エキセントリセティ
やがて台所から麦飯の炊き上がりと味噌汁のできあがりを告げる、心地よい香りが漂ってきた。
まな板を叩く包丁の音の按配から、清次郎は、
「御香々は、沢庵か」
と予測した。
「なんにせよ、これで仕事ができまさぁ。飯を盛って汁を装って香の物を添えて、それから膳を運んで。へへっ。こいつは人手が足りなくなったに違ぇねぇ」
秀助が手を叩いた。実に嬉しげな顔をしている。
「お前は本当に働き者だなぁ」
清次郎の声には感心と呆れと、一種の憧れが入り交じっている。
一息吐いてから、
「なあ、秀助さんや。もしこれからも算学を……算学に限らず、なにか学問をやりたいンなら、仕事を詰め込み過ぎちゃならないぞ。
時のやりくりができないと、人間は頭も身体も潰れちまう。仕事も学問も両方とも続けられなくなるからな」
まるで真面目な教師のような口ぶりで言った。
「先生は……なんていうかその、ご心配が過ぎるというか、お優しいといいやすか、いや違うなぁ……、そう、お心が細やかでござんすねぇ」
秀助は考え考えて選んだらしい言葉を並べた。そうして、自分の言葉に納得したらしく、「うん」とうなずいて、桶を抱えて起ち上がると、清次郎に向けて軽く一礼してから土間へ戻ってゆく。
秀助の背中を見送った後、清次郎は小首を傾げた。
「おれが、細やか……か?」
甚だ疑問だった。
赤松清次郎という人物の性格を一言で言い表すならば、優しいとか平穏とか、あるいは丁寧とか繊細とかいうものとはかけ離れている。
赤松清次郎は風変わりな侍だ。
これは自他共に認めている。
清次郎は額の生え際を指先で軽く掻いた。
代講義や出教授をこなすことで、清次郎は「人に教える/人に伝える/人に理解を促す」ことを学んだ。
相手の立場に立って語る事を覚えた。
自分の学問を深めるには、人に教える事が一番早いことに気付いた。
こういう経験を積むことで、知らず知らずのうちに清次郎は「人当たりの良さ」という技能を高めていたらしい。
「ま、いくらか丸くなったかも知れんなぁ」
清次郎はいくらか苦々しげにつぶやいた。
自分のように学問を突き詰めようとする人間は、丸くなりすぎては、
『いかぬ』
ように思える。
何処か尖って、何処か歪で、ざらりとした存在でなくてはならぬ気がする。
その尖った切っ先、歪な凹凸、ざらりと粗い場所に、何かを引っかけることによって、学問が深まって行くのではないか。
「然り。然り。然り」
小さく強い声が、清次郎の喉から湧き出てきた。
「父上の所へ、朝の挨拶に伺わねばならん」
声に出して言った。口に出さなければ身体が動かない気がした。
さらに膝を一つ叩く。自分に活を入れた。
そして実際、清次郎の身体は動き始めた。
清次郎はするりと立ち上がることができた。
自分で言ったとおりに、養父の部屋へ向かう。
「義父上、お目覚めですか?」
台所から飯支度の音が僅に聞こえる以外は静かな徒士屋敷の中に、清次郎の抑えられた声が響いた。
「清か、まあ入れ」
同じく抑えた赤松弘の声が、襖の向こうから聞こえる。
思いの外明るい声色だ、と、清次郎には感じられた。
「失礼いたします」
清次郎は養父の寝間ににじり入った。




