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方針固めと確認

自室に戻るとマリーナがすかさずワゴンを押して入室してきた。

お帰りなさいませ、と綺麗に入り口の前でお辞儀をした後、テーブルの上に手際よく茶器を並べ始め。ふと、私の背後に目をやり、ルダートの存在に気づいたようだった。


「あら、ルダート。居たのですか」


表情が動かない様子から、特に驚いているようには見えない。だが、身内に再会したとは思えぬ程平坦な声音と態度だ。


「しばらく会わない内に随分と影が薄くなりましたね、これも貴族社会から離れてしまった弊害でしょうか」


紅茶が渋くならないようにだろう。作業の手を止めることなく、マリーナは甥に対してもビジネスマナーの手本のように淡々と声を掛けた。


「修行の成果が発露されてしまったようですね。ご無沙汰しております、マリーナ様。この度は数々の取り計らい、誠にありがとうございました。きっとご期待に沿えるよう精進して参ります」


ルダートといえば変わらず私の後ろで微笑したまま、飄々と返している。

相変わらず軽口を叩いているだけなのか、真面目なものなのか判断のつかない受け答えである。


「頼みましたよ。モーニカのためにも、私達で殿下をもり立てていかなくてはなりません。そして殿下の王族としての資質、慧眼、深謀を不届き者達に(あまね)理解(・・)させなければなりません」


「なるほど、マリーナ様はそのようにお考えなのですね」


「ルダートは違うのですか?」


「そうですね、どちらかというとあまりひけらかしたくはありません。しばらくは知る人ぞ知る、くらいに留めたいと考えております」


「殿下のお命をお守りするためですか」


「それもありますが、秘密裏に敵を陥れるためでもあります。やはり油断しているところを狙うのが一番手間が少なく済みますので」


「ある一定数まで減らしてから、というのは確かに理にかなっていますね」


本人の意向確認とか、今後あるのだろうか。

2人で共通認識でもあるのか、何故か頷きあっている様子に、軽く疎外感を覚える。

とりあえずテーブル前のソファーに座ると、背もたれに身を任せた。ちょっと足がつかないためにブラブラさせることになったが、仕方ない。

本来なら浅く座って背もたれを使わないのがマナーなので、足が床に着かないのは私が無作法をしているせいなのである。

納得はいかないが、理屈ではそうなので文句を言ってはいけない。今はまだ。

それに私はいずれカザランドを越えるくらい高身長になる予定なので、ソファーが低すぎて足の長さを持て余す日がくるはずである。

だから一時的な不便にも目を瞑ることにする。


「殿下、聞いておられますか?」


マリーナの声ではっと我に返った。

余所事を考えている内に、目の前に湯気のたつティーカップが置かれ、テーブルの中央にはクッキーの載った円皿、手前には白を基調とした小さめの取り皿がセットされていた。

とりあえず浅く座り直し、紅茶を手にとると一口飲む。

思ったより喉が渇いていたようで、いれたてで熱いはずだが、それも気にならないくらい私の喉が喜んでいた。

口の中いっぱいに拡がる紅茶の香りが鼻から抜け、ホッと息をついた。


「美味しいよ、マリーナ。いつもありがとう」


ニッコリ微笑み返したはずなのに、侍女と侍従からの笑顔になんとなく圧を感じて、安心出来ない類いのもののように直感した。

聞いていなかったのがバレている。


「只今、殿下の修学状況についてマリーナ様と確認を取り合っておりましたが、殿下から何か付け足すことはございますか?」


「修学状況か?私が家庭教師から課せられてしていることといえば、文字の練習くらいだが」


「マリーナ様からもそれは伺っております。そのお歳で文字の練習をさせられているということは、もしやとは思いますが何か障害を抱えておられる、ということでしょうか?」


ルダートが危惧しているのは発達性読字障害のことだろう。

まぁ、私の風評として伝え聞いている状態として、紐付けるのは当然の帰結だろう。

私と話しをすれば知的な遅れはないことは解るはずだ、しかし文字を読むことや書くことに対して困難があるとされているなら、何か問題を抱えていると考えるのが自然だ。


「いや、そんなことはない。ちゃんと認識できているし、読めるし書けるぞ。ただ、字が汚いらしいからな。王族としてふさわしい、威厳ある流麗な字が書けるようにならないといけないから、それをマスターするまでは勉強どころではない、と言われている」


