2-49 忠臣を捨てた日――裏切りの連鎖
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
女一人を巡る諍いが、名門・朝倉家の内部に致命的な亀裂を生み出していた。
しかし、その頃にはすでに、僕が放った草は前波九郎兵衛の周囲へ静かに入り込んでいた。市井の噂話を装い、酒席では愚痴をこぼし、道ですれ違えば何気ない一言を残す。
『忠義を尽くす相手を、間違えてはいないか』
『織田ならば、お前の無念を晴らせる』
そんな囁きが、雨が地に染み込むように、少しずつ前波の心へ浸透していった。だからこそ、彼の怒りは、もはや斎藤龍興一人ではなく、そのすべてを許した朝倉義景へと向かい始めていた。
愛する女を理不尽に奪われた前波九郎兵衛の胸中に渦巻く殺意は、もはや抑えきれるものではなかった。彼は斎藤龍興を深く恨み、時日を置かずに討ち果たしてやろうと、刀の柄に手をかけながら暗殺の機会を執拗に窺っていた。
だが、龍興もまた伊達に国を追われた敗軍の将ではない。前波の殺気に気づき、堅固に身の回りを固め、決して隙を見せようとはしなかった。
「ここで討ち損じれば、無念を晴らすどころか、逆に俺が消される」
焦燥に駆られた前波は、日頃から親しくしていた富田弥六郎、増井甚内、毛谷猪之助という三人の朋輩に、自分の苦しい胸中と暗殺の計画を打ち明けた。すると、彼らは前波の憎悪の矛先が「龍興一人」に向いていることを、冷徹な目でたしなめた。
「前波殿。貴殿が斎藤龍興のみを恨むのは、筋違いというもの。そもそも、国を守る柱石である貴殿を差し置いて、国を追われた食客の言葉を真に受けたのは、誰あろう義景様の判断ではないか。それは紛れもなく、主人である義景様の暗愚ゆえの誤りなのだ」
「……」
「今の朝倉家の有様を見てみよ。忠臣は退けられ、口先の甘い佞臣ばかりが重用されている。このままでは、遠からず信長にすり潰され、朝倉家は滅亡する。そんなことは、火を見るよりも明らかではないか」
朋輩たちの言葉は、前波の心に刺さった。彼らもまた、義景の政治に絶望し、朝倉家の未来に見切りをつけていたのだ。
「こんな頼りない大将に仕え、犬死にするくらいなら……いっそこの国を捨てて他国へ走るか、あるいは、織田信長に降るかだ。」
「近頃、不思議な噂を耳にする。織田には、忠義ある者を裏切らぬ男がおるとな」
「もし織田へ降れば、斎藤を討つ機会も得られよう。」
「貴殿が決断するなら、我らも共に越前を捨てる覚悟だ」
朝倉からの離反、そして織田への寝返り。朋輩たちの口から出たあまりにも巨大な決断に、前波は言葉を失い、腕を組んだまま呆然と立ち尽くした。そこへ、さらに事態を急転直下させる出来事が起きる。同じく前波と心を通わせていた池田隼人という男が、血相を変えて転がり込んできた。
「前波殿! 大変だ、早く逃げろ!」
「何事だ、池田殿」
「義景様が、斎藤龍興のそそのかしに乗り……貴殿を城へ呼び出し、その場で暗殺しようと企んでいる! たった今、その手配りが進められているのを耳にした。早くこの国を去らねば、殺されるぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、前波九郎兵衛の全身の血が凍りついた。
「……義景様は、そこまで俺を憎み、あの龍興を愛しているというのか。忠義を尽くしてきた俺を、騙し討ちにするというのか……ッ!」
悲哀と、それ以上の凄まじい怒りが前波の胸を焦がす。
「……分かった。貴殿の言葉に従い、他国へ逃れよう」
前波がそう言い終わるか終わらないかのタイミングで、義景からの使者が前波の館へと到着した。
「前波殿。軍務についてのご相談があるゆえ、至急、登城されよ」
白々しい呼び出し。池田の言葉が真実であることを、使者の存在が証明していた。前波の理性は、ここで完全に吹き飛んだ。
「……軍務の相談、だと?」
前波は凄まじい形相で使者の男を怒鳴りつけ、その胸倉を掴んで床に引き倒した。
「貴様、嘘をつけば一刀で突き殺すぞ! 義景様が俺を呼んだのは、軍務の相談などではない。俺を騙し討ちにして殺すためだろうが! 本当のことを言えェッ!」
前波が腰の短刀を引き抜き、ギラリと光る切先を使者の喉元に押し当てる。死の恐怖に直面した使者は、顔を青ざめさせ、ガタガタと震えながらすべてを白状した。
「ひぃッ! お、お許しを! おっしゃる通りでございます! 義景様と龍興殿が謀を巡らせ、力自慢の兵を伏せて貴殿を殺そうと手配りしておりまするッ!」
「……やはり、そうか」
主君の決定的な裏切り。前波九郎兵衛の心の中で、朝倉家に対する忠義の糸が完全に断ち切られた音がした。
ズプッ、という鈍い音とともに、前波の短刀が使者の喉を深々と貫く。血飛沫を浴びながら、前波は冷酷な目で朋輩たちを振り返った。
「もはや、一刻の猶予もない。俺は越前を捨てる。……目指すは、織田の陣だ!」
前波はそれだけを言い残し、単騎で屋敷を飛び出すと、織田軍の待つ近江路へと向かって馬を走らせた。
一方、残された富田、増井、毛谷、池田の4人は、咄嗟の計略を巡らせていた。彼らは急いで義景の御前へと罷り出ると、顔を伏せてこう報告した。
「申し上げます。先ほど、前波九郎兵衛が顔色を変えて、ただ一人で城外へと走り去るのを目撃いたしました。不審に思い館を調べたところ、なんと御屋形様の使者を一刀で刺し殺し、逃亡した模様にございます!」
