78: EP5-1 『艦隊冷戦期』イントロダクション
まぁ、普通の人間に休息なしは無理だよ。
どんな英雄も、どんな天才も、結局のところ人の身であるという枷からは逃れられない。
...私も変わらないものさ。
『情勢は傾いた。 流れは私達の側にある。 ...だが、一体どこに隠れているんだ?』
[スノー・シトラス]
EP5:『艦隊冷戦期』
-Fleet Cold War-
西暦3020年5月17日、協定宇宙時09:00
海王星近傍、海王星近傍コロニー002
セイバー技術研究所、シンシア・エルズバーグの研究室
少なくとも、一時の休息を味わうだけの時間はある
──Side: 3人称視点
「よう、待たせたなシンシア。 それで、話ってなんだ?」
「あ、ローランド。 えっとね... とりあえずそっちに座って。 立ち話もなんかでしょ?」
その日、ローランドはシンシア・エルズバーグの研究室へと来ていた
用件はといえば、彼女から呼び出しがあったのだ
彼の義体の設計者であるからして、ライトニングストライク作戦、ストームライダー作戦を終え、海王星圏へと戻ってからというものの、既に何度も顔を合わせてはいたのだが、何やら様子がおかしい
エルズバーグが2人分の紅茶を淹れるとそれを2人の間にあるテーブルに置き、自身も椅子へと座る
「あれか? 昨日のテストで何か問題でも見つかったか?」
「うぅん、そういうわけじゃないんだ。 むしろあれは期待以上だったんだけど...」
エルズバーグが言い淀み、一度言葉を切る
「...ねぇローランド、ローランドは当然覚えてないとは思うんだけどさ。 半年前のあの日の事、どれくらい覚えてる?」
彼女の言う半年前
そう、ローランドが今の身体へと乗り換えた日のことだ
「...って言われてもなぁ... そりゃシンシアの言う通りだ、手術中だけだって15時間、前後入れりゃ下手すりゃ24時間丸々寝てたんだぜ?」
「まぁ、そうだね。 ね、ローランド。 これから私が言うことは落ち着いて聞いて。」
「どういうことだ?」
エルズバーグがローランドの耳元へ顔を寄せる
「...あの日のこと、思い出せないんだ。 私だけじゃない。 あの日、あの手術に関わっていた皆がそう。 あの日、あの場所にいたことは覚えてる、なのに、何をしてたかが思い出せない。」
「...は?」
衝撃的な告白だった
「私の頭の中に全ての知識は詰まってる。 何をすればいいかも全部。 なのに、あの日の、あの瞬間のことだけが全く思い出せない。 ...変な話だよね、ローランド?」
「あ、あぁ...」
ローランドが言葉に詰まる
それもそうだ
自身だってよく分かっていないというのに、一番詳しいはずの人物すら分かっていないというのだから
「誰に聞いて回ってもそう。 ...なんで、なんだろうね。」
その後、エルズバーグが何を話していたのか
ローランドはよく覚えていられなかった
STC11:00
NPC002後方部、セイバー連隊バトルワーカーハンガー
「本部に、それとアイヴァンにも個人的に問い合わせたが、原因は分からなかった。 だが、明確に何か...異物が、彼の思考ロジックに紛れ込んでいる。」
『分かりました。 ...一体何が...』
「皆目見当もつかない。 だが、本当に、明確な不備があるのは事実だ。 放っておけば間違いなく、問題を引き起こす。」
どういうわけか誰もいないバトルワーカーハンガーにその姿はあった
1人、あるいは1機は黒いバトルワーカー
そう、ディケだ
どうやらホログラム状態でコックピットに座っている状態のようだ
そして、もう1人、機体を見上げているのはグローリアだった
「何にせよ、早期に対応しなければならない。 ...まぁ、原因の分かっていないことなど、対応しようもないのだが。」
『こちらでも探ってはみます。 ...グローリア副局長、本当に本部でも分かっていないのでしょうか?』
「どういうことだ?」
『...総帥、あるいは...』
「シトラス閣下、か。」
『えぇ。 あの方々なら、私達にすら、それどころか上級執行役員会にすら言えないような秘密を抱えているのではないでしょうか?』
そう言うディケの声はどことなく小声であるような印象を受ける
「...だとすれば、それは我々が知るべきではない事実だ。 総帥がそう判断したのであれば、それは間違いない。 アイヴァンですら知らないんだ、知ってるだろう、ディケ、局長というものはともすれば上級執行役員会と同義であるということは。」
『もちろんです。 ...余計な探りは入れないべきなのでしょうかね。』
「...その可能性はあるな。 私も注意しておくとしよう。 まだ死にたくはないからな。」
