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 力魔術    7レベル

・スキル 罠      2レベル

・スキル 隠密     3レベル


 空き(5)

------------------------------------------------------


 ピアシング・ハンドは正常に機能した。今では、彼女の状態を正確に把握することができている。


「何があったんだ。どうしてあんなことを」


 俺がそう尋ねると、しばらくの沈黙の後に、黄昏時を思わせる暗い声が返ってきた。


「わからない」


 どういう意味だろうか。いや、可能性としてはあり得ると考えていた。


「わからない、というのは、その、もしかして、自分の意志では動いていなかったのか。つまり、誰かに操られていたとか」

「そんなようなものだが、そう言ってしまうのは、少し違う」


 アナクは、自分にとって有利になるはずの見解を、落ち着きある口調で否定した。


「どこから話したらいいのか……そうだな、人形の迷宮を後にしてからの話をしよう。といっても、ビルムラールが伝えたところと重なるだろうが」


 アナクは、俺とノーラより一足先に、ドゥミェコンを後にした。ムスタムに立ち寄ってバイローダに会い、彼女に従っていた少年少女達の落ち着き先を探した。それが済んでから、療養中のガッシュと別れ、キースやビルムラールと共にワディラム王国に入った。

 知恵の塔に入る上で、アナクにはあまりに不足があり過ぎた。普通なら、割と上等な家庭で教育を受けた少年が、試験を突破してやっと入学を許される場所なのだから。けれども、ビルムラールがうまくやってくれた。元々、そこの教授とコネのあった彼は、アナクの特殊性について説明し、また火魔術の能力やリザードマンと意思疎通できる点などを挙げて、どうにかこの将来有望な少女の教育に力を貸してほしいと頼み込んだ。大金を持参していたこともあり、この提案は受け入れられた。

 それから一年弱の間、アナクは充実した日々を送った。彼女にとって幸運だったのは、すぐ傍にキースやビルムラールといった先輩がいたことだった。時折、一流の戦士の指導を受ける機会もあり、魔術についての助言もしてもらえ、そしてもちろん、一般常識や学問についても相談できるという、恵まれた環境がそこにはあった。

 だが、キースが持ち前の社会性のなさで知恵の塔の関係者と揉め事を起こしてしまい、仕方なくビルムラールと共にポロルカ王国を目指すことになると、彼女は一人になった。その頃にはアナクも立派に成長しており、知恵の塔から出されるということもなく、引き続き学び続けることができた。


「二年も経つ頃には、生きる上で役立つ知識以外にも、自分の居場所というか……つまり『人間』になるための知識、といえばいいのか……それについて考える余裕も出てきた」

「それで、織物の出所を探ったのか」

「どうも私の母方は、アルハールの支族、キジルモク氏族の血筋だったらしい」


 思った通りだった。


「それを知った時には、さすがに不安になった。少し前に赤の血盟相手に敗北して、大打撃を受けた一族だ。サハリア人は復讐を忘れない。もし私がその一族の出だと知られたら、ネッキャメル氏族から付け狙われることもあり得ると思った」

「そっちか。てっきり、それで報復しようと考え出したのかもしれないと思っていた」

「まさか」


 アナクは苦笑した。


「親族かもしれないといっても、会ったことも話したこともない。それなのに、それだけのことでどうして復讐しなくてはならない?」

「でも、人間になりたかったんだろう?」

「所属する場所を求める気持ちはあった」


 とはいえ、自分のルーツを知りたいという思いと、知った上でどうするかはまた別問題だ。それに、この時点ではあくまで赤の血盟が黒の鉄鎖を打ち破り、支配下に置いたと、それだけの事件でしかなかった。

 それから更に一年間、学んで知恵の塔を出る頃には、一人前といえるだけの技量を有する戦士に育っていた。二種類の魔術と槍を使いこなせる、なかなかの人材。そして十六歳の若さともなれば、そろそろ彼女に価値を見出す人も現れ始めた。知恵の塔は教育施設であり、教育の目的は有為な人材を世に送り出すことにある。そして、女性で魔術師で戦士でもあるというのは、相当に希少性があった。

 アナクとしても、一応、贅沢しなければ生きていける程度のお金もあるし働かなくていい、などといった発想をしてはいなかった。彼女の中で優先されるべきは、人として生きることだったから。


