「森の異変」
翌日の昼前。
村に三人の冒険者がやって来た。
剣を背負った男。
弓を持った女。
そして杖を持った若い魔法使い。
全員の胸元には銀色の冒険者証。
「銀級……」
村人の誰かが呟いた。
辺境の魔物調査としては十分な戦力だった。
村長と猟師のガンツが、三人へ森の状況を説明している。
少し離れた場所。
レオンとリゼもその様子を見ていた。
「強い人たちなんですか?」
リゼが尋ねる。
「それなりに」
「レオンさんより?」
「俺と比べる意味がない」
「どうしてです?」
「俺は農民だからな」
「まだそれでいくんですね」
リゼは呆れた顔をした。
三人の冒険者は森へ入っていった。
村人たちが安心したように散っていく。
リゼも家へ戻ろうとする。
だが。
レオンだけが森を見ていた。
「レオンさん?」
「……」
「どうしました?」
「いや」
視線の先。
森の上空。
鳥が一羽も飛んでいない。
「帰ろう」
レオンはそう言った。
◇
その日の夕方。
森から二人の冒険者が戻ってきた。
一人足りなかった。
弓使いの女が、剣士の肩を借りている。
足から血が流れていた。
そして。
昼間まで一緒にいたはずの若い魔法使いの姿は、どこにもなかった。
「治療できる人を!」
村が騒然となる。
レオンは走った。
「見せろ」
「誰だ?」
「いいから」
レオンは弓使いの女の前へ膝をつく。
傷を見る。
深い。
だが骨までは届いていない。
「水と清潔な布。それと火を」
レオンの声に迷いはなかった。
周囲にいた村人たちが、その声に反射的に動き出す。
「水を持ってくる!」
「布ならうちにある!」
人が走る。
剣士が負傷した仲間の身体を支えながら尋ねた。
「俺にできることは?」
「そのまま彼女の肩を支えてくれ。なるべく動かすな」
「分かった」
レオンは運ばれてきた水を受け取る。
傷を洗う。
止血。
薬草。
包帯。
その手に迷いはない。
必要なことだけを。
必要な順番で。
淡々と進めていく。
「……慣れてるな」
剣士が言った。
「昔少し」
「医者か?」
「違う」
レオンは手を止めない。
「もう一人は?」
空気が変わった。
剣士が拳を握る。
弓使いの女は俯いた。
「……森に残った」
「死んだのか?」
「分からない」
「何があった?」
「突然だった」
剣士が低い声で答える。
「熊型の魔物だ。だが、あんなの見たことがない」
「大きさは?」
「三メートル以上」
「目は?」
剣士がレオンを見る。
「……赤かった」
レオンの手が止まった。
「傷を負わせたか?」
「ああ」
剣士が頷く。
「彼女が矢を二本撃ち込んだ。それから、あいつが火球を一発当てた」
最後の「あいつ」が誰を指すのか。
聞く必要はなかった。
森に残された魔法使いだ。
「血は?」
「黒かった」
リゼがレオンを見る。
彼の表情が変わっていた。
「レオンさん……?」
「明日まで森に入るな」
剣士へ言う。
「仲間が残ってる!」
「夜の森で探せば、お前たちも死ぬ」
「だからって!」
「明日の朝、増援を待て」
声は静かだった。
だが。
剣士は何も言えなくなった。
まるでレオンが、人へ命令することに慣れているように。
そして剣士自身も。
なぜか、その言葉には逆らってはいけないような感覚を覚えていた。
◇
帰り道。
リゼが聞いた。
「助けに行かないんですか?」
レオンは歩き続ける。
「冒険者が行く」
「でも……」
「俺の仕事じゃない」
リゼが黙る。
「……そうですね」
少し寂しそうな声だった。
レオンは何も言わなかった。
家へ戻る。
壁には黒い剣。
レオンはその前を通り過ぎる。
夕食を食べる。
いつもと同じように片付ける。
だが。
その日はなぜか。
何度も森の方を見た。
◇
夜。
森の奥から。
遠い咆哮が聞こえた。
――オオオオオオ……。
リゼが目を覚ます。
隣の部屋。
レオンも起きていた。
暗闇の中。
ベッドから身体を起こす。
再び。
――オオオオ……。
今度は聞き間違いではない。
レオンは立ち上がった。
居間へ向かう。
壁に掛けられた黒剣。
月明かりを受けている。
「……」
手を伸ばせば届く。
剣を取る。
森へ入る。
行方不明になった魔法使いを探す。
昔なら。
考えるより先にそうしていた。
だが。
レオンは動かなかった。
脳裏に。
いくつもの顔が浮かぶ。
助けられた人間。
助けられなかった人間。
そして。
守ると決めたのに。
守れなかった人間。
『レオン』
声。
『全部救おうとするな』
「……」
レオンは拳を握った。
もう。
自分は英雄ではない。
勇者一行でもない。
剣聖でもない。
森で何かが起きるたびに。
自分が剣を取る必要はない。
それをする者たちがいる。
冒険者。
騎士。
兵士。
自分はもう。
その役目から降りたのだ。
「……俺の役目じゃない」
誰に言うでもなく。
呟いた。
それでも。
レオンはしばらく。
黒剣の前から動くことができなかった。
◇
翌朝。
レオンが外へ出る。
空は曇っていた。
森の方を見る。
静かだ。
静かすぎる。
「……」
鳥がいない。
昨日だけではない。
今日も。
一羽も。
リゼが家から出てくる。
「レオンさん」
「なんだ?」
「雨、降りそうですね」
空を見る。
厚い雲。
「そうだな」
「冒険者の人……」
リゼが森を見る。
「見つかるといいですね」
「ああ」
レオンは短く答える。
そのとき。
森の奥。
誰にも見えない場所。
地面に一本の杖が落ちていた。
昨日。
若い魔法使いが持っていたもの。
泥に汚れ。
先端の魔石には亀裂が入っている。
その近く。
木の幹に。
人間の手が触れたような。
血の跡。
そして。
さらに奥へ続く。
巨大な足跡。
一つ。
また一つ。
雨が。
ぽつりと。
その跡へ落ちた。