『私もです。』
その後いくつかのとりとめのない会話の後に、グローリアはその場を去っていく
それを見届けたディケがどこかへ通信を繋ぐ
ライブラのコックピットシートに座るホログラムのディケの前に、音声通信のみのステータスを表すホログラムモニタが映る
『エイベル室長。 どうです?』
『あぁ、確認してみたさ。 どうやら、クロだな。 あの存在が関与しているようだ。』
『...でしょうね。 シオンハートなどと偽ってはいますが、やはり。』
『ましてや、しばらく海の近くにいたんだろう?』
『えぇ。 やはり?』
『あぁ。 かなり高度な偽装だったがな。 まだ総帥にも、閣下にも伝えていない。』
『となると、見てしまった、という可能性があるでしょうか、室長? 私達のような画像越しではなく、直接。』
『十分にあり得る。 どうやらあの存在は彼をいたく気に入ったようだからな。 ...尤も、あの存在と閣下は親しい。 我々にできることはないに等しい。』
『...でしょうね、室長。 それはリスクがありすぎます。 いかな監査室とはいえ...』
『総帥ぐらいとならやりあってやれるんだがな。 閣下とはもちろん無理だ。 それだけのリスクを冒したところで得られるものはないだろう。』
『何より、所詮人の身でしかない室長と、ただのAIの私ではあのような超越的な存在には勝てません。 本当にただのトラベラーなのですか、あの存在は?』
『どうだかな。 ジャッジメントの前にはエル・シオンハートというトラベラーとして姿を表している。 何故、閣下も総帥も、あそこまで彼女の存在を隠そうとするのかは分からない。 ...いや、あるいは、総帥も知らないのかもしれないな。』
『総帥も私達が知っている程度のことしか知らない、と?』
『そうだ。 ルルイエ・オルカ・アビサルハートという正体不明の超越的なトラベラーがいる、そして、無数に存在する彼女の分身、あるいは端末...もしくは、並行存在であるのがエル・シオンハートである、ということしか、な。』
STC13:00
セイバー連隊司令部、指揮官執務室
サイラス・セイバーの執務室に、いくつかの人影があった
1人はテーブルに備えられた椅子に座るサイラス・セイバーだ
他の顔ぶれはというと、セイバー第一艦隊長であるレン・カエデをはじめとしたセイバー艦隊長の3人だ
3人も部屋の中にあるソファの思い思いの場所に座っている
全員が落ち着いたのを見計らい、サイラスが口を開く
「今のところこの1ヵ月近く、ESFに動きはない。 正規軍、及びセイバーによる火星軌道エレベータ確保は順調に推移している。 軌道エレベータブラボー上空はもちろん、アルファの上空の制宙権も常にこちらのものだ。 事実上、火星圏からはESF艦隊を叩き出している状態だな。」
部屋の中央にいくつかのホログラムが表示される
内容は火星を中心とした勢力図のようだ
サイラスが手元の端末を操作し、ホログラムを切り替える
映し出されたのは火星地表上の詳細な地図だ
「破壊されたチャーリー周辺からアルファに向かっての陸海空の輸送手段の運航は確認できている。 こちらの現有戦力では火星地上に残ったESF地上軍を抑えることは無理だからな。 だが、情報通り、ESFの重工業が今も金星に特化しているのであれば、この状況を維持することでその抵抗も大きく削がれるはずだ。」
サイラスの言っていることはシンプルな内容だ
現在火星圏の制宙権はCAUが保持しており、ESFの火星圏への輸出入を妨害していた
火星圏に近づく艦船は例え民間船であろうとも、CAUの識別信号を出していない限りは撃沈する手筈になっているのだ
事実、既に2桁に上る民間船と思わしき艦船の撃沈が行われている
それ以上に、火星圏を奪還しようとするESF艦隊も確認されているのだが、本格的な奪還作戦の動きは見られなかった
結局のところ、両軍共に戦力には余裕がないのだ
「何より、これも以前の情報が正しいのであれば、ESFの食糧供給は火星に頼り切っている。 火星の食料自給率は200%を超えるが、地球は精々が70%程度。 金星に至っては30%だそうだ。 いくら食料備蓄があろうとも、70%の輸入依存はそう長くは持たない。 結局のところ、火星圏の保持はこの戦争を終わらせることに大きく寄与すると思っていいはずだ。」
人間が生活する上で絶対に欠かせない食糧供給という点で、CAUはESFに致命的な打撃を与えていた
輸出入を軌道エレベータに頼っていたが故にそこを抑えられてしまえば、ESFに打てる手はほとんどない
攻める側も守る側も、あまりにも目標がはっきりしすぎているのだ