「なにッ!?」
「奴はいまだ遠くへは逃げておりますまい。我ら4名に手勢をお与えくだされ。手分けして必ずや前波を捕らえ、御前に引き据えてご覧に入れまする!」
それは、前波を無事に逃がし、かつ自分たちも追手を装って越前から脱出するための、完璧な偽装工作だった。何も知らない義景は、激しい怒りに顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「おのれ、前波め! どこまで余を愚弄すれば気が済むのだ! 望み通り、手勢を率いて行け。一刻も早くあの裏切り者を捕らえよ!」
義景の命令を受けた4人は、内心でほくそ笑みながら「ははッ」と恭しく頭を下げた。
彼らは500騎の兵を率い、前波を追うという名目で国境を抜けた。誰一人として、その軍勢が二度と朝倉へ戻らぬことを知らない。
越前の夕空へ砂煙が長く伸びる。朝倉家の命運は、その砂煙とともに静かに流れ去っていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
前波九郎兵衛信長に降参す
さるほどに前波九郎兵衛は、齋藤龍興を深く恨み、時日を過ごさず討ち果たすべきと、折を伺ひ居たりけれど、龍興も前波が所存おぼつかなく、堅固に用心したりける。されば不覚に事を仕出して、討損じては無念なりと、日ごろ睦まじく語らひたる朋輩に、富田彌六郎、増井甚内、毛谷猪之助三人ひとしく申しけるは、「足下齋藤龍興のみを恨み給ふは、いまだその理しからず。國守義景情弱にして、國の柱石たる足下をして、亡國の将齋藤龍興に及ばざらしむは、これ主人義景が誤りなり。つらつら當家のありさまを見るに、忠臣は退き佞臣は經上り、終には信長のために滅亡せんこと、日をかぞへて待つべし。かかる頼みなき大将に仕へ、あたら命を失はんよりは、ここを去って他國に走るか、または信長に降りて、織田の手を借って齋藤を討たんになにのかたきことのあるべしや。足下心を決し給は、我々(われわれ)もともにこの國を去るべし」と云ふ。前波手をこまぬきてさらに詞を發せざるところに、池田隼人といふ者、これも前波と心合ひたる朋友なりしが、あわただしく馳來たり、前波を招きて申しけるは、「國守義景、齋藤龍興が勧めにより、足下を召して誅せんとす。某ただ今このことを承り、いささか心友の情を舒べてこのことを告げ知らしむ。早くこの國を去って生命を全くすべし」と云ふ。前波大いに驚き、「主人義景、さほどまで某を悪み、齋藤を愛し給ふは、安からぬことにこそ侍れ。謹んで足下の詞に隨ひ、他國に走って身を安くすべし」と云ひも終はらざるに、即刻登城いたすべき、國守義景使者を以て前波を招き、「軍事の談ずべき旨ある間、即刻登城いたすべき」よし聞こえければ、前波九郎兵衛怒りに堪へかね、使者に立ちたる男を取って引き伏せ、大なる眼を見開き、聲を勵まし罵りけるは、「汝偽なく我が尋ぬることを明らかに申すべし。國守の我を召さるるは、軍事を談ずるにはあらず、却って我を殺さんとのことなるべし。いま偽を申すものならば、一刀に刺し殺すべし」と、差添引き抜き、胸元へ押し当てれば、かの使者大いに恐れをのき、「義景、龍興両将計を構へ招き寄せ、力者を以て殺さん手配りなり」と、委細つぶさに語りぬれば、前波ますます堪へがたく、まづその使者を一刀に突き殺し、さて諸士に向ひ、「今は大事身の上にせまれり。一刻もこの國に足を止めがたし。織田の陣中大澤治郎左衛門は、我もとより因へ」と云ひ捨てて、近江路さして走りける。富田、増井、毛谷、池田の四人計を定め、急ぎ大守義景の前に出て訴へける様は、「ただいま前波九郎兵衛、顔色を變へただ一人城外へ走り出で候故、何ともその様いぶかしく、前波が家に行きて見候ほどに、御使者に立ちたる何某を一刀に刺し殺し、その身逐電せしと覺え候。いまだ遠くは行くまじく候へば、われわれ四人手勢を引き具し、諸方の道筋へ手分をなし、追懸て捕め捕め申すべき間、討手を免じ下さるべし」と申しければ、義景大いに怒り、「悪き前波が振舞いかな。望みに任せ手勢を引き具し、片時も早く捕らへ來れ」と下知すれば、四人一同にかしこまり、退て用意をなし、手下の勢都合五百餘人にて、揉みに揉んで追うたりける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
朝倉義景 は、戦国時代の武将。越前国の戦国大名。越前朝倉氏最後(11代)の当主。…生涯&人物評はwikiは長文のため略w 死後、高徳院や小少将、愛王丸ら義景の血族の多くも信長の命を受けた丹羽長秀によって殺害され、かくして戦国大名としての朝倉氏は滅亡した。義景の首は信長家臣の長谷川宗仁によって、京都で獄門に曝された。その後、浅井久政・長政共々髑髏に箔濃を施され、信長が家臣に披露している(「杯にして酒を飲ませた」というのは作り話である)。この信長の行為を桑田忠親は「信長がいかに冷酷残忍な人物であったかがわかる」と評している。この桑田説に対して、桑田の弟子でもある宮本義己は敵将への敬意の念があったことを表したもので、改年にあたり、今生と後生を合わせた清めの場で、三将の菩提を弔い、新たな出発を期したものであり、桑田説は首化粧の風習の見落としによる偏った評価と分析している。出典:wikipedia




