31.思いつめすぎていたのかもしれない
翌日、暁はやたら琳華に話しかけてきた。今までも話しかけてきたのだが、今日はその比ではない。
執務室にこもる目的は、事務仕事を片付けるためだ。なのに次から次へと話しかけられるからたまらない。
とても失礼なことをしてしまったのになぜ、と琳華は思うが、彼はまったく気にした様子がない。
「また俺の部屋に来てよ。琳華ちゃんなら大歓迎だよ。書物も貸してあげるし」
琳華は苦笑するにとどめる。
「あ、勘違いしてる?そういう意味じゃないよ。そういう相手は他にいるし。そうじゃなくて、学問の話をしたいんだ。いままで、学問の話ができる女の子、いなかったからさー」
「本当ですか?」
「本当、本当。なんなら俺の手足を縛ってくれてもいいから」
それには琳華も吹き出してしまう。
「では、機会がありましたら」
琳華にとっても、いままで哲学や論理学の話をできる相手がいなかったから、とても楽しいひとときだった。借りた本も、自分では思い至らなかった深い論考が繰り広げられていて、とても面白かった。
(また、本を借りに行ってみようか)
◆
仕事も終わり琳華が帰ろうとしたところに、亀を抱いた慧が後ろから追いかけてきた。
「追いつけて良かった!さっき、聞いちゃったんだけど……」
彼は息を切らしている。
「何をですか?」
「さっき、執務室で兄上と話してたよね。また俺の部屋に来てよって――」
ああ、確かに。
琳華はうなずいた。
「ってことは、兄上の部屋に行ったの?」
「ええ、昨夜」
行ったは行ったが、結局なんの覚悟もできず、ほうほうの体で帰ってきただけだ。
「行ったんだ……そ、そこで何を――」
「お酒を少しいただいて、あとは学問の談義を。その後――」
「その後?」
恐ろしいものを聞くかのようにごくりと唾をのむ彼を見て、琳華は表情を緩める。
「本を借りて帰りました。それだけです」
「そ、そっか。それだけ」
慧は明らかにほっとしていた。
「ええ。俊足くんに感謝です」
と、慧が抱いている亀の頭をなでる。
慧は首をかしげたが、詳しく説明することもあるまい。
「琳華。俺がどうこう言うことじゃないかもしれないけど、琳華には、自分のことを大事にしてほしい」
「かしこまりました、殿下」
(確かに、自暴自棄になるのは、違ったな)
――琳華は少し考えすぎるときがあるよね。考えるのはいいことだけど、あんまり思いつめないほうがいいよ。
お方さまの言葉を思い出す。
(少し、思いつめすぎていたのかもしれない)
「殿下。今日この後、お時間ありますか?」
「あるよ」
「では、俊足くんを歩かせながら、朝廷の出口までゆっくり帰りませんか?俊足くんの鍛錬も兼ねて」
「いいね」
慧は俊足を地面に下ろす。亀はゆっくりと歩みを進める。それに合わせて二人も歩いた。
「殿下は側室をとられるのですか?」
「え?」
「すみません。ちょっと聞こえてしまったので。兵部軍務司長殿から、打診されていましたよね」
「ああ、あれ。うん――大叔父さま、あ、司長殿は俺の大叔父なんだけど、貴族の家に臣籍降下したんだよ。で、大叔父さまは、その貴族の親戚を、側室にどうかって……。大叔父さまは穏やかそうに見えて、結構押しが強くてさー。話長いし。断るのに苦労したよ」
(断ったのか……)
俊足が一歩をゆっくりと踏み出す。
「確かに、あの方はお話が長いですね」
琳華はくすりと笑う。いつだったか、手を取られてとくとくと、殿下を普通にしてくれてありがとう、と感謝の気持ちを伝えられた。
「そう。本当に長い。妙に熱意があるから、暑苦しいんだよねー」
「でも、断って大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫。他にも王子はいるから。別に俺じゃなくても」
カラッと笑う慧が、妙にまぶしい。
俊足がまた一歩、踏み出した。
(やっぱり私は、少し思いつめすぎていたのかもしれない)
◆
琳華は久しぶりに、兵部の警護へ就いた。
(懐かしい気分だな)
亀が平和に散歩している。
(最近は、執務室で仕事をしたり、ほかの部署の見回りをしていたからな)
兵部には、慧の姿もある。もう下っ端ではなく、何人かに話をしたり、指示を出したりしている。
すると、桃が近づいてきた。
「郎将殿。ご苦労様です」
「ご苦労様」
「あの、この前の央国の要人警護ですけど」
桃も、女性警護に入っていた。武官の女性は少ないから、ほぼすべての女性が、女性警護部を兼任している状態だ。
「うん……」
苦い記憶がよみがえる。自分が至らず、部下には嫌な思いをさせてしまった。
(何を言われるんだろう)
どんな罵倒を浴びても、言い訳などできない。
「日中の警護が終わった後、上官が来て、女の子借りるねーみたいにぬかしあそばしたじゃないですか」
「うん」
やはりその話か。手をきゅっと握りしめ、次の言葉を待つ。
「あの時みんな、もうなんとなく分かってたんですよね。ああやって曖昧な指示で、こっちが気を利かして、進んで給仕係をしなきゃならない空気だなーって」
「そうだったんだ」
「あの上官、なんか空気察してよみたいな感じで、もごもご言っていましたよね」
「うん」
あまりに歯切れが悪いから、いらいらしたものだ。
「で、郎将殿、めっちゃ大きい声で怒鳴りつけたじゃないですか。『つまり貴殿は、我々に侍女のまねごとをせよと!?』って」
「うん、言ったねえ……」
上官に対して、かなりギリギリの言い方だっただろう。しかしあの場では、そのくらいに腹が立っていたのだ。
「あれ、すごくスカッとしたんですよ」
「えっ?」
「郎将殿、全っ然空気読まずに、あの上官のじと~っとした要求を、はっきりと言語化してくれて。あれ、めっちゃ良かったんですよ。郎将殿に睨まれた上官、めちゃくちゃビビッてましたし」
「そうだったんだ……」
結果的には何も変えることはできなかった。どちらにせよ、警護で集めた者たちを給仕係に回してしまったのだから。
「そのあとも、ちゃんと反論してくれて。盾になってくれてる感、めっちゃ頼もしかったです。ほんと、郎将殿の空気の読まなさ、最高でした」
「そういう風にとらえてくれる人もいるんだね。ありがとう」
ふっと琳華は笑う。
少しだけ、救われた気がした。
「郎将殿。もっと偉くなってください」
「えっ……」
すでに、分不相応の立場にいると思っている。これ以上は難しいだろう。
「郎将殿ならいけます。武門の出だし、仕事できるし。――偉くなって、最終的にはああいうくそったれをぶん殴ってほしいです」
「はは……。それは、スカッとしそうだね」
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