 だが、進路を決めようとしていた彼女のところに、知らせが舞い込んだ。


「お前はつくづく私を苛立たせてくれるな」

「えっ」


 エスタ=フォレスティア王国に、幸運な若者が現れた。東の彼方でワノノマの姫君を射止めた彼は、タンディラール王から爵位を与えられた。

 その詳細を知ったアナクは、心がささくれるのを感じた。


「傍にいても、遠くにいても、私を屈辱に塗れさせる」

「そんなつもりは」

「首を洗って待っていろと言ったはずだ」


 三年間、のんびり学院で学んでいるうちに、ファルスは遠い人になってしまった。冗談ではない。いつでもアナクは人に頼らせてきた。支配する側だったのだ。だからファルスに対してもそうでなくてはならない。なのに、自分のことを忘れ去ったかのように、平然とどこかのお姫様と婚約などと。


「といっても、お前を責めるつもりはなかった。私は、私が欲するものを自分の力で手に入れる。そのことに例外はない」

「あ、うん」

「もしお前が意のままにならないというのなら、力尽くで奪い取ればいい。叩きのめして引きずり出せばいい。そう考えていた」

「えっ、あ、あの」


 じゃあ、今回の件も積極的に俺に襲いかかってきたと、他の女もムカつくから嫌がらせを繰り返したのだと、そういう……? これではカディムの仮説通りではないか。

 そろそろ居心地が悪くなってきた俺のすぐ後ろで、ディエドラが笑い声を押し殺していた。


 そんな中、とある東方大陸の富豪が、アナクに目をつけた。素質に恵まれている彼女を評価した彼は、護衛として活用する目的で、更なる訓練を施すつもりだと言った。提示された金額が破格の条件だったこともあり、アナクはその提案を受け入れることにした。

 快適な大邸宅に移り住み、そこで彼女は約束通りの待遇を受けた。魔術の訓練に必要な触媒は無償で供与。高給も与える。但し、日々を鍛錬に費やすこと。アナクとしても不服はなく、居心地の良さに安住もせず、自らを鍛え続けた。彼女が求めていたのは安楽な暮らしではなく、とにかく力を得る事だったから。ただ、雇い主は滅多に顔を出すことはなく、仕事らしい仕事を言いつけられたりもしなかった。


 異変が起きたのは、今年の夏だった。


「偶に顔を出していた、恐らくは別の護衛だとみていたんだが、背の高い男と一緒に、なにやら話し合いながらやってきた。その男とは手合わせしたこともあったが、一度も勝ったことはない。相当な腕前だった。それで今日も練習相手になってくれるのかと思っていたが、まったく違ったことになった」


 アナクは主人に呼び出され、いつもは立ち入ったことのない地下室に連れ込まれた。青い床に円形の文様を描いた場所があり、その中央に立つように命じられた。アナクは訝しんだが、学院で学んだ魔術の知識にはない記述で、だから魔法を使われるとは考えにくく、それで言われた通りにした。

 だが、主人が無造作に腕を打ち振ると、アナクの頭には、これまで感じたこともないような衝撃が走った。


「その時から、自分が自分でなくなったような気がした」

「というと?」

「もちろん、断片的には自分の思考がある。だが、内部にもう一人の自分がいるような感じがあった。例えばその時には、主人から、お前の進歩を増すためのものだと言われたんだが、私は納得できなかった。なのに、具体的に何をしたのか、と問い質すことがどうしてもできなかった」

「なぜ」

「わからない。言葉にできなかった。言おうとしても何も言えなくなっていた」


 だが、主人の言ったことは正しかった。魔術を用いると、その威力は跳ね上がっていた。そればかりか、自分の内側から、より正しい動作、より適切な詠唱が自然と生まれてきた。まるで手本をなぞっているかのように。驚くほどの進歩が急激に齎されるのを、アナクは半ば、傍観者のように眺めていた。

 こうなってから、主人がアナクの前で、少し無防備になった気がした。護衛と思しき男と話し合っていた内容を、彼女は断片的に覚えていた。何を意味するかは朧気ながら、こんなようなことを話していたという。


『目を離したら、すぐこれだ』

『思い知らせてやる必要がある』

『だからこうして駒を用意しておいたが、無駄にはならなかった』

『そろそろぶつけてみてもいいかもしれない』

『どうせ勝ちはしないし、勝ってもらっても困るが、いい見せしめになる』


 それから間もなく、アナクは自分の中で、元々燻っていた感情が暴走するのを感じるようになった。ファルスに思い知らせてやりたい。あれを支配するのは私だ。恐れさせるにはどうすればいいだろう?

 無論、正気の部分もあった。だからといって、無関係な人々に危害を加えるなど、あってはならない。というより、ファルスにしたところで、本当に命を奪うだけの罪悪があると言えるか? 奪いたい、支配したい、我がものとしたい。でも、それは何のために?

