正直者には考える振りはできない
「小三郎、となぁ……」
弘の声だ。清次郎は頭を上げたくて仕方がないのを、下げたまま抑えている。
当の弘といえば、その一言を出した後、暫く無言でいて、顎の辺りを軽く撫でていた。
五郎太夫や柔太郎にはなにか悩み考えているように見えた。
ところがその実は沈思もなにもしてなどいなかったのだ。
弘はさながら、
「今朝の味噌汁の実は菜花にさせていただきました」
と報告されたときに返すのと同じような、何気ない普通な口ぶりで、それでいて丁寧な口調で答えた。
「お前さんの考えの通りにしなさい」
これを聞いて、清次郎は更に低く頭を下げた。
目玉だけを無理矢理動かして、義父の顔を見上げてのぞき見る。
「『折角だから倅に名を付けたい』というようには、お考えになりませんか?」
いささか不満げに訊ねる。
「お前が一歳や二歳の赤ん坊なら、わしも良い名を付けてやろうと考ぇもするだろうがな。
でもわしよりもずっと頭の切れるお前がよくよく考えたことだ。わしに止める筋合いはねぇわい」
「ありがとうございます」
清次郎の頭が一層下がる。直後、彼は僅かに持ち上げた頭を兄の方向へ向け直した。
「これは本来なら芦田の父上に相談するべきことなのですが、父上に訊くなら兄上に訊いても結局は答えは同じだと思いますので……」
「ああ私は不器用ゆえ、親の教えの殻を抜け出して新しく思考することができぬからな」
柔太郎の声には抑揚がない。清次郎は頭をひょこりと持ち上げた。
「兄上、今日は特段にご機嫌がお悪いようですが、何処かお加減が宜しくないのでは?」
理由は推察可能なの、それでも一応は訊ねてみた。
「昨日からなぜか耳と頭が痛いと、先ほども言ったはずだが」
柔太郎の目が針の様に細くなった。
清次郎の想像通り、その眼は『昨夕お前は帰りしなに私に何をしたか、忘れたとは言わせない』と語っている。
「まあ、その節はたいへんご迷惑をおかけいたしました」
清次郎は頭を軽く上下させた。柔太郎はこれを一応の謝罪と受け取った。
「それで何だ? おまえのような神童が、父上ではなくこの凡骨に何をか相談せねばならぬ、などということがあるというのか?」
柔太郎の口ぶりは遠回しで、嫌味があった。しかし純粋な疑問だ。細められていた眼が開かれている。
清次郎はその眼の奥の光をしかと確認した。
「名を……諱を、改めさせていただきたく存じ……」
言葉尻が出てくる前に、
「お前の思うとおりにすればよい」
柔太郎はきっぱりと断じる。
清次郎は頭をガバッと上げた。
「せめて少しぐらい考えたフリをしてくださいよ。答えるまでに一拍の間を入れてみせるとか」
柔太郎は小さく首を横に振った。
「お前の頑固さは知り尽くしている。お前という男は、父上が咎めても必ず我を通す。
父上ならぬ私などが止めたとて、無駄以外のなにものでもない」
「それは否定ができぬのですけれど」
清次郎は頬に微苦笑を浮かべた。
「然もありなん」
柔太郎は渋い顔をしている。
清次郎は「痛み入ります」とくぐもった声を漏らした後、
「芦田の父上より頂戴した『友裕』を廃して、『惟敬』と名乗らせていただきます」
断定的に言った。
「これひろ?」
柔太郎も、弘も、五郎太夫も、同じ疑問を抱いた。




