1-3 自由への渇望、初めての「調略」
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
寺の朝は、ひどく早くて、そして残酷なまでに静かだ。まだ夜の冷気が肺の奥を突き刺すような時刻、山間に木霊する木魚の音が、強固な秩序となって境内を支配していく。
僕――は、相変わらず慣れない手つきで僧衣を纏い、冷え切った木の廊下を進んでいた。
光明寺に来てからというもの、僕の生活は「作法」という名の見えない鎖に繋がれている。歩き方、座り方、箸の持ち方。そのすべてに意味があると説かれるけれど、現代の記憶を持つ僕の目には、それはひどく非効率な儀礼の積み重ねに見えていた。
特に読経の時間は、僕にとって最も苦痛なひとときだった。周囲の僧たちが一心不乱に経文を唱える中、僕は木魚の拍子に合わせて、どうしても余計なことを考えてしまう。
(この音の周波数は、人の脳をトランス状態に導くためのものだろうか……)
(それとも、この規則正しい生活自体が、個という自我を削り取るためのシステムなのか……)
仏法の教えは尊い。けれど、僕の指先は、経典をめくるよりも、泥をこねて水の流れを制御したり、薪を効率よく燃やすための組木を考えたりする方を好んでいた。
僕は沙門の作法には、驚くほど疎かった。わざとではない。ただ、僕の意識が「今ここにある現実」を分析することに特化しすぎていた。
その代わり、世間の噂話や、大名たちの領地争いの話になると、僕の脳は異常なほどの冴えを見せた。商人が寺に持ち込む断片的な情報を繋ぎ合わせれば、今の勢力図がどうなっているのか、今年の米の作柄がどう価格に影響するのか、一を聴けばその先にある「十」が、僕には手に取るように理解できた。
そんな僕が唯一、心を躍らせる時間があった。それは、旅の僧や武士が語る「勇道の物語」……戦場での武勇伝や、策略の数々を聴くときだ。
僕の胸の奥にある日輪の欠片が、その時だけは激しく拍動した。
力のない者が、知恵と勇気で運命を切り拓く。それは僕にとっての、究極の「生存戦略」に思えた。
一方で、寺での修行を重ねるほどに、僕の心には拭い去れない違和感が募っていった。僧たちは人々から布施を受け、その施しによって命を繋いでいる。それは尊い行為とされているけれど、僕の冷めた視点は、それを別の言葉で定義してしまった。
(結局、出家というのは、形を変えた「乞食」ではないのか?)
自ら土を耕さず、自ら富を生み出さず、ただ誰かの慈悲に縋って生きる。それが仏道なのだとしたら、僕の求めている「生きる」という熱量とは、あまりにもかけ離れている。
僕は、自分の意思で立ち、自分の足で歩き、この泥だらけの時代から、自分の居場所をもぎ取りたかった。
(ここにいては、僕は「僕」ではなくなってしまう。このまま静かな仏法の中に溶けて、消えてしまうわけにはいかないんだ)
僕は、決意した。寺という安全な、けれど不自由な檻から出ることを。それも、ただ「戻る」のではなく、僧たちが二度と僕を引き留めたくないと思うほど、徹底的に嫌われることで。
それからの僕は、わざと粗暴に振る舞った。作法を無視し、僧たちの静止を振り切り、時には神聖な仏具を遊び道具のように扱った。僕の知恵は、今度は「嫌われるための策略」へと向けられた。
「あの日吉丸という児は、やはり狂っておる」
「母の夢がどうあれ、あのような業の深い者が沙門に成れるはずがない」
僧たちの囁きが聞こえる。それは僕にとって、自由へのカウントダウンだった。やがて、寺の衆議は一決した。
「この子は仏法の碍になる。父のもとへ返すべきだ」
老僧にそう告げられた時、僕の胸には安堵が広がった。けれど、その直後、冷たい現実が僕の背筋を凍らせた。
(……待てよ。ここで追い出されてそのまま村に帰ったら、どうなる?)