「まぁ、そういうわけで、だ。 3人には今後とも火星圏の保持を頼む。 正規軍もいるからまぁ、そんなに難しい話ではないはずだ。」
「正規軍には我々が弱い、数の利があるからな。」
話を聞くばかりだった艦隊長達のうち、エンスウェンがそう言う
「だな。 私の第二艦隊は結局、数が物を言うこのような作戦にはあまり向かない。 攻城戦なら得意なんだが。」
「そもそもうちはまだ再編中ですよ。 まぁ、とは言ってもほとんどそれも終わりかけですけど。」
「そうだ、それで思い出したぞ。 これを見てくれ...」
サイラスがホログラムを切り替える
「...うん? なんだこれは、サイラス?」
ウィルクスが首を傾げる
見たところ、何らかの艦船のようだ
どことなく、主力戦艦のランティッヒのように見えなくもない
「UBS-3TEC-20。 アルビオン級新型戦艦だ。 来月、先行量産型の配備が始まる。」
「アルビオンだと? ...戦前から開発は進んでいたな。 ようやくそこまで来たのか。」
「...あぁ! 言われてみれば見覚えがあるな。 なんだ、それだったのか。」
サイラスがホログラムを回しながら言葉を続ける
「ランティッヒの武装関連は受け継ぎつつ、船体は完全新規に設計されているのは知っての通りだ。 今までより装甲も通信、レーダー関連も強化されている。 だが、何より目を見張る改善点がある。 開戦後になって急遽付与された機能だが...知ってるか?」
「いえ... なんでしょう?」
カエデが代表しそう答えるが、他の2人も同じようだ
少なくとも、知っている、という表情ではない
「やっぱりな。 これを見てくれ。」
ホログラム表示が更に切り替わる
「...なんですって? 船体パッシブシールド?」
「そうだ。 最近新しいEWE反応炉の理論が構築されたんだ。 その名もエジタイト粒子加速炉。 今までよりもエジタイト消費速度は悪化したが、その分出力が大幅に向上してる。 短時間だが、安全にオーバーロードさせる機能もあるそうだ。 で、だ。 このEPARの実用化によって、今までは不可能だった常時展開式のパッシブシールドがついに実現したんだ。 船体に被弾する前にシールドで敵弾を受け止める、その技術がついにお目見えってわけだな。」
カエデの驚いたような声に、サイラスが説明をする
今までのシールドといえば、一時的に展開し損害を軽減するアクティブシールドが精々だった
尤も、パッシブシールド自体は以前から航空甲板などで船外と船内を隔てる障壁として採用はされていた
しかし、精々が空気の流出を抑えるのが精いっぱいであり、間違っても砲弾を受け止めれるような強度はなかった
「しかもそれだけじゃない。 ワープドライブやジャンプドライブの出力も当然上がっている。 以前よりも最高速度も、ジャンプ精度も上がっているはずだな。」
「ふむ、見たところこれなら、主砲の火力だって上がっているんだろう、サイラス?」
やはり超長距離砲撃を得意とするウィルクスが気になるのはそこだろう
「まぁ、そうだろうな、ウィルクス。 火力、あるいはチャージ速度...とにかく強化されているのは間違いないだろう。」
「期待できそうな雰囲気だな。」
「もちろんだ。 正規軍とセイバーの技術屋連中が共同であれこれやった自信作だからな。 連中の自慢げな表情は忘れられそうにもない。」
サイラスが苦笑いを浮かべる
そしてふっと表情を引き締める
「まぁ、さすがに全てをこれに置き換えるほどの時間はないだろう。 ESFだっていつまでもこのままでいるとは思えない。 ...勝手な推測だが、そのうち、一発逆転を賭けた、こないだみたいな艦隊の結集をやるだろう。 食糧供給を絶ったんだ、追い詰められた鼠は猫をも噛むとはよく言ったものだからな...」
「可能な限り配備してくれると助かるな、サイラス。」
「分かっているさ、エンスウェン。 まぁ、ランティッヒや他の艦についてもEPARへの換装や、パッシブシールドの搭載ができないかは掛け合ってみる。 それにまだ、他の艦種もロールアウトする予定があるしな。」
「巡洋艦や駆逐艦もか?」
「あぁ、そうだ。 どれもEPARやパッシブシールドに対応予定だ。 今後はそれが標準になっていくだろうな。 ...そうだ、3人とも、こっちはさすがに知らないんじゃないか?」
そう口にしたサイラスがまた更にホログラムを切り替える
表示されたのは先ほどのアルビオンとは比べ物にならないほどの大きさを持った艦船だ
「...確かに見たことはありませんね。 ウィルクスとエンスウェンはどうです?」
「いや、ない。」
「私もないな。 ...だが、あまりにも大きすぎる気がするんだが、サイラス。」
