19.軽薄な王子の誘い
禁軍に新たにできる水軍部門。
その中に、父の名を見つけ、琳華は軽く息をのんだ。
(父上――)
父の階級は校尉。30人を束ねる下級指揮官である。
(父上が禁軍に)
王直属の精鋭軍。
想像したことすらなかった。何度か禁軍を見かけたことはあるが、彼らは表情一つ変えずに粛然と行進していた。地元の、上も下も入り乱れて酔っぱらって大騒ぎをする軍とは、明らかに毛色が違う。だから、完全に別の世界だと思っていた。
(ということは、父上が中央に)
王子の傅役を16歳で終え、実家へ帰る予定だった。それを身勝手にも反故にしてしまった。
(きっと失望させてしまった)
どんな顔をして会ったらいいのか分からない。
(会うのが怖い……)
そう思いながら、琳華は鬱々と職場へ向かっていた。すると、後ろから声がかかる。慧だ。俊足を抱いて、少し息を切らしている。
「間に合って良かったですね」
亀を連れてくるのを忘れたと、慧は道を引き返していた。
「うん、何とか。――琳華のお父上、禁軍に来るみたいだね」
朝廷の入り口の張り紙を見たのであろう。
「はい。先ほど知りました」
「じゃあ――」
小走りに琳華を追い抜き、慧はこちらを振り返る。
「俺と結婚してほしい」
「殿下。もういい加減にしてください。もう何回も何回も、やめていただきたい」
「何回も言えば、いつかは折れてくれるかなーって」
「そういう問題じゃないでしょう!」
思わず怒鳴りつけてしまう。
もううんざりだ。
「でもさ、琳華のお父上、禁軍に入ったんだよ。すごいよね。これなら身分の問題も少しは――」
琳華はふうっと息をついた。
「校尉ですよ!?下っ端役人!釣り合うわけがないでしょう。もっとものの道理を学んでください。いいですか、あなたは主上の――つまりは国の駒。政治的に意味のない縁組は、あり得ません。さあ分かったなら、早く出仕なさい」
◆
庭で亀を散歩させていた慧は、恐ろしいものを見てしまった。
琳華と、東宮の弟、暁だ。
(何を)
二人きりで何か会話をしている。
(どういう組み合わせだ?)
琳華は、王族の下っ端である自分ですら、職場では線を引いて私語をしたりはしない。なのに、王族のずいぶん上のほうである暁と何か話している。
(確か――)
一度、琳華は彼の命を救っている。いや、そんな大げさなものではなく、襲撃があったときにたまたま居合わせただけ、くらいのものだったはず。しかも、ずいぶんと前だ。
耳を澄ませてみる。
「君みたいな可愛い子、忘れるわけないよ」
あの王子は、有名な女たらしだ。優美な顔立ちと落ち着いた佇まいで、甘い言葉を次々に吐き、一夜の相手へと誘い込む。
(琳華が可愛いだって?)
イラっとする。そんな簡単な一言で片付く魅力ではない。
暁は、琳華に近づき、耳元で何か囁いている。何を言っているのか聞こえない。
それに対し、琳華は何か一言二言返す。
暁は手のひらをひらひらとさせて、去っていった。その顔には、余裕の笑みが張り付いていた。
「琳華っ!」
俊足を抱いて、琳華のほうへ行く。
「慧殿下、どうされましたか?」
「兄上、なにか変なこと言ってなかった?」
何を言われたんだ。そして琳華はなんと答えたんだ。
(琳華はモテるみたいだから、何かに誘われたのかもしれない)
しかも相手は、女たらしの、東宮様の弟君だ。
(もし、一夜の相手に誘われたとして)
琳華の立場では断りづらかろう。
(でも琳華がそんな)
誰かのものになるなんて、想像だにしたことがなかった。
「ご側室に誘われました」
「そ、そそ、側室ぅ?」
一夜の相手どころじゃない。思わず俊足を落としそうになるところを、何とかこらえる。
(側室だけはだめだ。絶対だめ。もう会えなくなる。いや、一夜の相手もだめだけど!!)
