46: EPI-3 Intermission-Ⅲ 『Code:I』モリガンの寵児
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『モリガンの寵児』
西暦3020年3月20日、協定宇宙時14:00
地球、北米大陸、ESF首都ワシントンD.C.
ESF軍ワシントンD.C.基地
兵舎内に造られたトレーニングジムは、普段と同じぐらいのほどほどの利用者で埋まっていたが、半数以上の視線がスパーリング用のVRトレーニングルームへと注がれていた
通常はVRトレーニングシステムが用意した仮想データをベースにした仮想上の人形との対戦となるが、今このトレーニングを行っている人物がやっているのは、白兵戦に覚えのある兵士を元にした再現データをベースにしたよりハイクオリティかつ過酷な難易度の訓練だ
これに挑戦しようとするESF兵は、ESF領内のあらゆる基地を見渡してもそう多くはいないことでも有名だ
ルームの透明な壁越しに見えるのは、骨太な長身に隆々とした筋肉が絡みつくような容貌の男で、鮮やかな赤銅色の髪がVRトレーニング用のゴーグルの上で跳ねている
無線式のセンサーが巻かれた手足を自在に繰り出し、鋭く体をねじるたびに、汗ばんだシャツがぎゅっとシワを寄せる
モニターにリアルタイムで表示される各種スコアはどれも目まぐるしく数字を書き換えていくが、たった一か所だけがゼロから動かない
いつしかジム内のほぼ全ての人間がその様子を見ていたが、その観衆達からおおっ、と歓声が上がったのも無理はない
たんっ、という音を鳴らし床を蹴ったその身体が、猫科の動物かのようにしなやかに宙を舞い、ねじれながらの回転の後に危なげなく着地してみせたのだから
まるで観衆達に魅せるかのようなアクロバティックな動きだが、別に彼とて余興でやっているわけではない
ただ、彼は至極合理的な回避術を使ったまでであり、そしてその動きを可能にする筋力を持っているだけに過ぎないのだ
訓練終了のブザーが鳴ると共に、モニターの数字が止まる
討伐数、ヒット数、クリティカル数、タイムと数字が並ぶ中で、被弾数だけがゼロ
防御に成功したものが除外されるとはいえ、飛来物はもとより、相手の獲物が当たってもカウントされるということを考えれば、恐ろしいほどの回避率だろう
もちろん、総合評価は『S』だ
「くそっ、3匹ばかり逃がした!」
うっすらと湯気が立ち上る身体からセンサーを外しながら、短い髭に囲まれた口から、荒い呼吸と共に悔し気な呟きが漏れる
防衛戦フェーズでの、怒涛のような人波を押しとどめるのに、10人取り逃がしても評価は『AAA』になる
いかに自分の負担を少なく、かつ時間内を防衛しきるかという訓練において、敵を全て撃破しようとするのは、彼が脳筋だから考えることだ
「嘘だろ...」
「すげぇ、対人VRでS評価なんて初めて見たぞ。」
呆然とモニターを見ている観衆達の横で、ルームの扉が開き、汗を滴らせた中年男が出てくる
ゴーグルを取った彫りの深いその顔は、髭と同じ赤銅色をした太く真っすぐな眉の下に、眠そうな琥珀色の目を備え、洒落気のある口髭以外は頬もなめらかだ
雰囲気も厳めしい軍人というより、気ままに寝そべる猛獣のように感じられる
「おい、お前ら、今なら高ランク取れるぞ。 最後の一番強ぇの、多分金星だかのオネスト連隊の...なんて言ったか、そうだ、アランブール連隊長のデータっぽいが、調整が甘すぎる。 向こうの動きはノロいし、当たり判定がガバガバすぎて、適当に振り抜きゃクリティカルだ。 次のアップデートまでボーナスタイムってとこだぜ。」
アランブール連隊長といえば、白兵戦にこの人ありと名高い人物だ
