21.王族という特権も、この際存分に使おう
夜市の帰り道、慧は琳華と、黙って歩いていた。彼女はうつむいたまま、一言も発しない。
(琳華が俺を好きだって……)
そういえば、琳華の気持ちを考えたことがなかった。
(琳華が俺を――)
自分と同じ気持ちだったんだ。
それは面映ゆく、嬉しい。胸の奥がそわそわと浮き立つ。
(なのに、自分の気持ちばかりを押し付けてきた)
(そうして、琳華に断らせてばかりいた)
やっと、琳華の絶望が分かってきた。彼女が口にしていた、身分の差の大きさにも、実感がわいてくる。
(琳華、いままでごめん)
横を歩く彼女は、うつむいたままだ。夜市ではあんなに楽しそうにしていたのに、すっかりしぼんでしまっている。
ずっとそばにいてほしいから、結婚したい。
子供の頃の思いは、単純だ。
(でも、それだけじゃだめだってことだ)
思いだけでは、現実は変わらない。
でもこれで、何をしたらいいのかもはっきりしてきた。
(王族という特権も、この際存分に使わせてもらおう)
たぶん、自分にならやり遂げられる。
◆
(言ってしまった……)
琳華は自室の寝台に、どさりと身を投げた。
ずっと曖昧な関係で良かったのに。
あまりにまっすぐな眼差しを、もう見ていられなかった。
(楽しかったのに)
帰り道はお互い、一言も口を利かなかった。
(はあ……)
寝返りをうち、うつ伏せる。
(――もう、終わったな)
いや、始まってすらいない。
どの道、どうにもならないものだったんだ。
懐にしまい込んだ、亀の置物を取り出す。琳華はそれを、ぎゅっと握りしめた。
言わなければ良かった。
自分の短慮が、嫌になる。
(いや、もう余計なことを考える必要がなくなったんだ)
これからは、仕事だけをすればいい。
◆
琳華の部下として、新人武官の桃が配属された。女性の武官は珍しいこともあり、二人はすぐに打ち解けた。
「都尉殿。慧殿下って、めっちゃかっこよくないですか?」
「そう?」
やっとまともになったが、あの服装の乱れと奇行を知っている身としては、「めっちゃかっこいい」とは思えない。
「私、狙ってるんです、殿下のご側室」
「ええっ?」
「落としますよー、ふふっ」
仕事中にそんなことを考えている彼女が信じられない。
今まで、慧に好意を抱く女性を見たことがなかったが――。
(慧ってもしかして――モテる?)
衿をきちんとして、しわのない帯を締めている慧は、確かに美丈夫だ。もう、足で公文書を書いたりもせず、むしろ真面目に政務に取り組んでいる。
(そっか。側室なら、自分の身分でもそばにいられるのか)
琳華は、瑪瑙の帯飾りに触れる。その可能性を考えたこともなかった。
(誘われたことはないな)
何度も求婚はされたのに、側室への誘いはなかった。自分を本当にそばに置きたいのなら、そういう強引な手もあったはずだ。
(誘われたら、断り切れなかったかもしれないな)
ふっと自嘲的に笑う。
(慧が側室を……)
なんとなくそぐわない気がする。
帯飾りをカチャカチャともてあそびながら、桃をちらりと見てみる。
(本当に、落とすのかな)
「都尉殿は、殿下のそば付きもしていらっしゃるんですよね。弱点、教えていただけますか?」
「職務中だよ。下らないこと考えていないで、集中して」
「はーい」
◆
夜市の日から、一か月が経った。
屋敷に帰ると、慧はすぐに律令の勉強を始めた。
「最近、すごく頑張っていますね」
琳華は思わず声をかけた。ここに来た時とは大違いだ。
「うん。出世したくなったんだ。七試だけじゃなくて、その上の中級試験と上級試験も取ろうと思ってる」
「そうですか」
今なら言っても大丈夫だろう。琳華は口を開いた。
「慧さま、お話があります」
「なに?」
「私は――慧さまが七試に合格したら、そば仕えのお役目を解かれます。そのことを、あらかじめご承知おきいただきたく……」
(どう反応するだろう)
また、わがままを言われると困る。へそを曲げて、七試への挑戦を諦められたら、もっと困る。
(――でも)
最近、この人は変わった。無理を言わなくなったし、勉強や武芸から逃げなくなった。
(それに……私への甘え)
それも減ったように思う。
「そっか。なんとなくそうかなーって思ってた」
慧の返答は、思った以上にあっさりとしていた。
「そうでしたか」
露骨にほっとしてしまったのだろう。慧が顔を覗き込んでくる。
「もしかして、それを聞いたら、俺が七試をやめるとか言い出すと思った?」
「実は、少し」
「大丈夫。やるよ、俺」
「変わられましたね、慧さま」
「うん。さっきも言ったけど、出世したくなったんだ」
「そうなんですね。それは素晴らしい」
(きっと、勉強が面白くなってきたんだ)
慧は、興味を持ったことにはきちんと取り組む。
(やはり、この人は変わった。とても――大人になった)
子供の頃から、自分への危うい依存と執着を感じていた。それが最近は感じない。
(そういえば)
求婚もしてこなくなった。あの、夜市の日からだ。
(まあ――大人になられたんだ)
身分の違いをやっと理解したのか、それとも自分への執着がなくなったのか。
(それを望んでいたのに)
理解ある大人のようなふるまいをする主人に、違和感がある。そして、寂しさも。
(あと三つ)
七試は残り三つだ。この調子なら、あと3か月くらいで通るだろう。
そうしたら、自分はこの屋敷を去る。そして、郎将へと昇進する。
(今は、仕事のことだけを考えよう)
お読みいただき、ありがとうございます!
感想、ブクマ、リアクション、評価★★★★★などとても励みになりますので、よろしくお願いします!!!




