23.出世の第一歩
職務を終えた琳華が帰ろうとすると、桃に呼び止められた。
「都尉殿。ちょっと話を聞いてもらえますか?」
「うん、なに?」
「えーっと、ここではちょっと……」
桃は周りをきょろきょろしながら言う。
「分かったよ。どこかで食事しながら話をしようか」
「お願いします!」
「ちょっと待って。慧殿下に言ってくるから」
琳華は慧に、一緒に帰れない旨を伝え、桃とともに食事へと向かった。
◆
「もぉ~!あのおっさんがむかついてしょうがなくてぇ~!」
桃がおっさんと言っているのは、桃の指導を任せている校尉だ。
彼女の酒癖は、あまり良くなかった。
(これ以上飲ませてはだめだ)
隙を見て、彼女の杯に水を入れる。
「桃は、校尉が言っている内容というより、言い方が嫌ってことだよね」
桃のまとまらない愚痴をなんとか整理すると、校尉の言い方と態度が気に入らない、ということだった。
「そう!言い方!あれは私に気があるんですよ。だからあんなわざと意地悪な言い方を。お前はガキかってーの」
「それはないと思うけどな……」
校尉にはすでに妻がいる。
(この子は、なんでも恋愛に変換する傾向があるのかもしれない)
「桃の言いたいことも分かるよ。多分、桃が女性だから、余計な誤解をされないように、ちょっと距離を置こうと努めているんだと思う。だから、もともと少ない愛想が、さらに減っちゃう。あの人、私にもそうだから」
「その、女だからってのをやめてほしーの。近衛に入ったからには、そういうの関係ないんで」
「なるほど。桃がそう思ってるってことを、私から校尉に伝えてもいいかな」
「お願いしまーす」
そう言って、桃は杯を傾けた。水が入っていることは、ばれていないようだ。
「あと、校尉は実はすごく愛妻家だよ」
「えー!意外!」
「今度、奥さんの話を聞いてみたら?案外、桃と話が合いそう」
「うーん、人の奥さんのことより、私の収まり先のほうが優先かな。都尉殿ー、慧殿下の弱点、早く教えてくださいよー」
「私は知らないよ。――桃は今のところどういう作戦なの?」
どのように迫っているのか、少し興味がある。
「話しかけるとき、胸元をちらっと見せています」
なんという雑なお色気作戦。
琳華は思わず椅子から転げそうになった。
「女扱いされたくないって言ってたのに、そういう手は使うんだね……」
「それとこれとは別です。ここは、思いっきり使わせてもらいます。自信、あるんで」
「それで、良い反応は得られるの?」
「衿、ちゃんとしたほうがいいよって、ご助言をいただきましたー!」
これには、こらえきれなかった。琳華は思わず吹き出す。
「衿をちゃんと……!慧殿下が……!」
机に突っ伏して、肩を震わせる上官に、桃はきょとんとしている。彼女は、だらしなく衿をはだけていた慧を知らないから、無理もない。
(慧さまが、人の衿へ助言……!)
笑いすぎて、涙が出てくる。
「都尉殿、笑いすぎでしょー」
◆
「なんだ、絡まってるじゃない」
琳華は、仕事場の隅で散歩させていた亀を持ち上げた。つなげていたひもが絡まり、身動きが取れなくなっていたのだ。
「都尉殿」
と、桃が近づいてきた。
「昨日はすみませんでした。私、ちょっと飲みすぎちゃって」
「いいよ、気にしてない」
ひもの絡まりを直しながら、琳華は答えた。
「それで、さっき校尉殿に、奥さんの話を聞いてみましたところ――」
「うん」
「最っ高に胸が熱くなる出会いでした。まだドキドキしているくらいで。あ、思い出したら涙が」
「それは良かったね」
「それを聞いてたら、なんか普段の物言いが全然気にならなくなりまして――ありがとうございました!」
彼女はぺこりと頭を下げ、また持ち場へと戻っていった。
◆
「慧殿下」
上官である軍務司長に呼ばれ、慧は顔を上げた。
「はい、なんでしょう」
「七試、あと一つだよね」
そう言いながら、司長は隣に座った。
「はい。おかげさまで」
「七試に通ったら、君は主事に就くことが内々で決まっている」
「そうなんですか」
慧は少し驚いた。彼のように役職がない下っ端は、七試に合格したらまず書吏に就く。主事はその次の段階だ。
(てっきり、書吏になると思ってた)
「うん。ほら、ちょっと前に禁軍の水軍どうする問題があったじゃない」
「ああ、あれ」
やっと収まったからいいものの、あれは面倒だった。
「あのときの殿下の発言が、結構話題になってさ。人員や船の問題については、確かに君と同じ意見を述べた者もいた。でも、離反の可能性については、あの時点で誰も気づいていなかったんだ」
「そうなんですか」
慧が真っ先に思ったのが、離反の危うさだったから、それは意外に思う。
「でさ、実際に間諜を放って調べてみたら、水面下では結構危うかったらしい。もう朱赫に声をかけられた領主や軍の人間がいてさ。離反の準備をしている領もあったくらいで」
「それは――」
本当に危なかったんだと実感できる。海沿いの領の一つでも朱赫に取られてしまえば、そのあとの侵入を止めることはできないだろう。
「で、その意見を言ったのは誰なんだーとなってさ。その者を昇進させようにも、そもそも七試に通っていないじゃない」
「それは……なんかすみません」
「まーまー、いいの。もうすぐ通るんだから。そういうことだから、頑張って!」
と、肩を叩かれる。
「ありがとうございます」
慧はぺこりと頭を下げた。
「もう、感無量だよ。殿下がちゃんとやってるのって」
そう手を取られて驚く。司長は目をうるうるさせている。
「あの、護衛の女の子のおかげだよね。殿下が普通になったのって。いやもう、普通じゃない。期待の星だよ~。かわいい甥っ子がこんなに立派になって。もう僕、うれしくってさぁ……」
この人は、慧の大叔父だ。
(有力貴族の娘に婿入りして、臣籍降下したんだっけ)
しかしこうなると、司長の話は長い。
(大叔父さまにも、結構迷惑かけたな……)
琳華が来るまでの三年間、今思えば恐ろしいくらい伸び伸びとやらせてもらった。そのたびに困り顔で注意してきたのが、この壮年の男だ。
「なんかほんと、いろいろご心配をおかけしてすみませんでした。引き続き、頑張りますんで」
「はあぁぁ!頑張るって殿下の口から……」
何を言っても、司長は泣き出す。その暑苦しさに心の中でため息をつきながら、慧は思う。
(せめて兵部軍務司長――できれば兵部尚書くらいまでいきたい)
兵部軍務司長は、この目の前の男が今就いている、兵部軍務司のトップだ。兵部尚書はそのさらに上、今は東宮の弟である暁殿下が就いている役職だ。
(主事は、その第一歩としては申し分ない)
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