当然、観衆達からは
「無茶言うな!」
「どこがボーナスなんだ!?」
と悲鳴が上がる
しかし、次のアップデート後には、その最後の一番強いラスボスはこの猛獣のような男のデータが採用されるはずで、もっと難しくなるに違いない
そこで、モニターを見ていた観衆達が訝し気な声を上げる
「ところで...あれは誰だ?」
「アレクシス...ソーンダイク中尉? どこの所属だ?」
モニターに表示されたランキング暫定1位のその名前が呟かれたときには、赤銅色の頭を載せたマッチョの姿は、何処にもなかった
シャワールームを出て、窓辺に細長く作られた簡易ラウンジに立ち寄る
炭酸水片手の日向ぼっこは実に心地よい
数か月ぶりに戻ってきたESF軍総司令部が座するD.C基地の兵舎は、アレクシスに『ホーム』を感じさせた
「中尉...ソーンダイク中尉!」
「ぅえ?」
ぼーっとしすぎてすぐそばから呼んでいる可憐な声に気づくのが遅れる
「おじさま、お久しぶりです。」
「リゼット...んんっ、失礼しました、ボルデ少佐。」
背筋を伸ばして真面目な顔で敬礼すると、真っすぐなプラチナブロンドを短く整えた若い女性士官が、きりっと返礼してくる
身長はアレクシスの肩にやっと届くかどうかという程度なのに、きびきびとした所作と真っすぐな眼差し、それに引き結ばれた桃色の唇は、アレクシスよりもずっと軍人らしい
彼女はリゼット・ボルデ、アレクシスのかつての上司の娘であり、数年前に父親が2階級特進した後も、アレクシスを『おじさま』と慕っていた
初めて会った時は、まだ10歳にも満たない少女だったのに、今はESF軍総司令部の参謀室に所属しているはずだ
「...少佐、どうしてこんなところに...?」
「中尉が戻ってきたと聞いて、探していたんですよ。 ...おじさまのお耳に入れておきたいことがあって。」
人差し指を唇の前に立てて、リゼットはアレクシスと並んで窓の外を眺めた
軍施設である以上、屋外とはいえ機能的で殺風景な景色が広がっている
「私、しばらく軍務を休むことになりました。 母と同じ病気が見つかりまして。」
「え?」
「あの、おじさま、大丈夫です。 幸い、発見が早かったので、今から治療を始めれば母のように手遅れになることはないそうです。」
リゼットの余裕ある微笑みにアレクシスは胸を撫でおろしたが、それでもしばらくは入院する必要があるとリゼットが言う
「じゃあ、結婚式は? 延期か?」
「あ、婚約は解消しました。」
「はあっ!?」
婚約者の転勤と共に退役して結婚するつもりだったが、転居先で十分な専門治療を受けるのが難しく、このまま軍属として軍病院に入った方が好都合だとリゼットは言う
「治療には時間もお金もかかりますし、将来も子供を望むのが難しいから、と... おじさま、そんな怖い顔をなさらないでください。 彼が見たら失禁してしまいまいそうです。」
「そいつは病気のリゼットを見捨てたってことだろう。」
滑らかな太い声が、毛羽立つように低く唸るのを、リゼットは困ったように見つめている
「違いますよ。 婚約解消は、私から申し出ました。 彼は、私が何も相談せずに1人で道筋を立ててしまったので、呆れてしまったんです。 私の提案は、今でも最も理にかなった最適なものだと思っていますが、彼の気持ちをないがしろにしていたんです。 それで、君の好きなようにするといい、と言われてしまって... だから、悪いのは私のほうです。」
「...」
もっと話し合ったほうがいい、と喉まで出かかったが、結婚どころか恋人も作っていないアレクシスが言えることかと、もどかしさが重い溜息にしかならない。
それに、リゼットの闘病に関しては、彼女の意思が第一に優先されるべきだ。