 だが、そういう思考は長続きしなかった。時を追うごとに理性的な意識を保っていられる時間が短くなり、衝動が荒れ狂うのが常となっていった。そしてある日、金色の槍を与えられた彼女は、鉄の仮面をかぶると、主人に見送られて上空へと飛び立った。


「じゃあ、ほとんど操られていたようなものじゃないか」

「そう言い逃れることはできるかもしれない。だが、本当の部分もある」

「本当の、部分?」

「さっき言っただろう? お前を支配するのは、この私だ。そうすることを欲したからこそ、こうなった」


 すぐ後ろでディエドラがまた肩を揺らしていた。一方、ホアは舌打ちしていた。

 だが、ノーラは、そういう心情面の問題を脇に置き、現実の話を進めた。


「とにかく、ただでは済まないわ。グラーブ殿下にも危害を加えたんでしょ?」

「ああ。意識の隅になぜかうっすら残っている。私の父……ウェルモルドという男だったらしいが、彼を死に追いやった男の息子だと」

「アナク、もうあなたをティンティナブリアからは出せない。これだけのことをした以上」


 アナクは鼻で笑った。


「死刑か? それに私が文句をつけるとでも?」

「そういうことじゃない。とにかく、あなたのことは、ここの領主の権限で裁くことにする。罪状が罪状だけに、期限を設けない犯罪奴隷とする以外にどうしようもない」


 アナクは静かに頷き、目を閉じた。


「支配するつもりが、支配される側か。それも妥当だな。好きにしたらいい」


 やり取りが済むのを、俺は半ば、呆然としながら聞いていた。牢獄から出る時、ホアが「ちっくしょー、懸念してた通りだぜ、ボンキュッボンのライバルが増えただけじゃねぇか」などとこぼすのも、聞き流していた。

 心ここにあらずといった俺の様子に気付いて、ノーラはそっと手を引いて、自室に俺を導いた。扉を閉じてから、彼女は言った。


「どう思う?」

「どうって」


 こんなの、ほぼ確実だ。


「使徒が首を突っ込んだとしか」

「私もそう思って」


 だからアナクを即座にあの場で犯罪奴隷にすると宣言した。帝都に引っ張り出して裁くとしたら、彼女の「雇い主」の話も表沙汰になる。だが、それは……

 思考がそこで途切れた。猫の鳴き声が聞こえたから。


「あら? どうしたの、ノール」


 すぐ足下にやってきた黒猫に、ノーラは視線を向けた。ノールは何かを咥えていた。それは、一通の手紙だった。

 明らかに何かがおかしい。察した俺とノーラはしゃがみこんで、その手紙を受け取り、広げて目を通した。


“身の程知らずの大馬鹿者

 自ら言い出した協定も守れぬ奸譎な者

 だが正当な権利に基づく報復に先立って

 寛大な心をもって、ただ一度の警告を与えよう


 人の世の有象無象どもと何を語らおうが

 我を脅かすことなどできはせぬ

 今一度、弁えるべきことを弁えよ

 さもなくば、真の復讐を目の当たりにすることとなろう”


 読み終えたかと思うと、その手紙はひとりでに燃え始め、やがて跡形もなく消え失せた。


「やっぱり」


 ノーラがそう呟いたが、俺はそれどころではなかった。


 心当たりがあったから。千年祭の最中に、俺は、なるべく使徒のことに触れないように気をつけながら、しかし、各国の関係者にうっすらと世界のどこかにある脅威について話した。だが、あれにも当然、使徒は気付いていたし、見逃したりもしなかった。というより、アナクを抱え込んでいたことからして、ヒジリをはじめとした、今の世界を守ろうとする人々の側に、やがて俺が近付くだろうという可能性を、とっくに想定されてしまっていた。

 どうしたらいいのだろう。わかっていた。俺は過去から逃れられない。ヌニュメ島に軟禁され、龍神の監視下にいるのが正しいのだ。それ以外の身の置き所など、あるはずもなかった。帝都での暮らしは、ひと時の夢でしかなかった。実際、夢は叶った。コーヒーや醤油をこの世界に齎すことができたのだから。生きた証を残せたのなら、それで充分ではないか。

 問題は、しかし、そんな表面的なところにだけあるのではなかった。


 結局のところ、俺は何も解決できていなかったのではないか。使徒の脅威だけの話ではない。俺自身の問題こそ、置き去りにされてきたのではないか。

 でも、だからって、なら、どうすればいいのだろうか?

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― 新着の感想 ―
結局武闘大会の異常な実況担当も使徒関連だったってことか
使徒たちは寛大ですね。 ファルスの身の回りの人を一人くらい殺しても、ファルスにとっては失うものが多すぎるから使徒たちの言うことを聞かざるをえないのに。
神の祝福は取り消すことはできない。だから、ヘミュービはウァールに与えた祝福を取り消すことはできなかった。 だけど、精霊をアナルに与えた後、取り消すことができている。レヴィトゥアも精霊を死の間際に取り…
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