20.月夜の告白
(これが、夜市――)
琳華は半ば呆然とした。
子供の頃、抜け出した時に見た夜の城下町とは全く違う景色が広がっていた。
街道の奥の方までずっと、明かりが連なっている。沿道には多くの店。そして、見渡す限りの人。
「すごいですね……」
「うん、すごい」
慧も呆然としている。
人いきれの熱気。食べ物のいいにおい。客を呼び込む威勢のいい声。どこかで音楽が鳴っている。
何をどうしたらいいのか分からない。人混みに飛び込む勇気が出ずにためらっていると、手を引かれた。
「行こう、琳華」
市には、様々な店が立っていた。食べ物、酒、食器に宝飾品、壺や反物まで、ありとあらゆるものが取り扱われている。
「この盥、俊足くんにどうですか?」
「こんな大きいの、持って帰るの大変だよ」
「確かに」
歩いているだけで楽しい。
「あの串焼き、美味しそうですね!」
「うん」
「私、買ってきますね」
一口大に切った豚肉が、串に刺さって焼かれている。店に近づくと、脂の焼ける香ばしい匂いがした。
串焼きを二本買い、慧がいたほうへ戻ったが、彼はそこにいなかった。
(他のものを買いにいったのかな)
少し待ってみようと、串焼きを持ったまま立ち尽くした。
慧は、農政を楽々突破し、さらに2つの試験にも合格した。これで7つのうち、4つに合格したことになる。
(あと3つ)
このペースで行けば、そんなにもかからないだろう。そうしたら、自分は慧から離れる。
(そのほうがいいだろう)
近くにいると、どうしても子供の頃のように気安くなってしまう。しかし本来なら、口をきくことすらためらわれる身分差だ。
(あまり近くにいると、私が思い上がってしまう)
離れたほうがいい。なるべく早く。
慧からもらった瑪瑙の帯飾りに、ふと触れる。
顔をあげてみると、多くの人が往来している。自分は彼を見つけられるだろうか。彼は自分を、見つけてくれるだろうか。
「琳華!」
往来する人々のざわめきの中でも、聞き違うはずもない。慧の声だ。
「ごめん。待たせちゃったね。これ、買ってた」
そう言って、彼は手のひらを見せる。そこには、親指の先ほどの大きさの、二つの亀の置物。それらは、少しだけ大きさが違う。親子か兄弟か夫婦か――。
「ちょっと、俊足に似てるでしょ。はい、これは琳華に」
小さいほうを寄こされた。
「これは俺の」
そう言って、彼は亀の置物を懐へしまい込む。
「ありがとうございます」
「串焼き、おいしそうだね。あっちに座るところがあったから、食べよ!」
◆
二人は、人混みから離れた場所に、そろって座った。明かりは灯されておらず、町の喧騒も遠い。
「じゃあ、食べよう」
「はい」
一緒に串焼きを頬張る。塩がきいていて、思っていたよりずっと脂が甘い。
「美味しい……!」
思わず顔がほころぶ。
「ね」
王子も串にかぶりつき、もぐもぐと食べている。そうしていると、本当に普通の青年だ。
あっという間に食べてしまい、二人で目を合わせる。
「すぐ食べ終わっちゃいましたね」
「うん。おいしかったからねー」
「何か他のものを買ってきましょうか?」
立ち上がろうとする琳華の手を、慧が引き留める。
「いいよ。もう少し、ここにいよう」
「……分かりました」
琳華はもう一度座った。慧の手は、まだ琳華の手に重ねられている。
市からもれる、橙色の明かり。どこかから音楽が聞こえる。空を見上げると、満月が輝いていた。
「また、一緒に来れるかな」
重ねた手に、少し力が入れられる。その意味が分からないほど、琳華も子供ではない。
「うん……どうでしょう」
曖昧な返答しかできない。
「またそうやって、逃げる。琳華はいつもそうだよ。逃げられるのはもう嫌だ」
逃げるも何も。自分たちは、主と従者の関係だ。
(思いあがってはいけない)
(踏み込んではいけない)
「琳華」
慧に肩をつかまれ、向き合う格好にさせられる。じっと覗き込んでくる、黒い瞳。
「結婚してほしい」
「もう何度もお断りしたはずです」
「本気なんだ」
この王子はどうして。どうして同じことを何度も。
そのまっすぐすぎる言葉。
本心を隠したまま、この鈍すぎる甘ったれに理解してもらうのは、難しいかもしれない。
(もう、疲れた)
(もう、断りたくない)
琳華は大きく息を吐いた。
一回しか言いませんよ、と前置きをし、慧を見据える。
「私もあなたが好きですよ、慧さま」
――できればずっとそばにいたい。何度夢想したことか。
慧の目が、驚きに見開かれる。
「でも身分が違いすぎる。私はもう、とっくに諦めた。あなたも潔く諦めてください」
琳華は、肩に乗せられた慧の手を、そっとおろす。
――16歳のあの日。
自分の気持ちに整理をつけた。一人で生きていく、と。
王子はぽかんとしていた。
「もう断りたくないのです。――私の気持ち、理解していただけましたか?」
一番重い言葉を放り込んだつもりだったけれど、伝わったのか。
ややあって、王子が口を開いた。
「分かった。琳華、今までごめん。いっぱい断らせてごめん」
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