「それで、おじさまに関する重要な情報があります。 恐らく、公表される頃には、私は病室のベッドから動けません。 何もお力になれないよりかは、いくらかマシだと思います。」
リゼットは声を潜め、特殊部隊の増員候補者リストの中に、アレクシスの名前があったと教えてくれた
「火星方面、それも地上のバトルワーカー隊です。 おじさまはそもそも、パイロットでいらっしゃいましたでしょう?」
「いやなんて言うか... バトルワーカーにも乗れる、ってだけだ。」
その道一筋のパイロットが聞いたら怒髪天を突く言い方だが、アレクシスにとっては戦闘環境のひとつ、という認識でしかない
そもそもソーンダイク家はエンジニア一家で、両親も兄弟もアレクシス以外は皆研究者や技術者として生計を立てている
幼い頃から機械図面に親しんできたアレクシスが、バトルワーカーの仕組みを熟知していてもおかしくないし、事実、手足のようにどころか、生身のようにバトルワーカーを操縦できるのはアレクシスをおいてそういない
しかしながら、どうして理系一家からこんな身も心も筋肉な人間が生まれたのだと不思議がられること、ゆうに3桁には達しているだろう
「なぁるほどぉ? まぁた面倒くせぇ事になってんのか。」
現在のESF軍はそれぞれの主義主張ごとに3つの派閥に分裂しているような状態であり、度々軋轢が生じていた
なまじ個人の戦闘能力が高いせいで、本人の預かり知らぬところでその派閥争いに巻き込まれては、様々な部隊に放り込まれて各地を転戦してきたアレクシスである
キャリアではない叩き上げの戦士とは言え、ずば抜けた能力と軍歴の長さの割に階級が中尉と低いのはそういう込み入った事情も絡んでいた
「おじさまは、いつも振り回されてばかりで...」
「なぁに、それこそ、今に始まった事じゃねぇさ。 親父さんの下にいた時から、慣れっこだ。」
心配そうに表情を曇らせるリゼットに、アレクシスはにっかりと白い歯を見せて、快活そうに笑ってみせた
「ありがとな。 機密漏洩させるほど心配させるようじゃ、親父さんに叱られちまう。」
「父も向こうでおじさまを心配していると思います。 ご武運を...どうか、無事で帰ってきてください。」
「そりゃこっちのセリフだ。 ...頑張れ、なんて月並みな事しか言えないが、気をしっかりな。 俺がついてる。」
「はい、おじさま。」
アレクシスがリゼットの細い肩を抱きしめて離すと、彼女は朗らかな笑みを浮かべて敬礼をした
「では、失礼します。 中尉。」
「お大事にしてください、少佐。 お疲れさまでした。」
格式張った挨拶を笑顔で交わすと、きびきびとした足取りで立ち去っていくリゼットの後姿を眺めていたアレクシスは、敬礼の為にあげていた手を左手首に巻いた端末へと滑らせ、個人通信用のチャンネルを開く
軍施設の通信制限をものともしないパワフルさは、ソーンダイク兄弟の変態的技術凝り性のたまものであろう
「おう、俺だ。」
親しげなアレクシスの声に、相手も気軽な様子で返事をしてくる
声を聞くのも久しぶりだが、元気そうだ
「俺のモリガンをドレスアップしといてくんねーか? 火星から舞踏会の招待状が届きそうでよ。」
舞踏会? 武闘会の間違いだろ?
ホログラムのモニターの向こうの相手のそんな言い草に、アレクシスの唇の端が獰猛に吊り上がる
「野郎共の視線を釘付けにできる、最高のレディに仕上げてくれ。 頼んだぜ。」
仕方なさそうな笑い声が了解の意を伝え、通信はあっけなく切れた
向こうも忙しいのだろう
空になった炭酸水のボトルを握り潰し、アレクシスはもう一度窓に寄りかかって、ガラス越しの空を見上げた
のんびりとした休息は、ほんのひと時だけになりそうだった




