ずこったま
河合家老はこの「親子」の頭頂部をしばらく眺めたあと、顔に少々面倒臭そうな微笑を浮かべた。
「ああ、よいよい。汝らの、その風味の違う味噌が各々みっしり詰まった重い頭を上げさせたり下げさせたりさせるのは、こちらから見ても面倒くさい。それ、双方面を上げよ」
河合家老は「いや、よっこらせ」と声に出して、足を崩した。
「そもそも今日は上意下達のために来たわけではない。昨日の今日で評決は下せぬでな。
むしろ儂は今日、芦田友故の顔を見に行こうと思って外出をしたのじゃ」
「とももと……友故……? ああ、弥一郎のことでございましょうか」
わざとらしげにいう弘の口元には薄い笑いが生じている。
清次郎が眉間に浅い皺を浮かべた。こちらにもわざとらしさがある。
「今は勘兵衛です、義父上」
改めて言うまでもないが、芦田友故とは芦田柔太郎・清次郎兄弟の実父・芦田勘兵衛のことだ。
勘兵衛と弘が古い友人同士であることは先に述べた。相変わらず弘は前名の弥一郎で呼ぶことを止めず、勘兵衛も旧名の小平太で呼び返すそのことも、前述した。
二人の間ではこれがあたりまえになっている。改名もなにも解っていてやっている。
同時に、それを辨えている家族や親しい友人達も、解っていて訂正を入れる。ここまでが、身内の様式美だった。
だから柔太郎は笑いを噛み殺している。
だから河合家老は小首を傾げている。
「赤松が古いことにこだわる頭の硬い男だったとは思わなんだぞ」
困り顔で微笑した。
「ともかくじゃ。儂は木町の芦田の家に行こうとしておった。だが、小豆橋を過ぎた辺りで、かなた木町通を行く、どこぞで見たような若いの見かけたでな」
河合家老はちらりと右後ろに控える柔太郎を見た。
小豆橋は河合家屋敷を出て濠沿いの片平町通りを北上した先、矢出沢川の水が作事所の濠を経て樹木屋敷の用水に合流して流れ落ちる細い流れを渡る橋だ。
橋を渡りきりもうしばらく北上すると、片平町は木町通りに付き当たる。
東へ向かって四丁弱ほど歩いてゆけば、四つ辻がある。
左へ折れれば下級武士屋敷街へ行く小道。右へ折れれば丸堀の中級武家屋敷街へと続く道となる。
その朝芦田柔太郎は、炊きたての温かい麦飯に温かい汁をかけるという勿体ないことこの上ない朝餉を飲みこんで、早々に我が徒士長屋を出た。
そこで河合家老に声をかけられた。
「ご家老はどれだけ遠目がお利きになるのですか?」
あきれたような感心したような声を出したのは赤松弘だった。
「何をいう。外のことでは汝ほど目端が利くわけではないわい。家の中のことは別としてのう」
意地の悪い物言いだった。しかし内容は事実である。弘は沈黙した。返す言葉もない。
首をうなだれ萎れている弘のさまを見て、清次郎が助け船を出す。
「先生、こう見えまして今の義父は心の臓が強くありません。何卒お手柔らかに願いまする」
軽く頭を下げた。
「済まぬ済まぬ、冗談が酷すぎた」
河合家老は清次郎よりも僅かに深く下げ、すぐに上げた。下げ続ければ、ここにいる者たちが頭をより深く下げなければならなくなる。
「それでじゃ。柔太郎とばったりと逢うたのでな。聞けば友故は嫁殿の里に出向いていて、帰宅は今日の昼を過ぎるというではないか」
河合家老は少々落胆したのだが、落ち着きなさそうな柔太郎が、
「海野町裏の赤松家へ向かおうと思うております」
というのを聞いて、
「ならばいっそのこと、一緒にこちらへ行こう、ということになった次第じゃ」
ガハハ、と豪快に笑った。




