29.仕事、好きなのに
「琳華ちゃーん、お酒こっちこっち」
父の部下15人を自宅に招いての宴会が始まった。お酒を注いでまわる使用人はいるが、なぜか琳華も呼ばれる。
「はい。お待たせしました」
「琳華ちゃん、まだ結婚してないのー?」
と、男が言う。
「なかなか良き殿御に出会えなくて」
「琳華ちゃん美人だし、すぐ見つかるよ」
「ふふ。私は理想が高いのです。細やかな神経の方でないと」
「俺、立候補しようと思ったのに、無理じゃんー!」
それで周りが爆笑する。
(この方は、あまり細やかではない。一緒に笑っている方々も、おそらく同じ気質)
「琳華ちゃーん、こっちにもお願い」
失礼しますね、と彼らに告げ、呼ばれたほうへ向かう。
(思っていたのと違うな)
もう少し、落ち着いて話ができると思っていた。しかし、あちこちに呼ばれてしまう。
「ありがと。琳華ちゃん。可愛い子に注がれるとおいしいからさー」
それはどうも、と答える。
「琳華ちゃん、まだ相手がいないなら、今度うちの兄を紹介してあげるよ。ちょっと年上だけど、悪い人じゃないよ」
「ありがとうございます。お兄さまは今、どのようなことをされているんですか?」
「北方で、炭鉱経営をやってるよ」
「すごいですね」
横の男が、すでにとろんとした目で、迫ってくる。
「琳華ちゃん……可愛いね。めちゃくちゃタイプだわ。この後俺とどう?」
「おい、そこ!うちの娘を口説くな!」
という父の一言で、全体がどっと盛り上がる。
(なんか、疲れてきたな)
人間関係を見るのは楽しい。情報を聞き出すのも悪くない。しかし――。
(思っていたより、品がないな……)
禁軍の行軍を見たことがあるが、それはそれは粛然としたものだった。それがまさか、こんなにやかましい人たちで構成されているとは思ってもみなかった。
向かいの男に酒を注ぎながら、質問をしてみる。
「ご出身はどちらですか?」
「西のほうだよ」
「まあ……!とても風光明媚なところと聞いています。住みよいところで、心優しき方が多いとか」
「よく知ってんじゃんー!俺、優しいよー。どんだけ優しいか、試してみる?」
お前が優しいわけないだろー!とまた笑いが起きる。
(はあ……)
どうして、自分に男をあてがおうとしてくるのだろう。放っておいてくれればいいのに。悪気がなさそうだからたちが悪い。
(ちょっと疲れたな)
早く自室に戻って、この品のない男たちから得られたデータをまとめたい。しかし、それが許される雰囲気でもなさそうだ。
父のほうをちらっと見てみる。父もこちらを見ていた。すまん、と目だけで伝えてくる。
琳華はふっと笑い、次の席へと向かった。
宴会は、夜半まで続いた。
◆
宴会が終わってすぐ、琳華は自室の卓へと向かった。
(今日の人たちのことを、忘れないように書き付けておかないと)
性格、相性、出身地や兄弟関係。覚えている限りを書き付ける。
(疲れたな……)
夜半まで、あちこち引きずり回された疲れではなかった。なんとなく、心のどこかが削れた気がする。
卓の上の、小さな亀の置物を見やる。緑色の玉でできたそれは、明かりを反射して複雑な模様を描いている。
無性に、慧の屋敷が懐かしかった。慧と亀との穏やかな暮らし。
(あとこれを五回か)
安請け合いしてしまったことを、少し後悔した。
◆
「琳華。疲れてないか?」
そう父が言ったのは、4回目の宴会が終わった次の朝だった。
「少し寝不足ですが、大丈夫です、父上」
「うん……。琳華、大変だったらもう次からは顔を出さなくていい。わしは、ちょっと後悔している。お前を巻き込んでしまったこと」
「お気になさらないでください。それに、私結構楽しんでいますよ。皆さんのお話を聞いて、まとめるの」
そう言って、琳華は微笑んだ。
「今日は、央国から使節団が来るだろう。警護はお前が担当するんだろ?」
「ええ。女性警護部の郎将としては、初めての仕事です」
「しっかりな」
「ありがとうございます」
自分の仕事を覚えてくれていて嬉しい。やはり、父のことは大好きだ。宴会は大変だが、父の力になりたい。琳華はそう思った。
◆
央国からの使節団の警護。日中の仕事を問題なく終えてほっとしているところに、上官から声をかけられた。
「はい。なんでしょう」
「このあと、央国から来た人たちの接待があるんだけどさー」
使節団の要人は、王の歓待を受けている。その人たちではなく、連れてきた役人たちとの接待らしい。
「ちょっと女の子を何人か借りたいんだけど」
「どういう意味ですか?」
少し言いづらそうにもごもごしている上官の言葉を何度か聞き取り、やっとのことで理解した琳華は、ひときわ大きな声を出した。
「つまり貴殿は、我々に侍女のまねごとをせよと!?」
「いやいやいや、そういう大げさなものじゃなくて。ちょちょっと女の子にお酒を注いでもらったらさー、あっちもご機嫌になるから。ほら、みんな可愛いから、向こうも喜ぶと思うんだけどなぁ」
