駑馬十駕
足音を立てず、しかしばたばたと、赤松家の人々は各々屋内を動き回った。
まず二揃いの濯桶が用意された。
河合家老は外履きの紺足袋を脱いで足を洗い、中間が差し出す室内用の白足袋に履き替える。
他方、芦田柔太郎は素足に草履履きだった。履き替える足袋もない。土埃によごれた足を良く濯ぎ、己の手拭いで丁寧に水気を拭き取った。
玄関横に古い竹の縁台が据えられた。これを担いできたのは秀助だった。
家老が脱いだ紺足袋を懐紙に包んで懐に仮仕舞いした中間には、固く絞った手拭いも渡される。
そこへ二揃いの茶菓が用意された。茶請けは凍餅だった。
凍餅は餅を寒晒しにした保存食だ。
通常は一刻ほど水に浸してから水を切り、軟らかい餅状に戻し、黒蜜や黄粉を振って食べる。あるいは焼いて醤油をかけ廻すのもよい。
多めの湯を注いで溶かし粥状にすれば、赤子の離乳食や年寄りの介護食、病人の養生食といった役に立つ。
だが戻す時間も溶かす時間もない忙しい時には、一口大に割ってから茶やお湯に軽く浸す。
餅のような柔らかさはない。煎餅のような堅さもない。サクサクとした軽い口当たりになる。
この二揃いの茶菓は、玄関先で主人を待つ河合家の家臣達に供された。
添えられていた凍餅は、水で戻されたものではない。
つまりこの凍餅を割って茶に浸して食べてくれ、ということだ。
「なんとも乙な食い方をさせるねぇ」
「いやいや、むしろ有難いわい。わしはこっちの食べ方の方が口に合う」
河合家の草履取りと小荷物持ちは、楽しげな言葉を一つずつ発したあとは、無言で茶を喫した。小ぶりな赤松家の徒士屋敷の玄関と、その先にあるであろう座敷の方へチラチラと視線を送っている。
秀助も同じ方向をチラリと見た。
中間達はそちらにいるだろう自分の主の姿を、秀助もそちらにいるであろう「先生」の姿を、それぞれ想像していた。
事実、座敷の上座には、床の掛け軸を背に河合家老が座していた。
河合家老の左斜め後ろには、芦田柔太郎がおさまり悪そうに座っている。
彼らの前方、つまり下座に、赤松弘がおり、その左斜め後ろに実弟・清次郎がいる。
床の間の軸には「夫驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣」とある。
達筆とは言い難いが、力強い筆遣いだった。これは赤松家先代の巨助本人の筆だということだ。
簡単に訳せば
「名馬は一日で千里を走るというが(もしその馬が全力を出し切っていないなら)、足の遅い馬が十日間たゆまず走り続ければ、これに追いつくことができる」
といった意味になるだろうか。
これは、「人間は基本的には悪であり、善性は教育によってこそ培われる」という性悪説を唱えた思想家の荀況による書物「荀子/修身篇」にある言葉だ。
赤松巨助が何を思ってこの文章を書いたか、今となっては真意は知れない。
しかし、幼年期に儒学をたたき込まれた清次郎には、なんとなく解った。
『駿馬でないなら、たゆまず走り続けよ。駿馬であっても、力を惜しむな』
清次郎は顔も知らない義理の祖父に背中を叩かれた思いがした。
きぬ女が高茶台を河合家老の前に置き、柔太郎の前に茶托を置いたのを合図として、赤松弘と清次郎が平伏した。