「で、琳華はどう答えたの?」
東宮さまの弟君だ。しかも官職はうんと上。簡単には断りづらい相手。
「丁重にお断りしました」
(簡単に断ってたー!)
「あ、そう……」
慧はその場でへたりこんだ。
「兄上、すごく女性から人気だから――琳華もああいうのが好きだったらどうしようかと……」
「あのようなすけこまし」
王子が去っていった方向を、琳華は睨みつける。
「こちらから願い下げです。なのに――以前もお断りしたのに、また」
「以前も!?ってことは、初めてじゃないってこと?」
「ええ。これで三回目です」
「三回――」
頭がくらくらしてくる。
「立場上、お断りしづらいので、そろそろかんべんしていただきたいところです」
よほどイライラしているのか、琳華は眉毛をぴくぴく動かしている。
(兄上に言ってみようか……琳華をもう誘わないようにって――)
◆
「暁殿下」
慧は思い切って、暁に声をかけてみた。
「慧か。なんだ?」
話しかけられたのが、意外だったようだ。少し怪訝そうな表情で、こちらを見てくる。
「先ほど話しかけていた、あの女性の警護の者ですが」
「ああ、琳華ちゃん。可愛いよね」
(琳華ちゃん!?馴れ馴れしいな!)
「お前も狙ってんの?」
すけこましの言葉は、どこまでも軽い。
「いえ、狙っているというか……。実はあの者――琳華は、俺の妻に迎えたいと思っていまして」
「妻?」
暁はいぶかしんでいる。
「なんだ。やっぱり狙ってるのか。でも、妻は無理だろう。あれ、平民だろ?」
「平民ではなく、武門の娘ですが――いやまあ身分は全然どっちでもよくて。とにかく、俺の妻に迎えようと。なので、側室にお誘いになるのはやめていただけると……」
「だから、妻は無理だろ。惚れてるなら、さっさと側室にすりゃあいい」
「んあぁーー!俺のことはどっちでもいいんで!側室にする気もないし!とにかく兄上におかれましては、あのものをお誘いになるのは、もうやめにしていただけると、ありがたいです!よろしく!」
言いたいことだけを言って、慧は踵を返して逃げ出した。
◆
もう寝よう、と慧は布団に入ったが、どうも寝られない。
――惚れてるなら、さっさと側室にすりゃあいい
暁の言っていた言葉が、慧には引っかかっている。
(側室か……)
考えたこともなかった。琳華と結婚したいと思い始めたのは、いつからだろう。
(10歳くらい?もっと前かも)
その頃に、側室に迎えるなんて考えるはずもない。だから、妻にするんだと、頑迷なほど思い込んでいた。
(側室なら、琳華の身分でも何の問題もない)
正室をとらず、側室も琳華だけにすれば、実質妻のように琳華のそばにいられる。
(うーん……)
慧は寝返りを打った。
(なんか違う。なんか歪なんだよな……)
そうして、一つの結論にたどり着いた。
(うん。側室は、なし!)
◆
三日後、慧はまた見てしまう。暁が琳華に話しかけているところを。
「琳華、兄上に何を言われた?」
「側室は諦めたから、代わりに今夜どう?と」
「あ~に~う~え~!!」
何も分かっていない。
慧は暁の背中を追いかけた。
「暁殿下!」
「ああ、慧。どうした?」
「あの女性を誘うのはやめてくださいと、お願いしたじゃないですか!」
「だから側室はあきらめたよ。でも、一回くらいいいだろ。武官の女の子を抱いたことないんだよなあ。琳華ちゃん、細くて可愛いし、どんな感触か一発――」
「とにかく!もうやめてください!よろしく!」
すけこましの下品な言葉を聞いていられなくて、慧は逃げ出した。
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