25.何の心配もない
「琳華。引継ぎはいつになりそう?」
帰り道、あっけらかんと慧が言う。
この王子は、七試のすべてに合格した。任務内容であった、武芸の初級試験合格、勤務態度の改善、そして七試突破。すべてを満たしたことになる。
あと何日かで、琳華は王子の護衛の任を解かれ、近衛の郎将へと昇進する。
「おそらく、10日以内くらいには」
王子の次の護衛と近侍は、数日の間には決まるだろう。その後、数日をかけて引き継ぎをおこない、自分は屋敷から去る。
「そっか」
慧が何を考えているのか、琳華には分からない。もう少しうろたえるのかと思っていたが、あっさりとしている。
(昇進だ、昇進。郎将なんて、私の年でそう簡単になれるものではない)
目標を達成し、昇進。武人の誉れだ。
いくら自分に言い聞かせても、あまり喜ばしい気分になれない。
(なんて未練がましい)
(仕事のことだけ、考えよう)
後ろからざっと足音がした。
振り返ると――男が二人立っていた。その剣呑な雰囲気から、賊であることが分かる。
「慧さま」
琳華はすぐに、王子を手でかばい、後ろへ下がらせる。
この付近の地図を、脳内に描く。この辺りはひとけがすくない。屋敷に逃げ込むには遠い。朝廷へ引き返すには、男たちが邪魔だ。右に曲がって裏路地へ行けば、壁を背にして戦える。
「うん。裏路地のほうへ行こうか。右だ」
同じ考えだった。
琳華はうなずき、先に主人を行かせる。慧は一瞬渋ったが、自分の立場を理解しているのか、従った。
賊が追ってくる。
(撒ければそれが一番だけど――)
さすがに彼らは、それを許してはくれない。
裏路地の行き止まりに着いた。賊のほうへ向き直り、棒を構える。後ろで金属音がして、慧が剣を抜いたのが分かった。
(どのくらいの実力なんだろう)
相手は二人。一人は剣を持ち、もう一人は槍だ。自分一人で制しきれるか。
(剣は――何とかなるだろう。問題は、槍)
槍との戦闘経験はほとんどない。
(棒に似てるけど――かなり長い)
(二対一より、二対二のほうが確実か)
警護対象である慧を前に出すか、迷うところだ。
「琳華。俺、剣のほうやろうか?」
「……お願いします」
危なそうだったら、加勢すればいい。どのみち自分がやられたら、慧だって危ないのだ。
(最悪な展開は、慧さまだけがやられる事態。それだけは絶対に阻止しないと)
◆
(実戦は、初めてだな)
慧は、目の前の男を観察する。
構えからは隙が見られない。かといって、寒気がするほどの達人、というわけでもなさそうだ。
訓練は積んだ。真剣での練習も経験している。しかし、自分を殺すつもりで来ている賊との戦闘は初めてだ。
(なんとなく、いけそうな気がするんだよな)
妙に心が落ち着いている。琳華のほうをちらりと見てみる。すでに戦闘が始まっている。長い得物の邪魔にならないように、少しずつ距離をとる。
一歩、賊に近づいてみる。男は一歩引いた。
(うん、いける)
その重心の動きで分かる。自分より強い人――指導教官や母上、琳華ほどの実力はない。
素早く一歩踏み込み、剣を振り下ろす。一合、二合、剣を合わせるが、やはりそこまでの迫力は感じない。
(さて、どうしよう)
殺してしまうのはまずい気がする。致命傷を与えないようにしつつ、制圧――。
(まずは、武器を飛ばそう)
それから、蹴り飛ばすか、投げ飛ばすか。その場の雰囲気で決めればいい。
男は少し焦っているようだった。無理な間合いで突っ込んでくる。
(だめだよ、そんなに焦っちゃ)
ちょうどいい角度で剣が来る。
(あ、いけそう)
鍔に引っかかるように、剣を振り払う。相手の剣はきれいな放物線を描き、あるかなしかの光を反射しながら壁に当たって落ちていく。
