有朋自遠方来
個人の資質と、選ばざるをえなかった職との適合性に乖離があった場合、人はどちらを取るべきなのだろうか。
そう簡単に答えが出る問いではない。
しかも封建の世の中だ。職を選ぶ自由などあったものではない。
四谷正宗こと源清麿も、無理を通して強く望んだ士分にはなれなかったではないか。
『清次郎はわしが願いの通り、赤松の家を継いでくれるのか。それとも……』
弘は清次郎を見て幽かに笑った。
「然ても然ても、よ」
河合五郎太夫が大きな身体を軽く揺すった。その場の全員の視線が、この国家老にして藩校・明倫堂の武芸目付にそそがれた。
当の河合家老の視線は、赤松弘に向いている。
弘の頭の高さが現状より三寸ばかり下がった。
河合家老が首を振る。
「だから面倒ゆえ、頭は上げておけと申しておるではないか。儂も今日は私用であるのだ。
有朋自遠方来、不亦楽乎、と思って気楽にせよ」
河合家老は論語「学而篇」の冒頭を引用した。
この文の前に「子曰、学而時習之、不亦説乎」という一節が乗り、さらに後ろに「人不知而不慍、不亦君子乎」が続く。
これを繋げれば、河合家老が口に出した『中間の言葉』が、本来は「学問をすることに対する心構え」であることがわかる。
つまりは「同じ志や持つ者たちが遠く各地から集まり、共に語り合うことができるのが、学問をする楽しみではないか」といった意味になるだろう。
とはいっても、子曰くからもう二千年余の年月が過ぎている。学者以外の者は本来の意味よりももっと柔らかい解釈をしていた。
そう。我々は前後二節を読み飛ばして、
【わざわざ友人が訪ねてきてくれるなんて、これ以上楽しいことはないじゃないか】
という意味合いで使うことが多いし、それ以上の意味を考えもしない。
河合家老ほどの人物であれば当然本来の意味を辨えている。ただ今は柔らかい解釈の方を弘に伝えたいのだ。
赤松弘も武士の習いとして幼い頃に藩校で儒学を一通り学んでいる。件の言葉の真意も知識として有している。ただ今は柔らかい方で解釈することにした。
「というわけでな、赤松。儂は汝の畏友じゃ。そうおもってもてなすがよかろう」
河合五郎太夫は自らを「畏れ敬うべき友」と尊大に構えて――いや実際に彼は身分が高いのであるから、赤松弘に敬われるような態度を取って当然なのだが――
「さて、碁を打つか、将棋を指すか。剣術や柔術の稽古をするには家からでねばならぬから、そういうわけにはゆかぬな。
汝のことであるから連歌と言いたいだろうが、儂はそちらは不得手でな。勘弁してくれ」
赤松弘は太い眉がほとんど繋がっているような眉間に縦皺を三本ほど寄せた。
「へぼ碁へぼ将棋でよろしければお相手をしましょうが」
「なるほど、そのように遜って見せては、相手に応じて打つ手を変え、負けたり勝ったり負けたりして相手を勝負に夢中にさせて懐に入り込み、気分良く何気なく話を引き出すのが、徒目付たる汝が得意の手練手管というわけだな」
五郎太夫はにっと笑う。
弘は月代が伸び始めた頭を掻いた。
「いま碁盤をお持ち致します」
立ち上がりかける弘に、
「しばしお待ちを」
と、声をかけたのは、清次郎だった。




