セットアップは舞台の上で
学園祭当日の私立聖鳳大学は、早朝から底冷えする秋風を吹き飛ばすほどの熱気に包まれていた。
校門から続く並木道には色鮮やかな模擬店のテントが所狭しと立ち並び、フランクフルトや焼きそばの焦げたソースの匂いが風に乗って漂ってくる。
広場に設置された特設野外ステージの周辺には、講義を終えた学生や近隣の住民、他大学からの訪問客が黒山の人だかりを作っていた。
『ねえ弦……本当にやるの? サークルの枠を乗っ取るなんて、完全に不法侵入だし営業妨害だよ?』
俺の右耳のすぐ後ろから、落ち着かない様子のユウの声が届く。
「不法侵入でも営業妨害でもない。正規の交渉だ。……吉野君に、OBの威光をちょっとばかりね」
俺は胸ポケットから、一枚のハガキサイズのカードを取り出した。
黒い高級紙に、銀色の箔押しで一文だけが印字されている。
『一年前の学園祭直前、白石優が部室に残した謎――そのタネ明かしを、本日のステージにて執り行う』
「吉野君を通じて、河野代表と幹部連中の手元に届けてある。あいつらのことだ、自分が葬り去ったはずの『あの夜の出来事』という言葉に食いつかないはずがない。最前列の特等席で、血の気を引かせて待っているはずだ」
『うう……なんだか胃が痛くなってきた気がする。私、このまま消えちゃったりしないよね……?』
ユウが不安そうに自分の胸元をさすった。その透き通る指先が、微かにパチパチと青いノイズを散らす。
「安心しろ。お前をこのまま闇の中に消えさせたりはしない。……手遅れになる前に、全部終わらせる」
俺は時計に目を落とした。十五時三十分。奇術部の発表会の時間がやってくる。
本来のスケジュールでは、現代表である河野の挨拶と、幹部たちによる華やかなオープニングマジックが組まれていた。
だが、俺は事前に吉野を抱き込み、「OB特別企画として、部員も知らないサプライズ演出を挟む」と裏で話を通しておいたのだ。
後輩の吉野は、俺のマジックの腕前と「伝統の復活」という威勢のいい言葉を完全に信じ切っていた。
ステージを覆っていた暗転幕が、重々しく左右に開く。
ワッと湧き起こる歓声と拍手。
照明の眩いスポットライトが、ステージ中央を鋭く照射する。
だが、そこに立っていたのは、サークルの衣装を着た学生たちではなかった。
漆黒の燕尾服を纏い、シルクハットを胸に当てて深々と一礼する、一人の男――七瀬弦だ。
「――皆様、聖鳳大学奇術部へようこそ」
マイクを通した俺の声が、スピーカーを介して広場全体に響き渡った。
客席の最前列。
パイプ椅子に腰掛けていた河野の顔から、一瞬で余裕の笑みが消え去るのを俺は見逃さなかった。彼の隣に座る幹部二人の身体が、弾かれたように硬直する。
「本日、この特別なステージのオープニングを飾るにあたり、私から皆様に一つ、一年前の未解決の事件についてお話ししなければなりません」
ざわざわ、と観客席がどよめき始めた。予定にない男の登場と、どこか不穏な前口上に、学生たちが顔を見合わせる。
「一年前のこの時期、このサークルから一人の優秀な女子部員が姿を消しました。白石優さんです」
河野の目が、凶暴な光を帯びて細められた。彼の手が、椅子の肘掛けを激しく握りしめるのが見えた。
「彼女の突然の失踪について、サークル内では様々な不穏な噂が囁かれていました。『男関係の縺れで夜の部室に忍び込んでいたのではないか』『不純な動機でサークルの道具を持ち出そうとしていたのではないか』と」
『そんなことしてないもん! 多分……』
耳元で、ユウの悲鳴のような呟きが届く。
「ですが、私は本日、ここで断言いたします」
俺はトランクから、一枚の巨大な白い折りたたみパネルを取り出した。
手元で一瞬にしてロックを外し、観客全員に見えるよう、ステージの中央でバッと一気に広げてみせた。
「彼女があの日、夜の部室に残っていたのは、純粋にマジックの練習でしょう。少なくとも男女の関係ではない」
パネルに描かれていたのは、一筆書きの巨大なイラストだった。
丸っこい黄色い顔に、大きな楕円形の目。
愛嬌だけが取り柄のような、あの有名な子供向けアニメキャラクター――『ぽこぽん丸』の総柄ショーツの拡大図だ。
「彼女があの日身に着けていたのは、この『ぽこぽん丸』の総柄ショーツだとわかっています。このようなファンシーな下着を着用した状態で、男を誘惑するために部室へ忍び込むなど、あり得ない」
静寂。
数秒間、広場全体が静まり返った。
観客も、音響スタッフも、最前列の幹部たちも、全員がポカンと口を開けてステージ上の巨大な『ぽこぽん丸』を見つめていた。
直後。
『ちょっと何やってんの弦!?』
鼓膜が破れるかと思うほどのユウの大絶叫が、俺の脳内を突き抜けた。
波動が暴走し、ステージ上のマイクスタンドがガタガタと激しく揺れる。
その揺れのせいで観客が少しざわつく。
『変態! 最悪! なんで大勢の前で人の下着の柄を、しかもそんなパネルにして公開してるのよ! 恥ずかしすぎて今すぐ消えてなくなりたいぃ!』
耳元で荒れ狂う嵐を完璧に無視し、俺は至極真面目な顔でマイクに向かって続けた。
「繰り返しますが、彼女は純粋に手品を愛し、日夜練習に励んでいた被害者です」
「なんだよあれ」
「ぽこぽん丸って!」
「あのOBの人、頭おかしいんじゃないの」
学生たちが腹を抱えて笑い転げる。
だが、その大爆笑の渦の中で、一人だけ顔を真っ赤にし、血管を浮かべて立ち上がった男がいた。
「実は白石さんは」
「ふざけるなっ!」
怒号が、爆笑を切り裂いた。
最前列から叩きつけるように椅子を蹴飛ばし、河野がステージの階段を駆け上がってくる。
洗練された爽やかな笑みは完全に剥げ落ち、その顔は激怒と屈辱で歪んでいた。
「なんなんだお前は! 部外者のくせにステージを乗っ取って、いなくなった白石を出汁にしてサークルを愚弄する気か!?」
河野は俺の胸倉を掴まんばかりの勢いで肉薄してきた。後ろからは、青ざめた幹部二人も追うように登ってくる。
「今すぐ降りろ! 警察を呼ぶぞ!」
観客席の笑いが収まり、殺気立ったステージ上の空気にざわめきが広がっていく。
俺は慌てることなく、パネルを素早く折りたたんで足元に置く。
「おや、河野代表。そう怒らないでください。私はただ、彼女の誇りを守りたかっただけですよ」
「黙れ! お前のくだらないハッタリに付き合う気はない! 全員、こいつを降ろせ!」
幹部たちが俺を取り囲もうとした、その瞬間。
「……代表。そんなに慌てて、何を恐れているんですか?」
俺は音もなく、右手の指先から一巻のトランプを取り出した。
「せっかくです。……一つ、ゲームをしませんか?」
俺は声を落とし、河野だけに聞こえる低音でささやいた。
「一年前のあの夜、部室で何が行われていたか。……このカードの扱いに賭けて、客席の皆様の前で白黒つけようじゃありませんか」
河野の目が、冷酷な光を帯びて細められた。
「……後悔するぞ」
冷笑を浮かべ、ステージの中央へと歩み出た。