父、筑阿弥の顔が浮かぶ。貧しい家計をやり繰りし、何とか僕を寺に押し込んだ父だ。
「不出来で追い出されました」と手ぶらで帰れば、待っているのは凄まじい折檻か、あるいは家族全員が共倒れになる未来だ。
生存本能が、僕の脳をフル回転させた。ここで必要なのは、単なる「謝罪」ではない。僕を追い出したことを、僧たちに後悔させるほどの……「恐怖」と「負い目」を植え付けることだ。
「……追い出すのか。僕を」
僕は、低く、けれど寺の堂宇を震わせるような声で言った。目を見開き、胸の奥の日輪の熱をすべて瞳に集める。
八歳の子供が出せるはずのない、地を這うような殺気を、僕は現代の記憶にある「戦場の狂気」を模倣して作り上げた。
「いいだろう。帰ってやるさ。けれど、追い出したお前等の顔は忘れない」
僕は、本堂の柱を拳で叩きつけた。
「親里へ歸されて折檻されるくらいなら、僕はその前にここに戻ってくるぞ。この寺を焼き払い、お前たちを一人残らず……この手で終わらせるために!」
それは、一世一代の演技だった。けれど、その言葉には、この過酷な時代に一人投げ出される恐怖から来る、本物の絶叫が混じっていた。
僧たちは絶句した。目の前にいるのは、ただの八歳の童だ。けれど、その瞳に宿る光は、到底人間の子供のものとは思えない、底知れない闇と熱を孕んでいた。もし、この子が本当に母の夢の通り「日輪」の性質を持っているのだとしたら。その怒りは、いつかこの寺を灰に帰すかもしれない。彼らは恐れた。宗教的な畏怖と、生存本能的な恐怖が混ざり合い、彼らの態度は一変した。
「ま、待ちなさい、日吉丸。そう怒るな。お前には寺よりも相応しい道があると言ったまでだ」
「これは……餞別だ。お前の門出を祝って、これを受け取ってくれ」
数日後、僕が寺を去る日。僧たちは、僕を腫れ物に触るような恭しさで見送った。僕の手には、美しい文様が施された帷子と、見事な扇。そして、いくらかの金品が握らされていた。彼らは僕の「機嫌を伺う」ことで、将来の厄災を避けようとした。
(皮肉なものだな。仏法を説く者たちが、子供のハッタリに怯えて贈り物をするなんて)
僕は、もらった扇をパッと広げた。そこには、夕日に映える黄金の風景が描かれていた。寺の門をくぐり、山道を下る。振り返ると、光明寺の重厚な屋根が、夕闇の中に沈んでいくのが見えた。
僕は、自由になった。同時に、もう戻れる場所のない、本当の戦場へと足を踏み出した。もらった扇を胸に抱き、僕は自分の小さな手を見つめる。まだ何者でもない、けれど、自分の言葉一つで大人たちの心を揺さぶり、生き残るための糧を勝ち取った手だ。
「さて……次はどうやって生き残ろう」
僕は、現代の知識と、この時代の理不尽さを胸の中で混ぜ合わせ、一歩、また一歩と土を踏みしめる。背中に受ける夕日は、まるで僕を祝福するように、あるいは監視するように、長く、長く影を伸ばしていた。
日吉丸、八歳。「坊主」という安穏を捨てた少年は、自らが太陽となって世界を焼くか、あるいは照らすか、その答えを探す旅を始めた。
【太閤記 小瀬甫菴道喜輯録 近藤出版部 大正8年】
秀吉公素生三
沙門の作法には疎く、世間の取沙汰等には、十を悟れる才智世に勝れ、取分勇道の物語をは甚以すき給ひつゝ、稚心にも、出家は乞丐の徒を離れさる物をと思召、万雅意に振廻給ひ、僧共にいとはれはやの心なりしかは、如㆑案いや〳〵此児の気分は、中々沙門とは成すして、還て仏法の碍をなすへしと衆議一決し、父の方へそ送ける、日吉殿父か折檻せん事を恐れ、追出しつる坊主共を打殺し、寺々を可㆓焼払㆒とこと〳〵しく怒出られしを、彼僧共童部とは思ひなから恐れをなし、うつくしきかたひら扇なとを送り、機嫌を候ひにけり、
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
英雄・異端児は転生者設定がすっぽりハマります。書いてて⋯なんか楽w