琳華は一歩前へ出て、目の前の小男を思いきり睨みつける。
どいつもこいつも、可愛い可愛いと雑に褒めれば、のぼせ上って意のままになると思っている。くそくらえだ。
出そうになった舌打ちを何とかこらえ、琳華は口を開いた。
「私たちは、警護としてここにいますが」
引き続き、要人の警護をしなくてはならない。
「まーまー、いいじゃん。そんな怒んないでよー。せっかく可愛いのに、怒っちゃうと、ここにしわができちゃうよー」
へらへらと、小男は眉間を指さす。琳華は相手を睨みつけたまま、少し顎を上げ、目を細めた。
「こちらから接待に何人か出してしまうと、要人の警護が手薄になります」
「警護の人数ならさ、借りた女の子の分、男性護衛のほうから補填するから」
「男性護衛をこちらに回すほど余裕がおありなら、その方々が、接待のお手伝いをなさればいいのでは?」
「それはちょっと……男はむさくるしくてさー。やっぱ、可愛い女の子のほうが……ねえ。ほら、君も分かるでしょ?」
琳華は息を吸い込んだ。それを、ぎりぎり溜息と分からないように、ゆっくりと吐く。
「……かしこまりました。では、今回だけ」
琳華は部下に指示を出し、数人を行かせた。自分も行きたいが、責任者としてこちらに残らなければならない。
「じゃあ、よろしくね」
彼女らも、何かを飲み込んだのだろう。少しだけ微笑んで、会釈をした。誰も、自分が彼女らを守り切れなかったことを責めない。それが切ない。
◆
(疲れた……)
気の抜けない一日が、やっと終わった。琳華は寝台に倒れこんだ。
(ごめんね、ふがいない上官で)
給仕を命じられた彼女らの微笑みが、忘れられない。
偉くなったら、自由になれるのだと思っていた。少なくとも、下っ端だった頃の自分には、そう見えていた。下っ端は、上から命令されてそれに従うだけ。けれど上の立場になれば、自分で判断し、指示を出す。
(なのに)
蜘蛛の巣に絡めとられたようだ。もがけばもがくほど、自分を縛る糸は複雑に絡み合っていく。
(頑張って、成果を出して、出世して、手ごたえを得る)
単純だと思っていた仕事は、まったく意のままにならない。
(お方さまだったらこういうとき、どうするんだろう)
――会いたいな。
(会って、話をして――思い切り甘えて、泣きたい)
琳華は窓越しの空を眺める。そこには、自分の心と同じ、墨を流し込んだような闇が広がっていた。
◆
5回目の宴会が終わり、琳華は自室の卓に向かっていた。
(忘れないように、書き留めておかないと)
今日、隣り合っていたこの人たちは、たぶん組み合わせないほうがいい。この人は、案外細やかな性格なので、豪快な人とは合わない。
そんなことを書き連ねていく。
(私の向かいの人は、なんて言ってたっけ?)
宴会の反芻をしようとすると、別の声が聞こえてくる。
――せっかく可愛いんだから、もっと遊べばいいのに
――えー、もったいない!じゃあおじさんとこに来るぅ?
――女の子だったら、女の子の喜びってのがあるんじゃない?
――仕事ばっかりしていて、おばさんになっちゃったら、貰い手なくなるよー。
紙にじわりと水染みが現れる。
(あれ?)
(私、なんで)
ぽたり。また、水染みが。
(止めないと。紙がだめになっちゃう)
仕事、楽しいのに。
父上の手伝いができて、うれしいのに。
ただ、自分が決めたことを貫きたいだけなのに。
琳華は、紙の水染みを、別の紙を当てて吸い取った。
◆
最後の宴会で、それは起こった。
「これ、かわいいじゃん。男からもらったのー?」
そう言って、一人の男が、琳華の瑪瑙の帯飾りをつかんだ。反射的に身を引こうとして、ひもが引っ張られる。
「あっ……」
ひもが切れ、瑪瑙が散らばった。
「ご、ごめんね、琳華ちゃん」
男が謝ってくれる。
「いえ、私がびっくりして、動いてしまったので」
そう言いながら、琳華は散らばった瑪瑙を拾い始めた。頭がガンガンして、何も考えられない。手が機械的に動いて、瑪瑙を集めている。自分の手が、自分のものではないみたいだ。
「今日はちょっと失礼しますね」
口が勝手にしゃべっている。表情は笑顔を取り繕っている。全部、自分の意志じゃないのに。
琳華は拾い集めた瑪瑙を持って、自室へと逃げ込んだ。
扉を閉めた瞬間、琳華は崩れ落ちた。涙が止まらない。
(帯飾りが)
(直せるかな)
(今日の人たちのこともまとめないと)
(途中で抜け出してしまった)
(慧さまがくれたのに)
(嬉しかったのに)
(宴会に戻ったほうがいいかな)
(針と糸はどこにあったっけ?)
(大切にするって言ったのに)
頭の中はぐちゃぐちゃだ。
琳華はふらりと立ち上がり、卓へと向かう。そして、今日の人たちの記録を書き始めた。
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