4.城下町へ抜け出したい
王子は9歳になったが、相変わらず扱いは難しい。衿取りという遊びは気に入ってくれたので、それで何とかなっている。
眠る王子に膝を貸しながら、琳華は思う。
(この方が、よく分からない)
すごくわがままだ。服装も相変わらずへんちくりん。しかし、時に鋭いことを言うし、武芸の勘も悪くない。しかも顔立ちだけをよく見れば、品がよく可愛らしい。
(もうちょっとだけ、ちゃんとすればいいのに)
そうすれば、王子としてどこへ出しても恥ずかしくない人物になれるだろう。
(そろそろ大丈夫かな)
王子はぐっすり眠っている。
頭をそっと枕に戻そうとしたら――王子の目がパチッと開いた。
「慧さま……!すみません、起こしてしまいましたか?」
「ううん。そもそも、寝たふりをしていただけだから」
そう言って、慧はむくりと起きた。
「もう母上は出ていった?」
唐突な質問に戸惑いながら、琳華は思い出す。たぶん、屋敷を出ていく物音がしたと思う。
「はい、おそらく」
「じゃあ、抜け出そう」
「ええ?ど、どういう……」
王子はにやりと笑う。
最高のいたずらを考えているときの顔だ。
(嫌な予感がする)
「今日、母上は夜半まで帰ってこない」
「そうなのですか?」
「今日は、父上に呼ばれていった。父上に呼ばれたときは、いつもそうだ。いろいろ相談事があるらしい」
と、少し威張って言う。母が重用されているのが誇らしいのだろう。
王子が気安く言う父上というのは、主上だ。琳華の身分では、そのお姿を見ることすらかなわない。
「なるほど。主上から直接相談を。それはすごいです」
「母上は帰ってこない。だから、宮を抜け出す。そして、遊ぶ!!」
琳華は頭がくらくらした。どうしたら、そんな思考回路になるのか。
「抜け出すって、どこへ行かれるのです?」
「今までいろいろ行ったけど、今日はまだ行ったことのない、城下町に行きたいと思っている」
「ここから、城下町へ――」
一年前、城下町を通って、この後宮まで来た道筋を思い出してみる。暗い中、案内もなくあの城下町まで行くのは、自分たちには難しいように思えた。
「慧さまは、何か算段があるのですか?」
「ある。もうだいたい調べはついているんだ。琳華はついてこれば大丈夫だから」
――いや、大丈夫ではなかろう。
「それって……バレたらめちゃくちゃ怒られませんか?」
「うん。めちゃくちゃ怒られる。でも行きたい気持ちは抑えきれない」
「ものすごく気が進みませんが……お供いたします」
一緒に行くしかないだろう。まさか9歳の少年を一人では行かせられない。
◆
「これは、算段に入っていましたか?」
琳華の質問に、王子は首を横に振る。
二人は、すっかり迷ってしまっていた。
王子の言うとおりに宮を抜け出し、塀の隙間をすり抜けた。そこまでは良かった。
そのあとは、真っ暗な藪をひたすら歩いた。その藪がだんだん深くなり、ついには林になった。周りの木々は黒々とそびえたち、今にも覆いかぶさってきそうだ。
眼下には、たしかに城下町の明かりが見える。しかし、あまりにも遠い。
暗いし怖い。
夜の林というのは、こんなにも恐ろしいのか。
王子の手をぎゅっと握る。彼も握り返してきた。
どこかで鳥が鳴いている。ざわざわと木々を揺らすのは、何だろう。生き物か風か、あるいはどちらでもないのか。
(どうしよう)
泣きたくなってきた。
もう一歩も歩きたくない。今すぐ泣きわめいて、助けを呼びたい。
「ごめん、琳華」
ついに、慧が泣き始めた。それを見ると、泣くわけにはいかないと、無理やり涙を引っ込める。
「慧さま。今日は、来た道を戻りましょう」
そう提案しながら後ろを振り返るが、そもそも来た道なんて分からない。それでも、見当をつけて戻り始める。
慧はもう何も言わない。ただ、ひくひくと泣きながら、琳華に手を引かれている。
(最初にすり抜けた塀まで行ければ)
そう考え、重い足を進めるが、まったく同じような景色ばかりで、近づいているのか遠ざかっているのかさえ分からない。
「痛っ!」
足に何かが刺さった。木の枝か。
それでもう、だめだった。
ついに琳華は座り込んだ。
(泣いちゃだめだ、泣いちゃ)
そう思っても、じわっと涙が出てくる。せめて慧に見られないように顔を伏せるが、嗚咽がこらえきれない。
「ごめん、琳華……俺が悪かった、俺が……」
慧も限界だったのだろう。もうはばからずに泣き始める。その頭を抱いて、琳華もわあわあ泣き始めた。
◆
手をつないで眠る二人が発見されたのは、朝になってからだった。
空が白んでみれば、二人が歩いた距離はたいしたものではなかった。あと少し歩けば、塀までたどり着けていた。
その日は二人でそろって恐ろしい説教を受け、そのあと二人でそろって抱きしめられ、二人でそろってご飯を食べた。
その夜。慧はいつものように琳華の膝を枕にしていた。そうして、琳華の顔を覗き込むように仰向けになる。
「琳華。俺、諦めてないから。全然諦めてないから。絶対、琳華と城下町へ遊びに行く」
と、慧は琳華の手を握りしめる。
「ええ。一緒に行きましょう」
「バレたとき、一緒に怒られてくれる?」
「もちろん、琳華も一緒に怒られますよ。おやすみなさいませ、慧さま」
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