「は?」


「心配いらない、それももうすぐ終わるぞ。真面目に練習したからな、右手でも左手と同じくらいの見苦しくない字が書けるようになってきたところだ」


紙とペンを持て、と指示するとすぐさまルダートは私の要望を叶えてくれた。

左手と右手で字を書いて見せ、練習の成果をアピールする。

大分右手も使いこなせるようになってきたと自負している私の顔は、きっと得意げになっていることだろう。

手前味噌だが、私の字は大人に引けを取らない出来になっているはずだ。それが左右ともにだ。是非褒め称えてくれて構わない。

しかし私の期待した反応は2人からは得られなかった。

私の字を無言で見つめること数十秒、2人揃って険しい顔で寒々とした空気を漂わせる様は確かな血の繋がりを感じさせた。


「……頭が痛いのですが。昨今の王族に対する教育はどうなっているのですか?」


王太子は字もまともに書けない。

だから、勉強も次の段階に進めない。

家庭教師はそう声高に嘆いているらしい。

まぁ、知ってた。というか、面と向かって言われた。


「では、教科書はどこにあります?次に学ぶ分野や学習の指針は提示されていますか?」


「そんなものはないな。私が教科書を持っても破損したり失くしたりするリスクがあるから、貴重なものなので私自身には預けられないそうなんだ。学習の意欲があれば、自身で書斎で調べものをするものだし、教科書は授業の瞬間以外は必要ないものらしい」


「不敬極まりないですね。斬首に致しましょう」


マリーナが冴えざえとした凄みのある笑みを浮かべ、どこかに行こうとするのを慌てて制して、手で元の場所に戻るよう指し示す。

いや、本当は2人にもソファーに座ってほしいんだけど、絶対同席しないから。

主と同じ席に座る使用人なんて居るわけがないのだ、身分が違うのだから。

主人に呼びつけられるまでは壁際直立待機が普通なのだ。

でも2人は自然と私の座るソファーの斜め前、テーブルの横辺りに並んで立ち、私の側に控える体勢をしている。

ここまでが2人の譲歩ということだろう。


「マリーナ、物騒なことは言わないでくれ。私だけの証言でそんなことになれば、私の悪評がさらに拡がってしまうじゃないか」


「なぜわたくしはお側を離れてしまったのでしょう、悔やまれてなりません」


マリーナがギリリと奥歯を噛み締めるのを初めて見た。

そんなに悔しかったのだろうか。

でもマリーナ、家庭教師の授業に侍女が同席なんてムリな話しだし、ましてや万年人手不足のトリスタンテ宮殿では、マリーナの仕事量が殺人的なのだ。

宮殿の主が立場に相応しい振る舞いをしない分、全ての采配は代わりにマリーナが担ってくれている。

お祖父様は大まかな指示は出しているだろうし、そちらの手の者も紛れ込んではいるが、私の身の回りを整えることや宮殿が正しく王子の住みかとして体裁を整えられるように助力などしてくれない。

つまり、今のトリスタンテ宮殿がまともに機能できているのは、全てマリーナのおかげなのである。

どうかこれ以上無茶をして過労で倒れないでほしい。


「トワイルズ卿はその時どちらに?」


「ドアの外で警護していたが」


「お側を離れていたのですか。入り口に控えるとしても、せめて室内に居るべきでは?」


「相手は強権派の教師だからな。護衛を常に片身離さず、みたいな真似をしていては、お前のことを信用していないぞと言っているようなものじゃないか。そんなことしたら警戒されてしまうし、あることないこと報告されてしまう」


