「黒い剣」
第13話 黒い剣
銀色の金属片。
その表面には、八本の光を伸ばす太陽が刻まれていた。
聖教会の聖印。
レオンは、それを見つめていた。
「……知っているんですか?」
ダリオが尋ねる。
「見たことはあります」
「どこで?」
「昔、旅をしていた頃に」
嘘ではなかった。
ただ。
すべてを話したわけでもない。
ダリオは金属片を布で包んだ。
「教会の紋章に似ていますね」
「……そうですね」
「ですが、なぜ魔物の首に?」
レオンは答えなかった。
首に残された小さな穴。
黒い液体。
異常な魔力。
そして、この聖印。
偶然にしては。
あまりにも揃いすぎていた。
◇
「こっちにも何かあるぞ!」
盾を持った冒険者が声を上げた。
魔物の死骸から少し離れた場所。
折れた木々の間に、布切れが引っかかっていた。
焦げた灰色の布。
ダリオが拾い上げる。
「……冒険者の外套か」
布の端には、小さな青い刺繍がある。
「行方不明者のものかもしれませんね」
レオンが言った。
「可能性はあります」
ダリオは布を広げた。
「村に戻った二人に確認してもらいましょう」
それから周囲を見渡す。
「この辺りを調べろ」
三人が手分けして痕跡を探し始めた。
ガンツも地面を見回す。
しばらくして。
槍使いの女が声を上げた。
「足跡があります!」
レオンはしゃがみ込んだ。
雨で崩れた土。
その上に重なった獣の足跡。
だが、倒木の陰には、かろうじて人間の靴跡らしき窪みが残っていた。
「……森の奥へ続いている」
ダリオが呟く。
「追いますか?」
盾の男が尋ねた。
ダリオは周囲を見た。
「今すぐは危険だ。魔物が一体だけだったとも限らない」
「ですが、行方不明者が――」
「だからこそだ。装備と人数を整え、明朝から捜索範囲を広げる」
レオンは奥を見つめた。
暗い森。
風が吹いた。
木々の間で、何かが擦れる音がした。
「……」
その奥に、まだ誰かがいるかもしれない。
そう考えると。
簡単には背を向けられなかった。
◇
村へ戻ったのは、夕方だった。
ダリオたちは村長の家へ向かった。
発見した金属片と布切れを記録し、負傷した弓使いと生還した剣士に確認するためだ。
レオンはガンツと別れ、自宅へ向かった。
家の前には。
リゼが立っていた。
「おかえりなさい!」
その声を聞いた瞬間。
レオンの足が止まった。
「……ただいま」
自然に言葉が出た。
リゼは笑った。
「遅かったですね」
「少し調べることがあってな」
「魔法使いさんは?」
「まだ見つかっていない」
リゼの表情が曇る。
「……そうですか」
「ただ、手掛かりらしいものはあった」
「本当ですか?」
「ああ。明日も捜索を続けるそうだ」
リゼは小さく頷いた。
「見つかるといいですね」
「……そうだな」
レオンは家に入った。
◇
夕食は野菜の煮込みだった。
リゼが作った料理は、今日も美味しかった。
「どうですか?」
「うまい」
「本当ですか?」
「ああ」
「よかった!」
リゼは嬉しそうに笑った。
以前なら。
食事はただ、腹を満たすためのものだった。
一人で作り。
一人で食べ。
一人で片づける。
それが当たり前だった。
だが今は。
向かい側に誰かが座っている。
「レオンさん?」
「……なんだ」
「ぼーっとしてますよ」
「考え事だ」
「難しいことですか?」
「少しな」
リゼはしばらく考えた。
そして。
「じゃあ、食べ終わってからにしましょう」
そう言って笑った。
レオンも小さく笑う。
「……そうするか」
◇
夜。
リゼは居間の壁を見ていた。
黒い剣。
古い鞘。
静かに掛けられた一本の剣。
「レオンさん」
「なんだ」
「この剣って、ずっとここにありますよね」
「ああ」
「大切なものなんですか?」
レオンは手を止めた。
「……そうだな」
「でも、使わないんですよね」
「ああ」
「どうしてですか?」
レオンは答えなかった。
リゼは慌てて首を振る。
「あっ、答えたくなければ大丈夫です!」
「……」
「ただ、少し気になって」
レオンは黒剣を見た。
《ノクティス》。
かつて、何度も命を救った剣。
そして。
何度も命を奪った剣。
最後に斬った相手の顔を。
今も忘れられない。
「……昔のものだ」
レオンは言った。
「昔?」
「もう使わないと決めた」
リゼは静かに頷いた。
「そうなんですね」
「……ああ」
「じゃあ、どうして捨てないんですか?」
その質問に。
レオンは少しだけ目を見開いた。
なぜ、捨てないのか。
捨てられないのか。
それとも。
捨てたくないのか。
自分でも分からなかった。
「……忘れないため、かもしれないな」
ようやく、そう答えた。
リゼは剣を見つめた。
「大切な思い出なんですね」
「……」
「つらい思い出も、ありますか?」
レオンは目を閉じた。
「……ああ」
短い返事だった。
それ以上は聞かなかった。
リゼはただ、剣の前に立っていた。
「不思議ですね」
「何がだ」
「怖い感じがするのに……寂しそうにも見えます」
レオンはリゼを見た。
彼女は黒剣に触れていない。
ただ、静かに見つめている。
「……そうか」
レオンは呟いた。
◇
リゼが眠った後。
レオンは一人、居間に残っていた。
壁の黒剣。
その柄に手を伸ばす。
触れる。
冷たい。
懐かしい感触。
一瞬、記憶が蘇った。
崩れた城。
血に濡れた石床。
そして。
金色の髪の男。
『レオン』
アルトが笑っていた。
『戦争が終わった後を生きろ』
「……」
レオンは柄から手を離した。
剣は抜かなかった。
ただ、壁に掛かったままの黒剣を見つめる。
「……生きてるよ」
小さく呟く。
「お前が思ってたような人生かは、分からないけどな」
返事はない。
当然だった。
それでも。
少しだけ、胸の奥が温かくなった。
◇
同じ頃。
村から離れた街。
聖教会の支部。
白い法衣の男は、一枚の報告書を読んでいた。
「……現地のギルドが調査を始めたか」
黒い外套の男が頷く。
「はい。村に増援が到着したとの連絡です」
「実験体の死骸も見つかるだろうな」
「恐らくは」
法衣の男は報告書を置いた。
「……厄介だ」
「回収に向かわせますか?」
「間に合わん。今から人を送れば、かえって目立つ」
男は指先で机を叩いた。
「聖印のついた部品が見つかれば、こちらとの関係を疑われる」
「では、どうなさいますか」
「現地の調査がどこまで進んだか、確認しろ。証拠の処分は状況を見て判断する」
「承知しました」
法衣の男は別の紙を取り出した。
辺境の村の地図。
村の北。
森の外れに、小さな印がつけられている。
「……世界樹の反応が強まっている場所だ」
「例の家ですか?」
「そうだ」
法衣の男は目を細めた。
「実験体を失ったのも、その近くだ」
しばらく沈黙が続く。
そして、男は命じた。
「村へ人を送れ」
「調査員を?」
「いや」
法衣の男は薄く笑った。
「巡礼者としてだ」
黒い外套の男が頭を下げる。
「承知しました」
窓の外。
月が雲に隠れた。
静かな辺境の村へ。
新たな影が近づき始めていた。