男は信じられないという目で、自分の手を見ている。
(あらら。びっくりしてる)
自分も剣を収め、無造作に間合いを詰める。
(衿を取って、ぶん投げる)
母や琳華の衿よりずいぶんと簡単に取れた。袖を引き、足をすくい、そのまま投げを打つ。
しりもちをついた男の衿を締め、気絶させる。
(これで、大丈夫かな)
白目をむいている男を横目に、琳華のほうを見る。まだ戦闘中だが、琳華が押しているように見える。琳華がこちらを向いた。そして、目だけで合図をする。
琳華はすぐに、目の前の敵に集中しはじめた。
彼女は何回か打ち合って、最後に敵のみぞおちを正確に突き、倒した。
「慧さま。お見事です」
そう言って、護衛はにっこりとした。
(そっか。ずっと俺のほうを気にしてたから、集中できていなかったんだ)
今さら、震えが上ってきた。
(良かった、勝てて――)
自分が危なくなって、琳華の気を散らすこともなく。琳華の命が脅かされることもなく。
「さあ、縛り上げて、治安部に引き渡しましょう」
縄を渡されたので、剣の男を縛る。
慧は、大きく息を吐いた。
(思ったより、緊張しないものだな)
指導教官は、初めての実戦はとても恐ろしいものだと言っていた。実力の半分も出せないはずだ、とも。他の者も、揃ってそう言う。
(でも――)
意外と冷静に対処できたと思う。所詮、衿取りの延長だ。
(意外と、いけるのかも)
◆
琳華は槍の男と戦っている間、ちらちらと慧のほうを見ていた。
(慧さまは、とても冷静だった)
あの、寝所で女官に襲われた時とは大違いだ。
体の動きはいつもと変わらない。気負いも緊張も感じられず、かといって過度な驕りもなく、淡々と戦っていた。
(良かった)
木刀での練習でも、あまり気負いを感じられなかった。武芸の練習が、彼に自信をつけたのであろう。
賊を縛り上げ、琳華はやっと一安心した。
(私がたきつけた)
寝所で女官に襲われたとき。
お父上や兄上のように、もっと強くなれ、と。
それが実を結んだ。
(大丈夫だ。これだけ強ければ)
そこらの暗殺者にはやられまい。自分の後、どのような護衛がつくのかは分からないが、彼自身にこれだけの実力があれば大丈夫だ。
(これで、なんの心配もない。良かったじゃないか、琳華)
自分にそう言い聞かせているのが、滑稽だ。目の前の王子は、七試に合格し、武芸も達者になった。思った以上の成果だ。これ以上、何を望む。
「琳華!血が――」
慧の声に、琳華は顔を上げる。
「ああ、これですか」
琳華は少し笑った。
頬と腕を、何か所かやられた。相手は槍だということをつい忘れ、棒を相手にしているかのようにぎりぎりでかわしてしまった。その結果がこれだ。
「全部かすり傷です。すみません、お見苦しくて」
袖でぐいっと血をふき取る。
「だめだよ、それじゃ。もっときれいな布で拭き取らないと」
慧は懐から手ぬぐいを出し、遠慮がちに傷をぬぐってくれる。その手つきがあまりに優しく彼らしかったから、琳華はされるがまま慧にゆだねた。
「ごめん、琳華。怪我させちゃって」
「慧さま、ご自分をお責めになってはいけない。私を傷つけたのは賊なのですから、責めを負うべきは賊です。」
「うん……。それは分かるんだけど、でも気が済まないから謝らせて」
「はい。慧さま」
なんとなく、その癖のある髪に触れたくなって手を伸ばす。髪を梳いてやると、彼は甘えるように首を傾ぐ。
「慧さま。琳華はもう、何も心配していません。とても、お強く、ご立派になられましたね」
「うん……」
嫌がられなかったので、琳華は髪をなで続けた。
(もう彼に、自分は必要ない。そうしたのは、私だ――)
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