あの教師は神経質でプライドが高かったので、自分が生徒と信頼関係が築けていないと見なされる要素は、勝手に自分の名誉が傷付けられたとか捉えかねない。

余計なことは言わないでおくに限る。

まぁ、以前の私は言いがかりみたいな説教を延々と聞かされるのが不快で、最終的に閉口していただけだが。


「これは、由々しき事態ですね」


「ええ、本当に。あなたが来たのですから、これからはもう少し殿下の周辺環境を整えることに尽力できそうです」


「不馴れなものですから、ご指導いただければ助かります。わたくしめはなるべく、我が主から離れないように致しますので」


お願いしますね。と険しい表情で目配せし終わった後、マリーナはしゃがんで私から紙を受け取ると、丁寧に折り畳んだ。

いや、2人とも。褒めてもくれないのか?あまりにも期待外れなんだが。

不満顔を見せてアピールしたが、伝わっていないのかそれとも流されているのか、話題は次に移ってしまった。


「それから殿下。先程宰相閣下から、お手紙が届きました。今確認されますか?」


「ふぅん、そろそろ来る頃かと思ってたけど。お小言かな。もらおう」


不機嫌さを引きずってお茶を飲み干すと、ルダートがさりげない動作で食器を下げた。

そしてマリーナは流れるような所作で、封蝋がついたままの封筒をトレーごと恭しく私の目の前に置く。

添えられていたペーパーナイフで開封し、一枚の便箋を取り出すと私は内容を斜め読みした。


「これ以上やらかすようなら、外出禁止とかも検討することになるってさ。謹慎処分か」


メンディエンズ公爵邸にアポ無し突撃したこととか、授業を自発的に自粛したりしてきた諸々のことを貴族的な言い回しで叱責されている。

大人しく従った方が良いな。直接苦言を呈しに来られても疲れる。


「短期間の内にお祖父様にご足労いただくことが続くようではよくないな。明日は久しぶりに授業に顔を出すとするか」


「承知しました」


「わたくしめもお供させていただきます、殿下」


「そうだな。それから、カザランドも連れていってあげよう」


やっと身辺が落ち着いてきたことだし、私も日常に復帰しなければ。

今日は濃密な1日だった。

別れと出会いを経験し、感情の振り幅も限界突破したのではないだろうか。


「さすがに疲れた。今日はもう休む」


暮れ始めた窓の外を眺めながら、まだ1日が終わっていなかったことに驚愕さえ覚えた。

あくびを噛み殺す私に、マリーナは役割をこなすために退室の挨拶をするとワゴンと共に出て行く。


あ、クッキー1枚も食べてなかった。

でもあんまり食べたいわけでもないしな。

再び背もたれに身を任せて足をブラブラしながらぼんやり思考していると、ルダートが私と目線を合わせてきて神妙に口を開いた。


「殿下、先程は失礼なことを申しましたこと、謝罪いたします」


失礼なこととは、どれのことだっただろうか。

あまりにもルダートが私にしてきた仕打ちが、一般的な貴族としては非常識だったことで、どれがその謝罪に該当する発言だったのか、すぐには導き出せない。

首を傾げる私に、ルダートは苦笑して見せる。


「ご自身の利益を考えて発言をしていただく、という点です。どうやら、環境と言葉の受け取り手が劣悪だとどうにもならない、という状況であったご様子ですね。マリーナ様がお仕えしている以上、最低限のラインは守られているかと思っていたのですが、どうやらわたくしめの想定が甘かったようです」


不意打ちだった。

思わず目を見開く私に、それから、と侍従は表情をより真摯なものにして言葉を続けた。


「先程拝見致しました殿下の字ですが、大変な努力に、感服致しました」


更なる衝撃に、私は何度も瞬きした。

今言うのか、それを。

もう終わっていたと思ったのに。


「なんで、もっと早く、さっき言ってくれなかったんだ」


ついついぶり返した不満が子供の駄々みたいに、ぶわりと溢れ出して手がつけられなくなる。


「自信あったのに、何の反応もしてくれないから、私が思うほど良くなかったんじゃないかって。ダメだったんだって、思ってしまったじゃないか」


(うつむ)きながら口を尖らせて、ボソボソと言い募ってしまう。

褒められて、ソワソワする。

でも一回放っておかれて落胆した分、腹の中がフツフツともする。


「それは、失礼致しました。しかしそんな訳はありません。わたくしめもマリーナ様も、殿下がお一人で頑張られていたことを知り、言葉を失っていただけでございます」


「では、私の字は上手だったか?」


「はい、勿論でございます。大人顔負けでございました」


「本当か?忖度(そんたく)していないか?」


「当然です、必要ありません」


ルダートは片膝をついてしゃがんだ姿勢から、右手を胸にあて礼の姿勢をとり、頭を垂れた。


「わたくしめは、殿下にお仕えできることを、大変誇りに思います」


「今日会ったばかりなのに、それは大袈裟ではないのか?」


ルダートのつむじを見ながら、憎まれ口を叩きたくなる。


「おそらく殿下のことですから、わたくしめのこの思いを無駄にはなさいませんでしょう。わたくしめが忠誠を捧げるに足る振る舞いと在り方を示してくださると、確信しております」


なんだか前世で言うところの、トイレの貼り紙みたいだ。

綺麗に使ってくださりありがとうございます、と先に書いておいて、そういう行動を相手に求めてくるやつ。

無言の圧力と過剰な期待を感じる。


「善処する」


でも褒められて悪い気のしない私は、余計なことは言わずただ頷くだけに留めたのだった。



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