エンスウェンの言うことは尤もなことだ
併記されている表示を見るに、全長が5キロメートルはある
「まぁその通りだ。 コイツは正規軍の新型旗艦だ。 艦種は存在しない。 いや、正しくはあれだな、新型艦種の旗艦級要塞。 艦名は仮称だが、アマテラス、だ。」
「アマテラス級?」
「級っていうほどでもないかもしれないな。 さすがにこれの量産計画はない。 というか無理だ。 コイツはまぁ...もう3ヵ月は建造にかかる見込みだ。 戦前から連合本部で極秘に建造はされていたんだがな。 あまりの極秘っぷりに作業が進んでいなかったんだ。 まぁ、ようやく情報が一部公開され始めたってワケだ。」
「これ、あそこ通れるんです?」
「ギリギリらしい。 もう少しでも上か横に大きくしたらアウト、らしいぞ。」
「またそうやって無茶をしますね...本部も。」
「建造費も考えたくないレベルだしな。」
サイラスが呆れたような表情をする
余程の額なのだろう
「まぁそういうわけでだ。 アルビオンをはじめとした新型艦の配備については頭に入れておいてくれ。 さっきも言ったが、可能な限り配備は急がせる。」
「了解。」
「まぁ、了解だ、サイラス。」
「了解した。」
そうしてその場は解散となる
この4人ともなると、やはり暇というものは早々あるわけでもないのだ
再び何か別の資料を読み始めたサイラスを背に、3人は部屋を出ていった
──ジャッジメント本部、スノー・シトラスの執務室
「お待たせ、ブラック君。 それで、報告って?」
「はい閣下、ただいま。」
ブラックが机の上に並べていたいくつかの資料を纏める
そして、いつものタブレット端末をスノーへと見せながら話し始める
「まず一つ。 アストライア計画は順調です。 新設計のアイヴァン-メープル・術式加速炉を搭載し、試験では良好な出力を発揮しています。」
「...結局加速炉になるんだね。」
「まぁ、出力不足は投入燃料の増加で強引に補うのは手ではありますから。 エジタイトもマナも、どちらもバーディクトのゲート技術で供給することを前提にした炉です。 到底他の物に組み込むのは現実的ではありません。 アストライアが技術実証機を兼ねているからできるようなものです。」
「まぁ分かったよ、進めてくれ。 しかし、メープルが協力してくれたならそれは心強い。 私はマナについては全く知らないからね。」
「何やら興味が出たそうですよ。 ...副団長から最近団長閣下がしょっちゅう外出してて困るから止めてほしい、と泣きつかれていますが...」
「私がいるんだからいいだろ、とでも言い返しておけばいいよ。 決して彼も悪気があって言ってるわけじゃないだろうしね。」
「了解です。 それともう一つ。 アバター計画です。」
ブラックがタブレット端末を操作し、表示されている資料を切り替える
「お、なになに? 進捗あったかい?」
「はい。 パーシヴァル、エルヴィス両名の試験は良好です。 特段の不具合なく動作しています。 というわけで、次は範囲をもう少し広げようと思っています。」
「うんうん、何事も一歩ずつだね。」
「えぇ。 次はディケをはじめとした...一部の監査室所属の者から開始しようと思っています。 ですから、エイベルにも協力を仰ぐつもりです。」
「了解。 監査室は私ですら全貌が分からないしね。 まったくエイベルの奴もどうやってるんだか...」
「エイベルならこう言うでしょうね。 閣下に見せるまでもない細事を片付ける者もいる、と。」
「うーん、さすがにそういうのだって報告してほしいんだけどなぁ... とはいえ、監査室関連で問題は実際ないから強く言いづらいんだよね。」
「そうですか? 閣下はそういうのは気にしていないと思っていたんですが。」
そのブラックの言葉に、ここまで飄々とした表情を崩さなかったスノーが少しだけ不機嫌そうな顔をする
しかし、それもすぐに元に戻る
「...まぁいいか、今更どうこう言う仲でもないしね。 オーケーブラック君、他には?」
「いえ。」
「おっけー。 じゃ、また進展があったら教えてくれ。 とりあえずもうしばらく時間の猶予はありそうだ。 ...そうだな、とはいえアストライア計画を優先しておいてくれ。 なんでかは分からないけど、嫌な予感がする。」
「了解、閣下。」
西暦3020年、5月
戦況は膠着していた
両軍共に火星圏の制宙権を巡り、全面衝突とまではいかない小規模な小競り合いを続けていた
大きな戦いは起きず、逆に水面下での活動の増加は、言うなれば冷戦の到来のようなものだった
そして...舞台は木星近傍へと移る──




